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野家啓一の誌上講義は、「歴史の物語り論(ナラトロジー)」の概要が語られます。
歴史哲学の基礎理論に終始することなく、「アウシュヴィッツ」や「従軍慰安婦」など、ポレミカルな話題にも触れられています。これは、野家の立場に対して高橋哲哉が、語ることのできない者たちを「忘却の穴」へ押しやってしまうという批判をおこなったことが念頭に置かれていると考えてよいだろうと思います。
続く4つのセミナーは、柏原啓一、鹿島徹、中島隆博、上村忠男が担当しています。終末論を手がかりに、ブルトマンやハイデガーの思索に踏み込んだ柏原以外の三人は、何らかの意味で歴史と倫理の関係についての考察をおこなっています。
鹿島は、野家のような歴史のナラトロジーの立場が、歴史を統一的に語るような視点を前提していることに注意し、それを反省的判断力の働きと結びつけることで「脱=共同性への物語り」の可能性を開いたカントの歴史哲学をとりあげています。中島は中国の歴史意識を、上村は市村弘正の『敗北の二〇世紀』を取り上げて、歴史と倫理の問題を考えるための視点を提出しています。