紙の本
最も恐ろしい話は
2002/06/19 21:19
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:J.B. - この投稿者のレビュー一覧を見る
この一冊に収められた話の中で、最も恐怖編と呼ぶにふさわしいのは、ゴルゴンの首という道具の出てくる話であろう。趣向としては、ある種のホラー映画のような感じもあるが、頼みのドラえもんがゴルゴンにやられたときに、のび太ならず読者である自分自身にも、問題を解決する手立てがない八方塞のような感覚に襲われる。また同時に、何か自然にいるけれども、あたりまえのようだけれども、いかにドラえもんが頼りになって、また助けてくれる存在なのか、改めて感じさせてもくれる。
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僕が初めて買った漫画はてんとう虫コミックスの『ドラえもん』18巻と31巻と34巻でした。以後、漫画、アニメ、映画からいかに影響を受けまた学んだものか…。勇気や友情をはじめ、人生に大切なものはほとんどすべて『ドラえもん』から学んだと言って過言ではありません。
しずかちゃんのお父さんが語る「人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができる人間〜」は、確かに僕の理想の人間像を形成しています。全45巻(そしてプラス)に永遠の名作とそのもとが溢れていますね。
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ドラえもんが薄情だということと、いくらフィクションとはいえ、のび太がちょっとアホすぎるのでは、と感じた。
大予言~のエピソードは子供のころに読んで、本当に怖かった覚えがある。
バイバインは欲しい気もするが、実は使い道がないのでは。
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ときにひとの想像は恐ろしい極致にまで達することがある。
もうひとりの自分というものがいたとしたら、ありとあらゆる願いが叶えられるとしたら、夢が現実になったなら、あらゆる行為が他人によって許されたなら、そこにはどんな事態が待ち受けているのだろう。
そんなどこまでも深淵の続くような問いでも、ドラえもんたちがいる世界であるから、こうもコミカルに終えることができる。のび太やドラえもんが「鏡の向こうにいるのは自分なのか?」などと考えてしまった日には、決してもうひとりの自分の魅力から戻ってくることはできなかっただろう。
この時、すでにドラえもんの世界にいる人物たちが作者の手を離れて作者に語りかけている。特徴的なキャラクターが生きるその世界で、作者のお人形遊びにならないでいるのは、この人物たちの自立性にあると思う。のび太はいつまでたってものび太であり続けなければ物語の前提が崩れる。のび太は間違いなく作者の統制の下動かざるを得ない。ところが、そんなのび太という存在があるからこそ、悪魔のパスポートやうつつまくら、フエルミラーのような道具が考えられる。
さて考えているのは、作者かのび太か。もしかしたらドラえもんの道具のおかげでこうなっているのかもしれない。ドラえもんを読んでいると、そんな想像がどこまでも続いてしまう。
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もしこんなことが現実に起こったら…
もう1人の自分が現れたら…
何をやっても許されるなら…
書いたことが現実になるノートがあったら…
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のび太が1人で背を抜いてそれで300円1 mm て300円もらってもらってどんどんお金をもらっちゃって、いっぱい漫画を買ったりして、いっぱいお金使いすぎて、代わりに背が縮んでてパジャマも大きくなっちゃってやだなーと思った。
背が縮んじゃってママに怒られててだめだなと思った。
2023/03/02 5歳
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使いすぎると体が無くなるカードや絶対家に帰れなくなる団子などドラえもんの四次元ポケットにも怖い道具は沢山ある!?私はひろびろ日本というお話の日本が太ったせいで家から家がすごい距離になってしまい、、、学校に行くのも、しずかちゃんの家に行くのもとても大変です。ちょっと怖いけど思いがけない結果になります!