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紙の本
土にまみれ自然を相手に格闘する「種まく人」は素敵だ!
2000/08/24 17:07
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投稿者:密偵おまさ - この投稿者のレビュー一覧を見る
いきなり「死を想う日」という第一章のタイトルが、目に飛び込んでくる。これまでに読んだ何冊かの、玉村氏の他の著書とは、その書き出しからして趣が違う。「そろそろ死ぬ場所を探しはじめるのも悪くはないな…」なんともショッキングな言葉で始められるこの物語は、しかし、決して暗い内容ではない。大病を患い、人生の折り返し点を過ぎたことを痛感した著者の、「残りの人生」に対する前向きな生き様は、潔くさわやかで、うらやましく感じられる。
“ヴィラデスト”という氏の農園の名前の由来、この土地に巡り合った時のご夫妻の狂喜乱舞の描写、家が引越までに完成せず、野宿に毛が生えた程度の生活をそれはそれと楽しむ様子、土と向き合う暮らしの厳しさと悦び…。最近はやりの「田舎暮らし」の入門書などよりは、よほどそうした暮らしの「楽しさ」と同時に「それなりの覚悟」が必要ということが伝わってくる。
そして、「種まく人」となった玉村氏は、農業がいかに恣意的なものであるかを、実感したという。人間が食べるのに都合がよいように栽培可能な野山の植物だけが”vegitable=野菜”とよばれ、品種改良という名の下に、根を食べたいものは根を太く、茎が硬いと思えば柔らかく、その性質を変化させている。もっと驚いたのは、キャベツやレタスについての以下の記述だ。
「たとえばレタスとかキャベツとかいった、丸く結球する野菜を考えてみよう。これらの植物は、芽が出てからしばらくのようすを見ていればわかるが、最初はごくふつうの、それぞれの葉が外側に反りながら上に伸びていくかたちの青菜である。それが、ある時点から、しだいに外側の葉が内側の葉を包むようにまきはじめる。
この性質は、人間がつくったものである。
葉が丸く内側に巻きはじめるのは、過剰な栄養のために過度に増えた葉がこみあって伸びる場所を失うからだ。もちろん生体が想定し得る以上の栄養を与えることができるのは人間だけであり、そうして得られた結果--つまり、結球することによって内部は日光を遮断されて白く柔らかくなり、同時にひとつの個体の摂食可能な部分の体積が飛躍的に増える--を享受するのもまた人間なのだ。」
そうか、キャベツやレタスは、もともとから丸くなるものではなくて、人間がそうなるように仕組んだのか…。目から鱗だ。知らないということは、なんと恥ずかしいことか。
「そもそも農業というのは、人間が自然に働きかけかなりの程度それを飼い慣らしたように見えて、実際には単に大きな自然界のほんの少々のおあまりをいただくくらいのことしかできないのだ、ということがわかってくる。(中略)畑仕事は、いくら人間が焦っても、できないものはできない。われわれの望むもののうち、自然の合意を得られた分だけを、ゆるゆるとすすめることしかできないのである。」
そういうことを知ると、最近話題の遺伝子組み替え食品など、人間が天に向かって唾しているようなものに思えてくる。確かに、人間にとって都合のいい農作物を作り出すことで、一時は自然を屈服させたような錯覚に陥るだろう。しかし、それは自然という大きな営みのなかで、人間に折り合いをつけてくれた、ごくごく限られた部分にしか過ぎないようだ。
私にはとても「種まく人」にはなれないと思う。でも、自然の中で自然と格闘しながら暮らす「種まく人」は、とても素敵だ。
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