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ミース・ファン・デル・ローエの戦場 その時代と建築をめぐって

ミース・ファン・デル・ローエの戦場 その時代と建築をめぐって みんなのレビュー

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紙の本

自著を語る

2000/09/29 23:27

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投稿者:田中純 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 跋文からの抜粋により、自著紹介に代えたい。著者HP

 この書物は『精神について』と題することもできただろう。「精神(Geist)」とは、しかし同時に、「幽霊」、「亡霊」を意味する。本書は建築家ミース・ファン・デル・ローエにとり憑いた近代という時代の亡霊をめぐって展開されている。近代建築史の多くが超越的な「時代精神」を暗黙の前提にして記述されてきたとするならば、ここではそれを歴史的なコンテクストのなかへと引きずり降ろし、精神/亡霊の出現と回帰がもたらされる構造そのものをミースの建築に探った。
 建築家でも建築史家でもない筆者がミース論を手がけたのは、彼の建築が近代における「表象」の作用を集約的に「表象」する構造をもっているためである。この二重化された表象作用の分析は、建築学や建築史学とは異なるアプローチを要求した。さらに、ミースが生きた時代に民主主義を襲った危機のもとで表象=代表の制度が鋭く問い直された歴史的経緯を背景として、本書では表象作用の次元における建築と政治の関係が重点的に考察されることになった。「均質空間」などと称されてきたものはミースの建築をめぐる政治的幻想にほかならず、本書はこのような幻想を生むメカニズムの究明を含んでいる。こうした作業を通して、ミースが精神/亡霊という不可視なものと格闘しつづけた「戦場」の地形を浮かび上がらせることが、本書の目的とするところであった。それがしかるべき成果を収めているか否かを判断するのは筆者の役割ではない。しかし、本書が主題の設定において、数多い他のミース論と一線を画したものであることは、重ねて強調しておきたい。
 こういった関心の所在やその方法論からして、この『ミース・ファン・デル・ローエの戦場』は建築史の書物にとどまるものではない、と明確に述べておくべきだろう。むしろたとえばジャック・デリダのハイデガー論『精神について』の隣に並べられたほうが、まだしも場を得たと言えるかもしれない。『精神について』でデリダは、ハイデガーにおいて好きなところとして、彼のテクストを読むときに感じる二つの揺らめきについて語っている。ハイデガーのテクストは恐ろしく危険で、同時にばかに可笑しい。間違いなく重大なのだが、少しばかりコミカルだ。本書をデリダによるハイデガー論の隣に置きたいと思うのは、ハイデガーのこのコミックがミースにも通じるものだからである。ミースの建築は疑いようもなく重大で危険でさえある。しかし、同時にそれはわずかばかりコミカルだ。そんなコミカルさには、パリの名所をガラス扉に反射させて画面に登場させたり、あるいはインテリアが路上から丸見えのガラスの家を舞台にした、ジャック・タチの映画『プレイタイム』を連想させるところがある。このタイトルを「プレイ・タイム」、すなわち「時間を戯れる」と読めば、いかにもミースにふさわしい。
 ハイデガーについてと同様、ミースについてもまた、デリダが言うように、このコミックに敏感であること、彼らの巧みな術策を前にして笑う術を心得ていることが、倫理的ないし政治的な「義務とチャンス」になりうるかもしれない。ミース・ファン・デル・ローエに関する一冊の書物を書き終えた今、私はようやくひと息ついて、笑うことができそうに思う。しかし、その乾いた笑いのあとには再び幻聴のように、エピグラフに掲げたパウル・ツェランの詩句や、ゲオルク・トラークルの「西欧(夕べの国)」にアントン・フォン・ヴェーベルンが作曲した歌の響きが、執拗に甦ってくるのである。

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