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動物に「刷り込み」があるように、それぞれの文化・民族には「根本的な感じ方」というのがあると著者は言います。その文化圏が素朴な段階にあった頃に、一種の「刷り込み」が起こり、文化・民族の特性を形作るというのが、著者の考えです。その上で、日本の「根本的な感じ方」を形作っているのは、神話の時代から現在まで一度も消えることなく連綿と続いている皇室の系図に求められると論じています。このことが、圧倒的に高度な中国の文明に呑み込まれることなく日本のアイデンティティを支え続けたのです。ところが、そうした「刷り込み」が戦後失われてしまったと著者は嘆いています。アメリカの占領政策によって神話と歴史がつながっているという感覚が公の場から追放され、左翼が自国の誇りの忘却に輪をかけていると著者は批判しています。
こうした立場から、著者は歴史認識問題や夫婦別姓論、移民問題、金権政治問題などについて語っています。
「刷り込み」という考え方がよく分かりませんでした。京都の三条川端に銅像のある幕末の勤王家・高山彦九郎は、人びとが天皇を顧みようとしないことを嘆きましたが、このことは庶民が皇室の存在も知らず、まして皇統に自分たちのアイデンティティを見いだしてなどいなかったことを示していると、確か小谷野敦が論じていたように記憶します。そうした事実関係を超越して、いきなり日本人の民族的「刷り込み」という考え方を提示されると、ちょっとついていけないと感じてしまいます。
山本七平の業績についての文章は興味深く読みました。