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これまで読んだトゥーサンの本のなかでは最も好き。一帯が寝静まった頃、ビアッジ宅に潜りこみたくて仕方がない!
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ということで、浴室に続き。
浴室とためらいの主人公は同一人物なのでしょうか。
だとしたら…うん。人の性質はそう変わらないこと。
「孤独」の見え隠れする「普通でない感覚」。
これを持つ人、持たない人の差を歴然と見せ付けられた気になる。
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トゥーサンの小説には筋といった筋がない、とよく言われる。もうすこしくわしく言えば読者を文章にひきつけさせるための、「読ませ」るための要素としての筋がない。トゥーサンは常に語ることによって、語ることじたいの持つ、文体芸ではなくてもっと純粋なかたちでの語りによって読者に文章を「読ませ」る。だとしたら、たぶんこの小説はそうしたたんに文体ではないところでトゥーサンの書く文章が持つ魅力がぞんぶんに味わえると思う。
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もし旅行に行って夢にまでみた遺跡や風景がそこになかったとしたら。これはただの夢か道を間違えたか詐欺にあったかそれ以外の理由を探せるまで旅を続けるくらいしかない。そういうのを本当の旅みたい。というようなら。ボクらはかなりの旅ベタだしガイドブックどおりにマークを塗りつぶしていく賢明な優等生である。筋書きがないこと。話があるようでないこと。正解もなく誤答もない。疑いはじめたらキリがない。世の中はミステリーといっても誰も文句は言わない。キミの言っていることは正しい。だがボクの言っていることも間違ってはいない。キミに生じるものは「ためらい」以外にない。ボクにはためらいがないが自信をもっているわけでもない。仕組んだだけ。
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特に何か事件が起こるわけでもなく、主人公の行動とためらいが描かれる。ミステリアスで、少しずつヒントが提示されるのかと思いきや、どこにも行き着かない。
通勤途中に読んだが、そういうせせこましい読み方は似合わない本かもしれない。生暖かい雨の日に、波の音を聞きながら読むのがふさわしい。
(2012.5)
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猫の死体から始まる、ある家への訪問のためらい。
そしてパラノイア。
丁寧な文体で繰り返し繰り返し執拗に語られるさまは
うーん、粘着質。
初トューサンだったので「浴室」も読んでみよう。
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ベビーカーに息子を乗せ、友人ポール・ビアッジが住むサスエロという海辺の村を訪れた主人公が、その友人に会うのをためらい続けながら日が過ぎていく物語。その抽象度の高いテクストと世界観に不思議な魅力を感じなければ、つまらないという感想しか得られないだろう。実際ためらいながらも無人の友人宅に侵入したり、ホテルの他の部屋に無断で入ってみたりする場面になんのためらいも無いのが面白い。個人的にはⅡ章の終わり近くの主人公独白、「ぼくは三十三歳、つまり青春の終わる歳を迎えたところなのである。」に驚いた。何を隠そう自分が主人公と同じ年齢であり、そして自らの青春の終わりをいきなり主人公より伝えられたからである。