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紙の本
ドイツ政府より「レッシング翻訳賞」を受賞した、画期的翻訳!
2009/12/24 02:36
12人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:反形而上学者 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヘーゲルの著作の中でも、とりわけ難解で知られる『精神現象学』。
その難書が、長谷川宏氏によって歴史的名訳で出版されてから、多くの人々に賛意で迎えられたかと思えば、長谷川氏のこの訳を否定的に批判する人もわりと多くあらわれている。結果、賛否両論というところなのだが、なぜ長谷川訳が批判されるのか少し考えてみたい。
正直、この『精神現象学』は原書でも非常に読み取り難に書物である。しかし、この本以降のヘーゲルはどれも「ここまで」読みにくくはない。
ヘーゲルにとって最初の著作であるという気負いがあったことも確かだと思うが、本書の主題が「精神現象」であるだけに、ヘーゲルの時代ではまだ説明のための「手段」が少な過ぎたことが最大の原因であると、私には思われる。
ヘーゲル自身の書がそういう「説明に苦心している」ことの証拠であると考えるならば、『精神現象学』も当然ながら説明に苦慮したものになっているはずであろう。
しかし、世の中というのは不思議なもので、「難解なもの」ほど有難がられるのだ。
世界的建築家で、日本でも圧倒的知名度と人気を持つ、レム・コールハースは何年か前にインタビューでこういうことを語った。
「私は、出来るだけ〈難解〉で〈消費されにくい〉ものを作ろうと、いつも心がけている」と・・・。
このコールハースの話しは、『精神現象学』などの難解にして、時間の風雪にさらされながら残った「書物」や「芸術」の本質的理由をついてはいないだろうか。
長谷川宏は、この『精神現象学』の翻訳で、ドイツ政府よりレッシング翻訳賞を受賞しているが、これは凄いことである。しかし、多くのヘーゲル読みやヘーゲル研究者にとって、「読み易い『精神現象学』」は都合が悪いのだ(上記の理由から・・・)。
長谷川宏訳の本書を、とにかく読んでみてもらいたい。そして、物事を理解する楽しさと、物事を考える難しさの狭間で、哲学書を読むということの本当の意味をそれぞれの読者に問いかけたい思いである。
難解なものを有り難がるというのは、哲学の本質とは別のところに存在する「罠」なのだということを・・・。
紙の本
本書は教本にあらず
2014/04/21 12:53
7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ホロー - この投稿者のレビュー一覧を見る
【まずとても重要な事】
・普通に読書する方法で読むようにはできていません。=普通に読んでは意味不明になります。
・この本は知識がのっている教科書の類いでもなければ、論理だてて何かの結論を導いている論文の類いでもありません。=そのようなものを想定して読むと挫折します。
誤解を恐れずに言うなら、何かを試みようとしているもの、百科事典的な体系化を意識したもの、といったところです。
・訳が読みやすいというわけではありません。長谷川訳は他の訳に比べたら平易な単語でかかれているのかもしれませんが、ヘーゲルの原書の内容自体が論理的構成とは違う種類の組み方で構成されているため、スラスラよめるというようなことを期待してはいけません。
【難しいと感じる理由】
ネット上のいろんなレビューを拝見すると、この本は難しいと書かれています。また、長谷川訳である本書は超訳だが訳本の中では読みやすいからヘーゲルが本書でいいたいことをつかむにはよい、と書かれています。
難しいと感じさせられる理由は、(本書の内容を理解出来る教養と人生経験があることがまず前提ですが)「まずとても重要な事」で指摘したことが原因です。それについて、詳しくは最後の方で書くつもりです。
訳についてですが、意訳が多いです。2種類の英語訳と見比べましたが意訳が過ぎる部分も多々ありました。ですが、そのことはよいともわるいともいえません。なぜなら、各単語単位、各文単位では明らかにニュアンスがずれていても、複数段落単位、章単位で俯瞰してみれば、ずれているようであって決定的にはずれておらず、まあこういう意訳もありなのかな、という感じがしてくるからです。そもそも、原作者ヘーゲルの文章内容自体が、なにがしかの科学的、もしくは論理的なものではないです。なら一般読者としての本書の用途は、インスピレーションや思索の参考にするといったことになるでしょう。ですから、訳が多少ずれていようが、本書の用途という意味では重要ではないのではないか?と思えてしまいます。
【本書の読みかた】
キーワードを4つ上げます。弁証法、神、社会、体系化です。
(あくまで私個人の挙げるキーワードですからこれらは絶対でもすべてでも一般的でもありません。)
まず弁証法。本書は徹頭徹尾、弁証法的に話が進んでいきます。
具体的にはこういう具合です。
「AはBだ。→しかしAはBだというのはよく考えたら問題がある→だからAはBの反対のCだ→しかしAはCだというのもよく考えたら問題がある→(一問答あって)→AはBでもCでもなく、同時にBでもCでもある。(この状態は、AはDであるということ)→しかしAはDだというのはよく考えたら問題がある→以降繰り返し」
よって、まず読者が気をつけるべきは、あるページに「XはYである」と書かれているのを読んだときに、それを教科書の知識のように真に受けてはダメだということです。あちこちにある「XはYである」という断定文は、本書内では真実(真にうけてよい知識)ではなく、いわば仮定のようなものなのです。ちょっとうまい言葉でいえば過程の仮定です。
これが普通の書物を読書する仕方で読めない理由の1つです。
では本書内に真実(Xとは結局、Zということだ、という作者の最終的な偽りなき主張)は書かれていないのかといえば、普通の書き方では書かれていないが特殊な書き方では書かれている、と言えます。それを読み解くキーワードの1つは「運動」だったり「無限性」だったりします。これは実際に読めば分かるはずです。
弁証法についてもその他もまだ続きがありますが、投稿文字制限の為省略
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