紙の本
「孤立した島国」幻想打破に向けて
2001/02/02 14:04
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投稿者:Stella - この投稿者のレビュー一覧を見る
私は結婚して上京するまで山陰地方に住んでいた。高校生のころはご多分に漏れず深夜ラジオにはまり、そして韓国語あるいは朝鮮語と思われる強力なラジオ電波に悩まされた。地元民放ラジオ局の電波すら邪魔されるほどの強力さは、否応にも半島との距離の近さを思い知らされたものだ。
これは江戸時代の話になるが、蝦夷地〈現在の北海道〉のアイヌと沿海州の住人との間で交易が行われており、西洋の物産が彼らを経由して日本にもたらされていた。それに気付いた田沼意次は「鎖国制度」が有名無実化しており、廃止を検討していたと言われている。残念ながら彼の失脚により「黒船来航」まで待つことになったが、江戸時代の「鎖国」というのはあくまでもキリスト教国との自由な貿易と布教を禁じ、幕府の統制下に置くことであって、まったくどことも貿易しないということではない。
江戸時代の「鎖国」「固定化した身分制度」という幻想は、明治時代に作られたものであると断言できよう。そして「孤立した島国」の幻想は『大東亜共栄圏』の樹立を図り、海洋国家として最も重視すべき海軍力の低下にもかかわらず戦争を継続するという愚行を犯すことになった。また、明治政府による壬申戸籍で「農」とされた人々の中には、現実は漁民や交易従事者、山林の産物によって潤っていた民が含まれている。
著者にこれを書かせたのは、おそらく昨今の自由主義史観と名乗るものたちの登場や、国旗国家論争では「日本」というものがすっかり抜け落ちていたという危機感、あるいは歴史家としての反省だろう。それだけに一語一句に迫力と説得力がある。
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オーストラリアで使われている世界地図を初めて見たときの驚き。海は世界から孤立する壁ではなくて、世界とつながる道なのだ。
そして歴史は少数の英雄が作るものだったり、そうじゃなかったり。。。山川の日本史にはあんまり出てこない、市井の人々の歴史、とか。
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このシリーズ共通の共史の中でもひときわ、異彩を放ちます。
網野の書きたい放題ではないかとの批判には、うなずく部分もあります。
ただ、日本を問い直すという視点は忘れてはならないと思います。
著者も故人。遺作になりますね。
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本書は、講談社の『日本の歴史』シリーズの「00巻」として著されたものであり、いわゆる「網野史学」のエッセンスを、一般の読者に向けて判りやすく説いたものである。分かりやすすぎてつまらない。膨大な量の史料・実地調査に裏打ちされ、かつ平易に書いてあるため、「秀逸な子供向け本」といった感じか。
1928年に生まれ、2004年に逝去した網野善彦氏は、1950年に東京大学文学部史学科を卒業したのち、都立北園高校にて日本史の教師として教鞭をとる傍ら、近くにあった東大史料編纂所に通うなどして、自らの学問の基礎を築いた歴史家である(ちなみに本書の著者紹介欄には、日本中世史にくわえて「日本海民史」が専門であると書かれている)。その後、名古屋大学文学部助教授、神奈川大学短期大学部教授、神奈川大学経済学部特任教授などを歴任した。その一方で、山梨県史の編纂などにも携り、これらの長年の蓄積が、本書の記述にも、ふんだんに活かされている。
本書は、全体で5章構成となっているが、実質的には、本論として第2・3・4章が当てられ、それに序論として第1章「『日本論』の現在」、結論として第5章「『日本論』の展望」が付けられている。分量的にも、2~4章にページの多くが割かれ、またその内容や、文章のスタイルも、1・5章とは大きく異なっている。以下、各章ごとに、その内容を紹介してゆくことにしたい。
まず第1章「『日本論』の現在」は、この種の叢書の第一巻、冒頭の書出しとしてはきわめて異例(であろう)ことに、原子爆弾投下の歴史的意義に関する、筆者の政治的態度の表明からはじまっている。「核兵器の廃絶を実現するための条件を広くつくり出すことは、われわれに課された使命といわなくてはならない。もとよりこれは、化学兵器、細菌兵器等の大量殺戮を目的とした兵器についても同様である」(本書9頁)。このような、きわめて社会的で政治的な問題から説き起す著者は、さらに環境問題の深刻化や、国旗・国歌法の制定などにも批判を加える。そして、本書の読者に対して、かかる社会の現状を克服するための、ひとつの手がかりとして、過去1300年間の「日本」の歴史を徹底的に総括することを求めるのである。しかしその一方で、全体の序論として、本書における問題の所在について、簡潔に触れている。すなわち、本書の目的は、これまで「自明の前提」とされてきたさまざまな常識、たとえば「日本は均一な単一民族による単一国家」であるとか、島国という地理的な環境から、長期にわたり、外部に対して閉ざされてきた閉鎖的な社会であったとか、そのような「常識」を覆すことにある、と宣言している。
続く第2章で、批判の槍玉にあげられるのは、それらの「常識」のひとつである「日本は孤立した島国であった」という認識である。専門である海民史に関する蘊蓄をふんだんに傾け、著者は、日本列島が、過去において周囲から隔絶された閉鎖的な空間であったことはほとんどなく、隣接する朝鮮半島や中国大陸、サハリンや沿海州地域はもちろんのこと、北米大陸や中南米、オーストラリアとすら、頻繁に行き来していたことを明らかにする。また日本列島内部でも、さまざまな交易・交流の道が存在し、人々がそこを通じてさまざま��産品を交換していたことにも言及している。著者はこのような日本列島のありようを「アジア大陸東辺の懸け橋」と名づけ、人々の文化や生産物の流れが、西暦2000年現在の国境線で区切られ、堰きとめられていたというのは、荒唐無稽な幻想に過ぎないと断じている(なお、第2章からの著者の筆致は、第1章とは大きく異なり「史学的証拠をもって語らしむる」がごときものとなっている)。
第3章で取り上げられるのは、「日本の均一性、単一性」である。第2章の終りのほうでも若干触れられているのであるが、この列島社会の地域的な差異は驚くべきほどであり、これを「単一社会」と呼ぶのは、(国家としての統一性を強調する)政治的な言説に過ぎないのではないかというのが、本章の主張である。網野氏はまず、中国の歴史書に登場する「倭人」について、これを「日本人」と同一視することは適当でないと指摘する。そして「日本」という「国名」が登場するのは7世紀末、当時の「ヤマトの支配者たち」が、ある政治的意図をもってこれを国号として採用したときであると述べる。著者が鋭く指摘するのは、「日本」というのは地名ではなく国号であり、しかもそれが採用された当時の「日本国」の領域は、現在のそれとは全く異っていたという事実である。さらにその領域は、近畿を中心として、北は東北南部、南は九州の中部までだったのが、歴史を下るにつれて次第に拡張され、明治に入ってようやく、琉球と北海道が編入されるに至ったとする。このような歴史的事実と合せて、著者が本章で明らかにするのは、このように「日本国」のなかに組み込まれていった、それぞれの地域が、古くは縄文の昔から、相互に全くことなる文化や言語、社会的制度を維持し続けていたということである。つまり「日本」は、その領域はもちろん、その内部においても「均一、単一」であったことは一度もなく、それは現代においても(たとえば被差別民の問題など)同じである。網野氏は「近代史は私の専門ではない」と断りつつも、古代から近世、近代におよぶ、さまざまな事例をあげつつ、この事実を証明している。
さらに第4章「『瑞穂国』日本の虚像」では、「日本は農業社会という『常識』」に挑んでいる。明治以降の日本の歴史学界がひとしく、右の「常識」に囚われてきたと、具体的な書名まで挙げながら、網野氏は批判を加える(ただし、彼自身もその常識に長年囚われてきたと自己批判しているが)。そして、そのような常識が、明治初期の「戸籍」の職業欄などから生じたのではないか、あるいは「百姓=農民」という(中国大陸や朝鮮半島ではみられない)日本独特の関連づけ(同義語化)から生まれたのではないか、といった指摘を重ねながら、前章までと同様に、豊富な事例をあげながら、この「思いこみ」を否定してゆく。とくに本章を読みながら、評者が目を開かされる思いだったのは、いわゆる「水呑百姓」が、イコール「貧農」であり、水呑百姓の比率の高い社会=貧しい農村という理解は、およそ根拠がないという著者の指摘であった。そして、このような誤解が広まった理由に関する筆者の主張、すなわち「日本国」が成立当初に採用した律令制度が「農本主義」的立場をとっており、それが江戸時代にまで影響を及ぼし続けた結果であるとの主張には、深く頷け��ところがあった。
結論部分にあたる第5章「『日本論』の展望」では、これまでの議論を総括しつつ、通俗的な「日本人論」「日本文化論」を「成り立ち得ない」と切って捨てている。そして、これまでの歴史研究の暗黙のスタンスに対しても批判を加えつつ、そのような「日本」に対する認識は、ともすれば「現代日本人の自己認識を著しくゆがめ、曖昧模糊たるものにしている」(本書334頁)と断罪している。そして、より適切な歴史理解に即した、列島社会の時代区分について、どのようにあるべきか、彼自身の見解を示したあと、「この複雑な列島の自然との関わりで形成される諸地域社会のさまざまな生業と個性的な生活の歴史を、正確にとらえること」(352頁)の重要性を主張し、それによって「われわれが相互に自他の個性を真に尊重しつつ、この社会に生きる道がひらける」(同頁)と論じるのである。
本書は、冒頭でも述べた通り、網野氏が生涯をかけて築き上げてきた「網野史学」のエッセンスが凝縮された作品であり、さまざまな点において、その特徴が凝縮されているように思われる。その第一は、「通説」に対する徹底的な批判的姿勢である。もちろんこれは悪い意味ではなく、過去の歴史学が暗黙のうちに前提としてきた「常識」を根底から検討し直し、具体的な史料に依拠しつつ、その再構成を試みている。もちろん、彼の出す結論に対する賛否はさまざまであろうが、このような、「通説」を常に問い直そうとする態度に関しては、大いに学ぶべきと思われる。また、本書が一般向けの書籍であるところから、はっきりと論じてはいないものの、史料の「読み方」に関する重要な指摘が、しばしばなされているところも興味深い。一例を挙げれば、第4章にみえる「したたかな『百姓』の駆引と誇張」(260頁)という一節は、史料に書いてあることをそのまま鵜呑みにすることの危険性(史料批判の重要性)を、読者に判りやすく示している。このような点も、本書を、より興味深いものとしているといえるだろう。
一方で、本書に対しては、批判すべき点も少なからず見うけられる。評者がまず第一に感じたのは、本論部分(第2~4章)において、個別的、具体的な事例の紹介があまりに多すぎて、一般向けの書物としてはやや難解に過ぎるのではないかとおもわれた。また「アジール」「内財・外財」のような、一般にはあまり聞き慣れないような術語が、説明なしに用いられているケースも多く、ややわかりにくく感じられた。専門家向けの学術書とは異なり、注釈をつけられないのでやむを得ないとはおもうが、もうすこし工夫があってもよかったのではないかと思われる。
またもう一つ、批判を加えるならば、評者の目からみて、第1章と第5章において、政治的なアジテーションとも思える部分があったのは、やや違和感を覚えた。とくに本書20頁の「私自身は…日の丸・君が代を国旗・国歌として認めることは断じてできない」といった記述は、そのような政治的姿勢に与することができない読者には、不快なだけではなかろうか。アジア・太平洋戦争中に「神国日本」といったフレーズが濫用され、さまざまな抑圧と差別が行われたことは事実かもしれない。しかし、だからといって、「日本」という国号(国名)が、7世紀から今日まで、常にそれと同じスタンスで用いられつづけてきたわけでもないだろう。そのような筆致・文体もふくめて「網野史学」の魅力である、といわれればそれまでであるが、もうすこし自制的であってもよかったのではないかと思われる。宇宿允人と似た信念を感じる。
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日本の歴史 第00巻
ISBN:9784062689007
・網野善彦(著)
講談社
2000/10出版
370p 20cm B6
◆内容 (出版社内容解説より)
(内容紹介)
国名「日本」は、いつ決まったのか。日本は島国で、百姓はみな農民だったのか。これまでの国家像・国民像を検証し直し、東アジアに開かれた列島の多様性を描ききった「新しい日本像」。
書誌情報
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/pocketpc/tnpr.cgi?RCODE=DB11%2FDB51%2FD10
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「つながろう」「ひとつになろう」「がんばろう」と言われ、その力が信じるに足ると思われている日本。でも、その名はいついかなる意味で定まったのか、本当に知っている人は殆どいないとこの本は断言している。新生日本の復興のためにも、日本を知らなきゃと思った。
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大学の授業で読んだ本。著者の文章がところどころ分かりづらいところがあったが、常識とされていることを鵜呑みにしないという視点を教わった。
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まあ網野無双ですよ。
書き散らしてんじゃねえ!という批判もあるみたいですがまあいいんでねえのと思います。
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日本という国号が対外的に認められるのは702と
天皇の前は、大王。
国号というものの、天皇という名称に無頓着であっては
ならない。と。
高校でならった日本史も
どんどん学界レベルでは動いているんだな。と実感。
学部で鎖国から4つの口という認識が常識といわれたときも衝撃だったけど。
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今までの歴史教科書の常識を真っ向から否定する見解は刺激的だった。「孤立した島国」「瑞穂国」「単一民族」といった日本へのイメージを虚像とまで断じ、日本の多様性をさまざまな事例を用いて説く見解は、大変興味深いものでした。
でも筆者が真っ向から否定する君が代、日の丸だが、やっぱり私にとっては国歌は君が代だし、国旗は日の丸。そこは譲れない見解の相違。
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全体を通して通説批判だったので、読んでいて爽快ではある。
通説批判だが、論理的に苦しいところはほとんどない。だから爽快感が味わえる。
「日本っていつから日本なの?」「日本人を日本人種ってとらえたらおかしくない?」「海をバリアとして考え過ぎじゃない?」「昔って米ばっか作ってたの?」
こんな問いへの答えが書いてありました。
面白かったです。けれど、分析・証明のためにたくさんの具体的な情報が載っていて、挫折を誘いそうです。
この本を読んで感じたこと。
「一般常識にするには細かすぎるな。」
網野さんは一般常識を正したいみたいだけど、ちょっと受け入れにくいかもな。
この本で述べられている内容は
①日本という国名は6,7世紀に天皇制ができて初めて登場する。だからそれ以前の弥生・縄文時代を「日本の歴史」に含めるのは正しくない。「今で言う日本という場所の大昔」が正しい。
②日本は縄文人系の在来種や弥生人とかの朝鮮系人種、アイヌ、琉球など様々な民族で構成されている。それを無視して、ひと括りに日本人とすると、日本人という人種があるように錯覚してしまう。正確に理解すべき。
③鎖国とかの元寇のイメージで、日本は海に囲まれてガラパゴスであるように錯覚してしまう。けれど、海のおかげで海運ができ、海外と交流ができる。てか、実際頻繁に交流があったことが埋もれてしまっている。それはアカン。
④「瑞穂の国日本」という言葉があるように日本の農民は米を作ってるイメージである。でも、今の日本にはたくさんの生業が伝わっている。実際、様々な物を生産・流通させていた。確かに米は主たる産業だが、それだけじゃないということも言わなきゃ片手落ちだ。
ということでした。
でもこれを一般常識にするには具体的すぎて普及しにくいと思う。
「ここ=日本!」「日本に住んでる=日本人!」「海=移動困難!」「日本人=米!」
ドン!ドン!!ドン!!!ドーン!!!! ってあっさり分かりやすいから普及しちゃってるんだよね。
「日本=6,7世紀から使われている名称」「日本に住んでる=地域によって人種は様々で特色もある」「海=障壁にもなるが、流通の重要な懸け橋でもある」「日本人=米が主流だが、地域の特色に応じて様々な産業がある」
ダラダラ♪ダラダラ♪
中学までは分かりやすくさっぱりでいいと思うし、世間で広く知られている情報を理解させるでいいと思うな。
高校でこれを教えるべきだろう。一般ではかのように言われているけれど、実際はこういう見方もできるのだ。
批判力がつくし、多面的な見方ができるようになるね。
大学生に読んでもらうと良いんじゃないでしょうか。
以上
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人生の50冊
豊かな教養のための楽読部門
日本の歴史、文化史に関する再考を促す話題作。
通説となっている「日本論」の常識を覆すのが主眼。
この場合の「日本論」の常識とは
・単一民族説
・孤立した島国説
・水田稲作中心の農業国家などである
これらの通説は大和朝廷が、随を中心とする対中外交政策として
もくろんだ神話や物語を利用して流布したストーリーであり、
無視された部分が多すぎることを解明している。
強力化する中国政権に対して、柵封制度に従うか否かが
当時の大和朝廷の最大関心事であり、
厩戸皇子を中心に進められた政策が
「柵封を受けず、自立国家として中国だけでなく周辺国家にみとめさせること」であった。
そこで有名な「日出ずる所の天子」という一文が生まれる。
この政策が中国の「天子」に対する「天皇」を制度発生させ、
柵封における蔑称であった「倭」からの独立としての「日本」の
国名を誕生させるに至と推理する。
初期大和政権の日本の国土拡張のための侵略の課程も
詳細に検討されており、
特筆すべきは、幾内の大和朝廷に対する東国の対抗軸の説明。
坂東の反乱である平将門の乱以降、
源頼朝の鎌倉幕府、徳川の江戸幕府など、
西国と東国はじつは二つの国と区分すべき存在だとしている。
私にとっては
紹介される森巣博氏の「日本国籍所有者という意味以外では、日本人というフレームワークは存在しない」という指摘が重要である。
いまの最大関心事である
「少子高齢化に対抗する大量帰化人の日本国籍取得」政策を
バックボーンで支えるかもしれない理論書になりえると感じた。
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網野史学の決算ともいうべき力作です。「人類社会の歴史を一生に例えるならば、いまや青年時代から壮年時代に入ったといわざるを得ない」から始まる。いかにも人類の社会史という観点からの壮大な試みを感じます。そして日本という国号・天皇がずっと続いてきた、日本は一つの民族だった、日本列島は一つの文化・政治圏だった、瑞穂の国だった(稲作中心)、江戸時代まで自給自足の農業経済であった、という常識を次々に否定するその筆の説得力は凄みを感じます。西尾幹二などの国粋的な歴史観が台頭している中で、非常に新鮮でした。
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http://bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2919001
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歴史家の網野氏の日本に対する考察を示した本。
2月11日は戦前の紀元節、神武天皇の即位の日という全く架空の日であり、実際日本という国号、国の名前が定まったのは、689年に施行された「飛鳥浄御原令」とされる。実際は702年に中国大陸に渡った即天武后の使者が日本国の使者と明言している。
日本は「日の本」、つまり「日出る処」を意味している。それは中国大陸、当時の唐を強烈に意識し、唐から名付けた国名と言える。
日本は海で覆われた「島国」で閉じられた世界で生活してきた均質・単一な民族、単一な国家であるというのも全く虚像であり、実際は海外との貿易を中世時代には既に活発に行っていて、民族的にもアイヌ民族を有し、国家としても琉球王国、中部以東、関東、東北と、本州列島西部とはかなり異なっている。倭人というのも、本州列島西部では重なるとしても日本人とは同一ではない。倭人と呼ばれた人は朝鮮半島南部などにもいて、新羅人となっていた。
ペルーのリマ市の1613~1614年の人口調査では日本人は既に20名いたと記されている。
メキシコにも16世紀には既に日本人が住んでいた。江戸時代の末期には能登の船がサハリン南部に赴き、商業が行われていた。これらは氷山の一角にすぎず実際にははるかに太い渡航者たちの流れがあると考えられる。
また弥生時代以降、日本人は稲作を中心とした瑞穂国日本という先入観があるが、実際には漁業や商業が日本人の職業の大きなウエートを占めていると考えられる。明治5年に作成された壬申戸籍によると、人口は約2000万人であり、78%が農民、工民が4%、商人が7%、雑業が9%、雇人が2%となっている。一方で実際には、農民に区分された人々商業、漁業、廻船業、あるいは金融業まで営んでいた者も数多くいたと推定され、その多くは一般的な農民のイメージとは異なった裕福な暮らしぶりであったと考えられる。
日本国の戸籍は律令制のもと702年にはきっちりとした形で存在した。そののち実態を失い、中世においては戸籍は作成されないが、江戸時代に宗門改め帳の形で復活する。この戸籍制度は古くは唐の制度を日本が受容し家父長制とっているが、世界の多くの国々は戸籍制度を持っていない。家父長制により女性の社会的活動が制約されている一方で、遺産相続などにおいては基本的に男女均等であり、社会の実生活の中ではその役割・権利も男性と拮抗していると考えられる。
日本の農民のイメージや、近年まで海外から閉ざされていたイメージを覆す、示唆に富む本ではある一方で、素人には専門的で読み応えがありすぎる気もします。