紙の本
人生の分岐点となる一瞬を描く十の短編
2000/11/17 20:57
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投稿者:風紋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ノンフィクション・ノベルは、事実を追求して再構成するノンフィクションとしては徹底しない。想像力により現実から独立した虚構の世界を構築する小説としては、生の事実に寄りかかりすぎる。要するに、腰の定まらぬジャンルである。
本書も、ヌエ的な中途半端さをまぬがれていない。
だが、話半分に読み流せば、それなりにおもしろい。著者には人間が好き、みたいなところがあって、この思いがいたるところに滲みでているからだ。
たとえば、「九十三点目の奇跡」。青森県の高校の弱小野球部を描く。夏の県予選大会で深浦高校は強豪とぶつかり、5回を終わった時点で、スコアはなんと93対0。なんとか10人の部員をそろえて、遊び半分の生徒をなだめつすかしつ大会出場へもっていった監督も、試合放棄を覚悟する。だが、選択を求められた選手たちは続行を決めた。スタンドから拍手と声援が湧きおこった。と同時に、それまで疲労と負けいくさで意気消沈していた選手たちに、明るく屈託のない笑顔が浮かんだ。試合は122対0で終了した。大会があけて最初の練習日に、1年生6人はふたたびグランドにやってきた。引き締まった表情で。野球のおもしろみ、スポーツの奥深さを知ったのである。
文章はあらい。山際淳司のような簡潔な切れ味はない。けれども、世の片隅で目立たずに生きる者に対する著者の共感、ぬくもりのある眼差しがある。
落ちこぼれにも下積みの人にも、人生の分岐点となる一瞬が訪れる。この一瞬が十の短編で描かれる。
(旅人/本の旅人)
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やっぱ書こうよ。畠山直毅!
イグ・ノーベル賞受賞記念で星追加(2004/10/01)
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この本の物語は、実は百パーセントの実話ではない。固有名詞、時間の推移、起きた事件については、すべて当事者のコメントや新聞記事の資料に基づいて書いてある。当事者が見聞していない部分のエピソードは、著者の私見と想像と希望的観測である。「 浪花デン助ブルース」で、アメリカ『タイム』誌に名を連ねたカラオケ発明者、井上大佑さん。特許をとっていれば、今頃は寝ていても年間で百億円という使用料の収入で、長者番付にのるほどの大金持ちになっていただろう。人間、金銭的にゆとりができてしまうと、仕事にどん欲になるのは難しい。
結果、井上さんの現実は、カラオケ機械による借金生活だった。カラオケ機械が人生の通過点だったからこそ、今の仕事を楽しく語る井上さんがいるのだろう。もし大金持ちになっていたら、金銭的には豊かでも、発明者、商人としての井上さんの人生は、終わってしまったかもしれない。「九十三点目の奇跡」で、工藤慶憲さん率いる深浦高校野球部。素人同然、やる気もなかった部員たちが、初めての公式戦にのぞみ、5回の時点で93対0。監督は棄権させようと思っていたが、部員たちはやる気になった。結果的に120対0という大敗で、部員たちが野球の楽しさに目覚めるきっかけとなった。それは、監督すら予期できなかったことである。「災い転じて福となった」。大敗にも関わらず最後までやり遂げたことが、大きな財産となったのである。
「踊り続けたマハラジャ」では、映画評論家の江戸木純さんがふと訪れたシンガポールのインド人街のビデオショップで、「ムトゥ」を手に入れたのがことの始まりである。時価にして数百円のこの一本のビデオテープが、シンガポールから日本に渡り、1998年の映画界に記録的な興行成績を残すことになった。脚本、カメラワーク、編集、演出レベルの高さ、主演男優ラジニカーントの圧倒的な存在感、そんな作品と出会った偶然もさることながら、江戸木さんの思い入れも普通ではない。この映画に関わったスタッフたちが、映画の素晴らしさを誰ひとり疑うことなく、最後まで信じることができたことが、成功を生んだのであろう。
出会いというきっかけと成功への情熱が生んだサクセスストーリーである。家庭で、学校で、職場で、スポーツの現場で、1分前の自分と1分後の自分が驚くほど変わってしまうような出来事がある。その「日常の一大事」は誰にでも訪れるものだというメッセージを、著者はなげかけている。
船井幸雄がこの本から学んだこと
たった今、我々が呼吸し、思考しているこの瞬間でさえ「この一秒」なのだろう。人生は、唐突である。だからこそ、おもしろい。「この一秒」が訪れた時、どう受けとめるかによって、その後の人生が変わってくる。プラスに作用する場合もあれば、マイナスに作用することもあり得る。それは当人の受け止め方次第、解釈の仕方次第ではないだろうか。
偶然の出会い、負けを経験したからこそ見えてくる希望もある。日常を当たり前と思うのではなく、常に今、生きているその瞬間、瞬間に感謝したいものである。