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[ 内容 ]
波乱に富んだ人生を送った太宰治は没後五十年を迎える。
多くの、特に若い読者を引きつけ続けた作品群は、いま私たちに何を問いかけるのか。
『女生徒』『斜陽』等の多様な「語り」の魅力、『お伽草紙』『人間失格』などに響く人間賛歌を、誠実な「読み」から導き、確かな構成力と洒脱な精神を併せ持った作家・太宰の姿を、時代を追って描く。
[ 目次 ]
序章 いま太宰を読むこととは
第1章 作家・太宰治の誕生まで
第2章 生きて行くために、書く
第3章 「美談」の造形
第4章 動く「私」
第5章 戦時下の自在
第6章 元気な女たちと「父」
第7章 さらなる人間悲喜劇へ
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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【読書】昨日ウッチャンナンチャンのイロモネアを見ていたら、ピースが出ていた。綾部は面白くなかったけど、又吉は面白かった。ちなみに又吉は、読書が好きらしい。好きな作家は太宰治。携帯の待ち受けも太宰治らしい。そんなわけでこの本を手に取る(どんなわけだ)。実は、本当に恥ずかしながら、太宰治の本をしっかり読んだことがない。たしかに人間失格、走れメロスは読んだことがあるような気がするが、あまり記憶がない。太宰治を読む上でまずは入門として読んでみた。昔はなんにも考えずに学校の先生から読めといわれていた本も年を重ね、経験を重ねると、やはり見えてくるものがある。さて、何から読もうか。ちなみに、ピース又吉は携帯の待ち受けが一時的に正岡子規だったことがあるらしい(超どうでもいいですが)。
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若い頃に太宰を読んだ中高年向けの「再入門」書。「作品と作家は別である」との観点から、従来のイメージとは異なる太宰像が提示されており興味深い内容。
本書が上梓された98年時点で、「最近は太宰ファンが減りつつある」との指摘があるが、25年後の現在ではどうなっているのだろうかという気にもさせられる。
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太宰の個人史を辿りつつ、奥野健男氏の提唱に従い、大きく「前期」「中期」「後期」の三つに執筆期間を分類し、その中で書かれた作品についての「再入門」—再読から見えてくるものについて考えていく。
当時の時代背景、作品にまつわるエピソード等が語られているのは当然のことながら、彼の作品に通底して見られる〈語りかけ〉の形式や作品の〈軽み〉などを中心にこれまでの論を踏まえつつ解釈していく。
結局のところ「読み方」に関しては、ある一つの考え方に縛られること無くさまざまな可能性のもとで読者自身が揺れながら読んでいくのが良いとする、多少月並みな感も感じられるものだったが、鋭い考察がとても多く、太宰治論としては非常に良くまとまっている一冊ではないだろうか。
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時代も歴史も無関係に太宰を論じれば、このようなショウモナイ本が出来上がる。太宰の消毒殺菌お得パック。
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6月19日は、太宰治を偲ぶ桜桃忌。
人の欲望、恥、優しさ、弱さ、無様さや照れなど太宰治の生き様そのままを、独特の文体と屈折したユーモアを散りばめ彼独自の小説へと昇華されています。太宰ファンなら、作者名を伏せても文章を読めば、彼だとわかる位、文章に香る太宰臭は鮮明です。
例えば、こんな文章。「旦那さま。ちがふ。恋人。ちがひます。お友達。いやだ。お金。まさか。亡霊。おお、いやだ。」(女生徒)
また、妻の津島美知子が「駆け込み訴え」の冒頭を「(太宰が)炬燵に当たって、盃を含みながら全文、蚕が糸を吐くように口述し、淀みもなく、言い直しもしなかった。」というエピソードもすごい。
本書は、そんな魅力的な太宰治の小説をすべて網羅した優れた文芸評論となっています。パロディやネーミングセンスにも秀でている特徴も、彼が時代を先取りした作家だった証かもしれません。
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『#太宰治』
ほぼ日書評 Day756
評者高校時代の恩師(現国担当)の著書。ちょうど25年前の刊行で、先生(とあえて呼ばせていただくが)とは15歳違いなので、今の自分より10歳若い時に書かれたということになる。正直、先生が高校当時にこんな授業をしてくれていたら、もう少し現国にも身が入ったかもと思うくらい、興味深く読ませていただいた。さて、前置きはそれくらいにして…
評者自身、太宰治は、文庫化された中でもメジャーなものを、中高からせいぜい大学生時代に読んだことがある(当時はハマるまで行かぬものの、それなりに影響は受けたように記憶する)程度だが、まったく予備知識のない短編・掌編についても、ある程度物語のあらすじも把握しつつ、著者の太宰評が理解できるという構成はありがたい(新書の分量に収めるには、かなりの推敲があったものと思料)。
特に興味を惹かれた箇所をいくつか紹介。
奥野健男氏が「潜在的二人称」と称した"太宰の〈語りかけ〉スタイル"は、多くの読者に「たった1人、自分にだけ向けて書かれた作品」と感じさせる効果があり、それ故に熱狂的にハマる読者が生まれる。
同時に、著者はそこにもっと大きな広がりを見る。真に"その人"だけに向けて特化して書かれた、いわばラブレターのようなものではなく、多くの読者に開かれた普遍性が備わっているというのだ。
どちらが正しいという類のものではなく、ピンポイントとゼネラリティの両面を、あたかもメビウスの輪のように自在に行き来できることこそが、むしろ太宰の魅力の源なのだろうと感じせられる。
この〈語りかけ〉は後年に至っては、女口のものに移っていく。『斜陽』の上原の妻は『ヴィヨンの妻』の「私」と一体化し、ひたむきに生きる妻としての「私」の視点から描かれることで、人でなしの無頼漢で「詩人」たる夫は、罰せられるべき存在ではなく、「より大きなおかしみを持った、ある意味、愛すべき存在」に転ずるのだという。
よく知られるように、これらの作品は当時付き合いのあった女性の日記等を下敷きにしているわけだが、日記の行間に込められた、太宰自身に対する女性達の愛憎半ばした悲喜交々の思いを、そのレベルまで昇華させるのは、並の精神力ではできぬこと…であるが故に、ああした、最期を迎えざるをえなかったのだろうか。
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