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紙の本

科学の時代であればこそ非科学的思考に陥る危険がある

2003/07/13 14:43

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:萬寿生 - この投稿者のレビュー一覧を見る

人間というものはどんなにインチキであろうとも、自分の信じたいものを信じるものだ、ということが良く解る。本書の主張を抜粋すれば、以下のことであろう。
  人生で出合う全ての問題が科学的あるいは合理的なものの見方・考え方で処理できるわけではない。しかし、同時に、人生は合理的なものの見方・考え方に基づいてこそ処理すべき重要な問題が山ほどあり、その種の問題を扱う場合には徹底した合理的な考え方を貫くべきである。なぜ、多くの人たちは、彼らを不安に陥れている社会の構造的原因に目を向け、それを変革する主体となる生き方を回避し、個の魂の安寧を占い・超能力・心霊の世界に身を寄せることによって達成しようとする道を選ぶのか。
 世の中には、「科学で扱うことができる問題(科学的命題、客観的命題)」と、「科学では扱えない問題(価値的命題、主観的命題)」とがある。「科学的命題」というのは、その命題が正しいか正しくないかを、客観的にきめることができるような、命題のことである。「価値的命題」というのは、その命題が正しいか正しくないかは、それを主張する人の、「価値観」によって異なる。
 経験を絶対化し、理論的整合性を軽視することの危険性は、古くから指摘されているのだが、「この目で見た」「この耳で聞いた」という体験がもつ説得力は、非常に大きい。感覚器官は不完全なものであり、感覚器官を通しての認知は、「錯覚」に陥りやすいものだということを、人びとはなかなか認めようとはせず、自分の体験に対する非常に強い執着心を示す。「超常現象」を直接見たり聞いたりした人は、しばしば自分の感覚器官でとらえた「事実認識」を絶対化し、厳密な検証もなしに、その命題が「真」であることを信じ込む。
 身の回りの科学技術の成果が人びとにとってブラックボックスになってから、人びとはだんだん「なぜ」と問う心を錆びつかせてきたのではないか。科学の時代であるにもかかわらず非科学的になるのではなく、科学の時代であればこそ非科学的思考に陥る危険があるのだ。
 現代化学で説明できないことは、沢山あるし、今後もあり続けるに相違ない。われわれがとるべき態度は、せいぜい「分からないことは引き続き調べればいい」ということに尽きる。
 対象認識過程の省略という脳の働きは、大変便利な機能だ。しかし、この機能は「思い込み」という陥穽への入り口でもある。
 人生最大の問題は、「人間、どう生きるか」という問いの答を自分なりに見つけることだろう。?価値観の形成、?価値実現のために自然・人間・社会に主体的に働きかける姿勢の獲得、?自分や社会の成り立ちについての体系的な合理的認識の修得、?自己の相対化。
 われわれは生きるうえで、「科学的命題」と「価値的命題」を扱う。それらは、二つながら重要である。前者は、「命題の真偽を、事実との照合によって、客観的に決定できる命題」であり、後者は、「命題の真偽が、主観に依存するため、客観的に決定できない命題」である。二つの面が重要である。?科学の面=危機の原因を解明し、それを解決するための合理的な方法を探究する。?価値の面=価値のある生き方とは何かについて、従来の価値観を根本的に見直す。科学と宗教は、それぞれの固有の役割を果たすことが期待されよう。宗教は、一つの価値体系である。科学至上主義的な人間生活のあり方の反省のうえに、宗教は、「価値のある生き方とは何か」について、積極的に提起することが期待される。その際、非暴力・愛・利他・慈悲・共生等の宗教的価値は、自然・人間・社会の平和的な関係を創出する上での指導理念たりうるであろう。

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紙の本

「信じること」の悲しさ

2002/05/31 14:48

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:挫折ハードロッカー - この投稿者のレビュー一覧を見る

 タイトルからは不粋な印象を受けてしまうかもしれないが、なかなかどうして、読ませるコラムがギューッとつまったイキな一冊だった。白眉は前半、19世紀の欧米で起こったオカルトブームの熱狂ぶりが紹介される件。その大きな渦に巻き込まれたアメリカの名奇術師フーディニーは、数々の心霊現象のカラクリを見破り、霊媒師たちから慧眼と恐れられながらも、心の底では「霊魂」の存在を願っていたというのだから、なんとも切ない。

 フーディニーは生前、夫人に対して「死後は必ず霊となって降神会に出現する」と誓っていた。一九二六年一月にフーディニーが不帰の客となると、未亡人は足繁く降神会に通いつめたが、ついにフーディニーの霊は現れなかった。思い余った未亡人は、フーディニーの死後一〇年目の一九三六年、自ら降神会を催した。(p49)

 この一節を読むと、「科学」「非科学」といった領分を越えた「信じること」の悲しさが胸に迫ってくる。その悲哀を深く理解した著者だからこそ、本書を、数多あるオカルト批判本とは一線を画したものにすることができたのだろう。松尾貴史の解説も切れ味鋭い。

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2009/12/05 21:16

投稿元:ブクログ

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2022/02/25 09:01

投稿元:ブクログ

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