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紙の本
P・D・Jもだけれど、最近のイギリスの警察小説って、完全に恋愛もの。でも、それがいいんだなあ
2003/03/03 20:29
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
今、イギリスの警察小説で一番面白いシリーズは、と聞かれたら、私はランキンのリーバス・シリーズをあげる。無論、ヒルのダルジールも、レンデルのウェックスフォードも、P・D・Jのダルグリッシュも好きだ。ラヴゼイだって好ましいし、もう新作を読むことが出来ないデクスターもいい。でも、今、一番美味しいとなったら、やっぱりランキン。特に警察組織と、ロックを書かせたらこの人の右に出る人はいない。最近は、リーバスと女性たちの微妙な関係が、絶妙に筋に絡んで堪らない。そして、純文学者だって遠慮するタイトル(邦題だけだろうけど)。
ともかく、本もぶ厚いけれど内容が凄い。毎回、事件の背景となる政治の動きや人間関係の的確な描写に圧倒されるけれど、今回も脱帽。
舞台はイギリスのエジンバラ、自殺した友人を思うあまり、彼が関係した小児性愛症者の糾弾にリーバス警部乗り出すことから始まる。変質者の名前を公表することで犯罪の可能性のある人間を追い詰めようとしているうちに、リーバスはそれが単純な問題でないことに気付き始める。
そんな時、アメリカで連続殺人を犯しながら、ささいな手違いで刑期を短縮された男が、エジンバラに戻ってきた。堂々と人前に顔をあらわすオークスの登場は、このシリーズ中の白眉だろう。彼が行なうストーカーまがいの行動やマスコミを手玉に取る辺りの悪党ぶりは、カルトヒーローの誕生を見るようだ。その悪魔のような男がリーバスの家族に忍び寄る。
リーバスの家庭を巡る複雑な事情。ここでも、離婚した元妻のペイシェンス、娘のエミー、同僚のジル・テンプラー、シボーン・クラークなどの女性陣が小説を面白くする。家庭の不和、仕事仲間との微妙な心の交流。そして事件を巡る警察内部の対立。官僚主義や、出世競争、足の引っ張り合い。ランキンの作品にはこれらが不可欠なのだが、今回はこれに犯罪歴の公表と人権という厄介な問題がからむ。
それにしても、相変わらず感心させてくれるのが、作品中にさりげなく紹介されるロックグループと曲名。ストーンズくらいは分るが、全く知らないような名前がいたるところに出てきて、それが決して違和感を与えない。よほどランキン自信が彼らを愛しているのだろう。これだけでも楽しめる。最近のイギリスの推理小説もアメリカや日本に倣うかのように重厚長大化しているが、情報ではなく描写の密度で勝負するのがイギリスらしい。もし私がオークスみたいな男にストーカーされたら、もう女やめるしかないだろうなあ。
紙の本
リーバス警部はカッコ悪く、死者の無念を背負いながら生き続けるのだ
2001/03/21 06:00
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投稿者:旅歌 - この投稿者のレビュー一覧を見る
1999年のCWA賞シルバーダガー賞にノミネートされた作品。惜しくも受賞は逸したが、ランキン型モジュラー小説が見事に完成された非常に質の高い作品である。ただし、それがおもしろさと同義であるかどうかは読者によると思うが。
電車内でふと見上げた「AERA」中吊り広告に、「児童虐待 母は克服した」などという扇情的な記事を見かけたかと思えば、長男が小学校から持ち帰った「小学校だより」の裏面に、土屋義彦埼玉県知事の「児童虐待の防止を訴える知事緊急アピール」などという文章が掲載されていたり、メディアでもニュースからドキュメンタリーから低俗なワイドショーに至るまで、「児童虐待」が放送されない日はないといってもいいくらいだ。ヒステリックなまでの児童虐待報道。ぼくらは、虐待が引き起こした「解離性同一障害」に慄き、「虐待の連鎖」に頷き、少々質的には異なるが「小児性愛者」の傾向は一生モノであると危機感も新たにするわけである。
この物語前半のリーバスに陥っているわけですね。「小児性愛」がひとつのテーマではあるが、同じ他作品と違っている、あるいはこの物語のひとつの見所といえるのは、「更生プログラム」を受けて更生しようとするダレン・ラフのような存在をリーバスにぶつけて、リーバスが徐々に変化していくさまが描かれているところでしょうか。更生しようとする「小児性愛者」の気持ちを描いてみせる。疎外感、罪悪感。沸々と湧き上がる衝動を、必死に押さえ込もうとする。ただし、作者は対岸に稀代の殺人鬼=ケアリー・オークスを対峙させることも忘れない。このふたりの犯罪者は異質であると。しかし、これは難しい問題であるな。
毎度ながら、リーバスの活躍はとても地味。それでも退屈せずに読めるのは、作者独特の小説手法のおかげだろうか。ランキン型モジュラー小説たる所以は、能動的なリーバスに由来する。ともかく、リーバスはあれもこれもと自分から事件に首を突っ込んで、自ら事件を掘り起こしてゆくのだ。これらをリーバスの内面や周囲の状況を細やかに絡めて、最高の語り口で綴られる。ひとつひとつのエピソードをおろそかにしない執筆姿勢が、ランキン=大長編作家のイメージを植え付けるのだ。期待を裏切らず、この物語もとても長い。登場人物も多い。
英国ミステリの伝統を継承しつつ、米国産のハードボイルドをブレンドするとこういうミステリになるのでしょう。リーバスのカッコ悪さが、やけにリアルで逆に好感が持てる小説。深い哀しみをたたえつつも、決して絶望しているわけではない。印象的なシーンが放尿シーンという珍しい小説だったが、シリーズとしては過去の亡霊たちを受容する度量の大きさをもって前進を続ける。リーバスの周囲に群がる、現世に無念を残して逝ってしまった亡霊たちは決して消えることはないのだろう。リーバスはカッコ悪く、彼らの無念を背負いながら生き続けるのだ。
紙の本
待望のリーバス警部シリーズ最新作、警察活動と犯罪を通して描かれる家族をめぐるドラマ
2000/10/05 21:15
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投稿者:桜井哲夫 - この投稿者のレビュー一覧を見る
物語は、ジム・マーゴリス警部の自殺のシーンから始まる。なぜ、順調な出世を続けていたマーゴリスが自殺したのか。特に親しかったわけではないが、この自殺にジョン・リーバス警部は気が滅入っている。警察をやめたいと思っていた時に起こった自殺で、他人事とは思えなかったからだ。
実は、前作(『首吊りの庭』ハヤカワミステリ1685)の事件で親友のジャック・モートン警部を死なせてしまい、娘のサミーも事件のとばっちりを受けて意識不明の重体となり、今では車椅子生活を余儀なくされている。親友を失い、娘を襲った悲劇に衝撃を受け、そのため刑事生活に張り合いが持てなくなっているからだ。
スコットランドのエジンバラを舞台にしたこのミステリ小説は、本書で4冊目となる。『黒と青』(ハヤカワミステリ1665)、『血の流れるままに』(ハヤカワミステリ1675)、『首吊りの庭』、本書と続くシリーズは、いずれも一見つながりのなさそうな様々な事件が、次第に結びつきあうという構成をとっていて、実に読みごたえがある。
セント・レナーズ署のリーバス警部は、アメリカの刑事物のようなスーパーヒーローでも何でもない。多くの悩みを抱え込んだ中年の刑事である。娘のサミーとも、恋人の医師ペイシェンスとも、決して意志疎通がうまくいっているわけではない。
さて、動物園の動物を毒殺しようとする犯人逮捕のために、張り込みをしていたリーバスは、たまたまかつてその逮捕に協力したことのあるダレン・ラフを見かけた。彼は小児性愛者として逮捕されたのだが、動物園で子どもたちの写真を撮っていた。思わず、ラフを追いかけて捕まえたリーバスであったが、そのため現れていた毒殺犯人のほうはおろそかになってしまう。
そんな状態で意気あがらぬリーバスのところに、ふるさとファイフのカーデンデンから一本の電話がかかってくる。「もしもし、おれを(ミー)覚えていないか」。
それがもうひとつ、リーバスの心を揺るがせる出会いとつながるのである。電話の主は、同級生のブライアン・ミー。かつてリーバスが好きだったジャニスの夫となっている。息子のデイモンが行方不明だというのだ。警察は家出だと思って相手にしてくれないから、助けてくれないかというブライアンの頼みに動き出したリーバスは、夫とうまくいっていないジャニスと再会する。
そして、もう一つ問題が生じた。アメリカで2件の殺人事件を起こしながら、15年の服役で釈放されたケアリー・オークスが、しばらく住んでいたという理由でエジンバラに帰ってくるというのだ。かくして、マーゴリス警部の自殺、ダレン・ラフ、行方不明のデイモン、そしてケアリー・オークス、これらが、徐々に結びついてゆく。まさに名人芸と言うべきだろう。 (bk1ブックナビゲーター:桜井哲夫/東京経済大学教授 2000.10.06)
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