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福沢諭吉に関して最も有名な言葉は、明治期最大のベストセラーとも言われる「学問のすすめ」の冒頭の言葉であろう。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
川端康成の「雪国」の冒頭文「トンネルをぬけるとそこは雪国だった。」と同じくらい、日本の著作物の出だしの言葉としては有名ではないだろうか。
あまりにその言葉が有名であるだけに、その言葉は、福沢の言葉だと誤解されている節がある。よって、福沢は封建色が濃かったこの時代に先駆的に平等論者だと思われている方も多い。平等論者云々はさておいて、この言葉は、福沢の言葉ではないし、福沢自身が、本当にそう思っていたかどうかは疑わしい。それは、現代の日本国憲法で言うところの「基本的人権」という意味での平等意識はあったろうが、一般論としては、まずそうは思ってはいまい。
この冒頭文は次のように続く。
「天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らずと云えり。(中略)されども今広くこの人間世界を見渡すに,かしこき人あり,おろかなる人あり,貧しきもあり,富めるもあり,貴人もあり,下人もありて,その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。その次第甚だ明なり。実語教に,人学ばざれば智なし,智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は,学ぶと学ばざるとに由て出来るものなり。(中略)されば前にも云える通り,人は生れながらにして貴賤貧富の別なし。唯学問を勤て物事をよく知る者は貴人となり富人となり,無学なる者は貧人となり下人となるなり。」
要は、人間は生まれてきた時は誰でも裸一貫ではあるが、成長するにつれて、それぞれ差が出てくる。その違いは何か。それは、学ぶ姿勢があるかないかの違いである。しっかりと学ぶものは富み、学ばないものは貧す。おおまかに、そう言っているのであろう。
もちろん、そのこと自体が一般論であり、現代と違って、この時代、その姿勢だけで上手くいくというものでもなかったろうに。
さて、「天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らずと云えり」とあるように、「天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らず」と言ったのは、福沢ではなく、「云えり」、つまり、福沢は「言われている」と引用しているだけなのである。
では、この言葉は誰が言ったのか。その解説をし、断言し、しかもそれが信用に値するものであると思われる説明は、私は寡聞にして知らない。いずれにしても、「天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らず」と言ったのは、少なくともこの「学問のすすめ」の中では、福沢ではない。実は、このことは、ほとんど知られていない。誤解されている。
と、「福沢諭吉 快男児の生涯」は、そんなことが書いてある本ではない。
台湾への長旅で読もうと思って持っていった本である。福沢諭吉を書いた本は膨大な数になる。私もそのいくつかしか触れていないが、パッと手にした本ではあったが、読みやすいし、ノンフィクションとしてもおもしろい。純粋な、読み物だな。福沢入門編としてはお薦め。思いがけないめっけもの。昨日、今日と再読した。
議会質問も書かずにこんなことをしている。場合じゃない。
ちなみに、三田の仲間と話すときは、福沢先生という。早慶(そうけい)戦、とはいわずに、慶早(けいそう)戦という。口にすれば違和感があるかもしれないが、現役時代、全く愛校心のなかった私でさえ、自然、何度となく耳にしているうちに、違和感なく、慶早戦というようになってきた。福沢先生も。
三田のサロンを離れてしまうと、やはり、福沢先生も慶早もいわなくなってきた。