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熊野に行く前に読了。
その後、大阪から和歌山、紀伊田辺、串本と「枯木灘」沿いに新宮まで行き、勝浦、小口、請川、本宮、中辺路を経て紀伊田辺、そして天王寺へ。
途中で通った周参見、古座川、皆の川といった地名、本宮大社が流された、大斎原と「苔」という集落(今はない)、どこかさびしい新宮の街並み、中上健次の小説にあらわされていた土地をめぐるルポルタージュとも、エッセイとも違うざらりとした文章。
どこかロマンチックで退廃的な、閉塞感とあるがままの自然と人間の「わざとらしさ」がごっちゃになって目の前に横たわっている。
この本を読むと、和歌山という国が「木の国」であり「根の国」であること、どこかほの暗い部分を持つ陰影のはっきりした国であることを思う。
その感覚はそのまま、その土地を訪れた時に感じることができる。
当然、当時の路地、「部落」は残ってはいないか、もし仮にあったとして上っ面だけをなめる旅行者の前にはまず現れないであろうが、それでも土地の持つ陰影を感じることができた。
土地の持つ地霊を十分に感じることができる、そんな一冊だった。