紙の本
ミラノの団地っ子、それから
2007/05/04 00:07
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Living Yellow - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書に収められたエッセイとも小説とも読める作品の多くは、著者がイタリアで結婚した夫一族の実家を主題としているといえる。
著者は50年代にイタリアに留学した、本物の日本の「お嬢さん」だった人。イタリア人の夫は鉄道員の息子で、苦労して大学で本格的な教養を身につけた本物のインテリ。
そしてその夫のミラノの実家はファシズム時代に建てられた鉄道員用の社宅の2DKなのだ。その敷地の小さな敷地に細々とした草花を植え、何十年もただの木の板のようなテーブルを使い続ける姑の生活。イタリアの高度成長期を過ごした、夫の兄弟たちの人生も決して順調なものではない。
豊かさと貧しさ、日本とイタリア、都市と農村、多くの対立する要素の間で暮らした著者は、「身分」とか「階級」とか大げさな言葉を使わない。生活の中の小さな出来事を丁寧に描き出し、その表現の積み重ねで、かんたんには言葉にできない何かを伝えてくれる。
読みやすいが、しっかり読み込もうとするとどんどん深く感じられる文体。ちょっと時間を置いて読み返したくなる一冊だ。
紙の本
ふたつの世界
2019/01/26 11:47
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:メイチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
生活の貧しさ、心の豊かさ、いろいろ考えました。須賀さんが仲間とか家族について語るときのまなざしは、やさしいけど、でもそれだけじゃない。うまくいえないけど。
須賀さんの書く小説を読んでみたかったなぁ
紙の本
詩人とともに歩く
2001/06/11 14:45
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:田島安江 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ユダヤの血を受けた詩人サバに惹かれて彼の詩を辿る短い旅をしたときのことを綴った「トリエステの坂道」はことに印象的だ。ホテルに着いた翌朝、遅い朝食のあと、ふと立ったレストランのベランダで、坂を上りきった賑やかな通りで敦子はサバに出合う。特にベランダでの描写がいい。敦子が「大きな白い花束のような」と形容した群れ飛ぶカモメと遥か向こうに広がるアドリア海。20年前に逝った夫との思い出を彩ったサバの詩。私ははじめて知った「トリエステ」という街のたたずまいを敦子とともに辿る。詩人の中の異国性とそこに思いをはせる敦子。読んだ私もまた、イタリアに住んで後、日本に暮らすようになった敦子の中に不意に訪れる異国性に思いをはせる。そこには、同じ思いが流れていた。外国に暮らした人に必ずといっていいほど訪れる感覚である。私の中で忘れていたカナダに暮らした思い出の風景がふいに立ち上がってくるのと同じ感覚だった。敦子の愛した異国イタリアは、だからこそ、意味を持って私の前に在るのだ。
投稿元:
レビューを見る
<出会い>2004年10月、『スティル・ライフ』(池澤夏樹著)の解説をこの本の著者が書いていたのを見て。
<感想>時系列に回想を述べたものとは違う。エッセイなのか小説なのかわからない。イタリア人と結婚した著者が、その夫の家族の姿を語るように書いていく。内容は、想いを断片的につないでいくというよりも、いろいろな想いが重なり合ってできている。読み終わると、その想いが溶け合ってひとつになる。それが何なのかはわからない。
投稿元:
レビューを見る
タイトルにもなっている冒頭のエッセイ「トリエステの坂道」が特に良い。
トリエステの凛として少し寂しい空気が伝わってくるよう。
投稿元:
レビューを見る
私にとって最初の須賀敦子。表紙の青(この画像よりもっときれい)がとてもいい。須賀敦子の色。そして私はこの作家の姿を思い浮かべるときはいつも坂道を歩いている。
投稿元:
レビューを見る
10代の頃に読んで「この人はすごく綺麗な文章を書く人だな」と思った。こういう日本語を使っていたいものです。そう思って今もたまにページをパラパラめくって流し読みします。
投稿元:
レビューを見る
電車の中で読んでいると、
知らず知らずのうちに引き込まれている。
どちらかというとイタリアの情景や、雰囲気にというのではなくて、
その人々の会話のうちに私も入っていて、
静かに話を聴いているような感覚。
ことばのすべてが彼女の感性によって選び抜かれていて
その選ばれた言葉が心の琴線に触れると、
どうしようもなくなって、
じっとその場に立ち尽くしてしまう。
悲しい話が書いてあるわけではないのに、
1つ1つの言葉の意外性や
あるいはあまりにもぴたりとあった表現に感動して
目頭が熱くなる。
今のこの状態の私に、
ものすごくぴったりと来る一冊だった。
投稿元:
レビューを見る
この人の本がどうしようもなく好きだ。いつか全著作をそろえようと思う。
裕福な環境に育ちながら、貧しさのもたらす甘美にもいた悲哀知っている人。
決して多くは語りすぎず、そして陳腐にもならず、様々な人間の生き方をつづっている。
人生ってなんなんだろうなぁ。
投稿元:
レビューを見る
(2003.11.13読了)(拝借)
「ミラノ 霧の風景」、「コルシア書店の仲間たち」、「ヴェネツィアの宿」、「トリエステの坂道」の4冊が須賀さんの4部作だそうです。
家内の読んだ「霧の風景」があったはずなのですが、見つからないので、「コルシア」から読み始めました。夫のペッピーノの勤めるコルシア書店とそこに出入りする人たちの話。
「ヴェネツィア」は、ヴェネツィアを舞台にした話が読めるのかと思ったら、最初の一篇がヴェネツィアの話で、他は、ローマの留学の話と神戸の話だったような。
「トリエステ」は、トリエステの話が聞けるのかと思ったら、最初の一篇がトリエステの話で、残りは、夫の話や義理の母、義理の弟の話だった。トリエステは、イタリア半島の付け根から東へ行ったスロベニアとの国境近くの街だ。須賀さんの好きな詩人サバが暮らしたところなので歩いてたどってみたかったのだそうです。
「セレネッラの咲くころ」の話。石川淳の「紫苑物語」をイタリア語に訳そうとしていたのだが、題名の紫苑をイタリア語でなんというのかと思っていたら、丁度夫の実家を訪れた時、しゅうとめが、近くの菜園から取ってきた花がその花だったので、名前を聞いたら、セレネッラだった。話は、しゅうとめの菜園を見せてくれるようにお願いするのだがなかなか連れて行ってくれないということについてなのだが。セレネッラをリッラァと呼ぶ人もいるとか、リッラァと呼ぶ人はインテリっぽいとかいう話になっていって、もう忘れかけたころ、やっと菜園に連れて行ってもらった話に戻って終わる。須賀さんの随筆のいくつかの話はこのパターンになっている。
この本の幾つかの話は、須賀さんの義弟のアルドについて。問題児のアルドが、須賀さんの夫だった兄がなくなり、父もすでにいないので、自分で母を養わないといけなくなり、心を入れ替えて、働くようになり、スキー場のある山の村で知り合った娘さんと結婚し、息子は、長い休暇の時は、山の村で暮らす。息子が大きくなり、母は亡くなったので、一家で山の村に引っ越して暮らすという話がつづられている。須賀さんのミラノの拠点がなくなって寂しくなってしまう。
須賀さんが、ミラノで生活し関わった人たちのさまがつづられているので、イタリア北部の庶民の生活の様子がわかって非常に興味深い。
「ミラノ 霧の風景」が最後に残ってしまった。いずれ近いうちに読みたい。
著者 須賀 敦子
1929年 兵庫県生まれ
聖心女子大学卒業
1953年 パリ留学
1958年 ローマ留学
1961年 ミラノで結婚
1971年 ミラノから帰国
1990年 『ミラノ 霧の風景』発表 女流文学賞受賞、講談社エッセイ賞受賞
1998年3月 死去
☆須賀敦子さんの本(既読)
「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子著、文芸春秋、1992.04.30
「ヴェネツィアの宿」須賀敦子著、文春文庫、1998.08.10
(「BOOK」データベースより)amazon
あまたの詩人を輩出し、イタリア帰属の夢と引換えに凋落の道を辿った辺境都市、トリエステ。その地に吹く北風が、かつてミラノで共に生きた家族たちの賑やかな記憶を燃え立たせる―。書物を愛し、語り合う��しみを持つ世の人々に惜しまれて逝った著者が、知の光と歴史の影を愛惜に満ちた文体で綴った作品集。未完長編の魁となったエッセイ(単行本未収録)を併録する。
投稿元:
レビューを見る
須賀敦子が、夫ペッピーノとともに愛読した詩人ウンベルト・サバの故郷トリエステを、夫亡きあと訪ねた際に綴った表題作に始まり、ミラノ在住時代の思い出が綴られた回想録。
独特の色彩感覚が感じられる卓越した情景描写とともに、貧困層・外国人・ユダヤ系住民など、イタリア社会の片隅で生きる人々の暮らしが、須賀さんならではの視点で描かれています。
投稿元:
レビューを見る
須賀さんが愛したペッピーノ。ペッピーノが愛したサバ。サバが愛したトリエステ。この人たちを確かに知っていると思えるのは、須賀さんの描くエピソードのひとつひとつが鮮明だがらに他ならない。サバ詩集とともに会社の引き出しにあるこの本は、疲れたときにとりあえず読んだりする。
投稿元:
レビューを見る
体の深いところに凝縮された思い出が、静謐な名文で綴られていく.これを読むと,文章にこめられている悲しみを受け取ると同時に,よい文章を読む喜びを感じる.解説に収められた湯川豊氏の「ノート」も示唆に富んでいる.湯川氏も指摘しているように「雨のなかを走る男たち」はとりわけ名作だと思う.
投稿元:
レビューを見る
9/24 読了。
解説にも「寄せてはかえす波のような」とあるように、須賀さんの文章はしんと静かでありながら遠い音に耳をこらすような張りつめたところがあって、筋やキャラクターではなく紛れもなくこの文章自体によって引っ張られるように読み進んでいくところに、須賀さんでなくては満たされないものがある。
投稿元:
レビューを見る
御存知のない方に須賀敦子とは何者か、と問われれば、
「随筆家として究極の存在の一人です」と答えるでしょう。
そしてその作品世界は、随筆を超えた須賀敦子だけが書きえる世界を作り出す、とも付け加えます。
品格のある文章で語られる哀愁と詩情は、いわゆるエッセイ、随筆という範疇をはるかに超えて、自らの周囲の家族を語りながら私小説とも思えず、達するのは完全に独自の境地としかいえません。
それも全編傑作といえる出来で、一つの作品集のすべてで、これほど高い水準を維持している作家は、そうそう思い当りません。
12編の作品に様々な人々が登場しますが、須賀敦子の筆にかかれば全員が、イタリア名画の登場人物。
読んでいると美しい絵が浮かんできて、境遇の辛さや気持ちが伝わってきて、須賀はフェリーニかピエトロ・ジェルミか、という演出が冴え渡ります。
TVより読書で、節電に御協力を、ということで、是非どうぞ。
「古いハスのタネ」/叙情だけでない桁はすれの教養人でもあったという備忘録
詩の起源は、共同体が神あるいは神々に捧げた祈りにあると言われている。
13世紀にアッシジのフランチェスコが作った「太陽の讃歌」はイタリア文学史の冒頭である。
汎神論的なこの作品は、伝統的な聖書のレトリックをまさに離れようとしていた。
ルターのプロティスタンティズムは、それまで共同体のものであった祈りを個のものにしようとした人たちの選択だった。
こうして宗教も共同体から個人の物となっていく@16世紀のドイツ
祈りには共同体の祈りと、個人がひそやかに神と対話する祈りがある。
共同体の祈りが文学と分かち合ったのは、どちらもが言葉による表現という点だ。共同体にとどまるかぎり、祈りは魂を暗闇にとじこめようとしない。
個人の祈りは、神秘体験に至ろうとして恍惚の文法を探り、その点では詩に似ているが、究極には光があると信じている。共同体の祈りも散文も、飛翔したい気持ちを抑えて、人間と一緒に地上に留まろうとする。
個の祈りの闇の深遠を、古代人は知っていたのだろう。
共同体によって唱和されることがなくなったとき、祈りは特定のリズムも韻も形式も必要としなくなるから、韻文を捨て、散文が主流を占めるようになる。散文は論理を離れるわけにはいかないから、人々はそのことに疲れ果て、祈りの代用品として呪文を探し出す。
信仰が個人的であり、宗教は共同体的であるといいきった私たちは、ほんとうになにも失わないのだろうか。
ダンテの描いた神秘の薔薇の白光に照らされ、歌にみちた幸福は、人類がかつて想像しえた最高の歓喜の表現であった。
すべてがキリスト教に括られていたようなイタリア中世で、「神曲」は、すでに言葉の世界が、別の山として一人歩きを始めたことを物語っている。