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紙の本
乱世を席巻した“太陽のドグマ”
2001/04/18 17:42
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:佐藤哲朗 - この投稿者のレビュー一覧を見る
近代日本の仏教諸派のなかで、一貫して最も熱い存在でありつづけた日蓮系教団。しかし明治維新後の廃仏毀釈をたくみな政治力で克服し、明治の後期まで日本仏教の地位確立に尽力したのは京都両本願寺を拠点とする浄土真宗であり、日蓮系教団は当初まったく振るわなかった。
ところが明治後期から大正、昭和初期にかけて沸き起こった"日蓮主義"運動を通じて、日蓮の思想は近代日本の国家政策を規定するまでの強い影響力を発揮するようになる。鎌倉時代からの長い伝統を誇る日蓮系教団の底力は、「立教開宗」600年以上を経て爆発した。
この運動を指揮し"日蓮主義"のイデオローグとして活躍したのは在家仏教教団・国柱会の創始者である田中智学(1861-1939)と、日蓮系の顕本法華宗管長をつとめた本多日生(1867-1931)である。本書はこの二人が「宗教運動を立ち上げた1880年代(明治中期)から、ピークを迎えた1920年代(昭和初期)までの50年間の日本社会の激動のなかで、ふたりがどのような言説によって人びとをひきつけ、どのような活動を通じて運動を組織していったのか」詳細に検証した労作だ。
取り上げられる二人のうち、特に注目すべきは田中智学だろう。彼は1880年代(明治中期)より在家信徒による日蓮主義運動を展開し、「立正安国会」(のちの国柱会)を設立、積極的な教化運動を繰り広げた。智学は日本仏教が在家仏教として進む道を理論的に意義づけ、近代という時代と果敢に格闘しながら"生きた仏教"のあり方を創出・実践した。
近代日本の"宗教改革者"として、恒に世間を賑わせた智学の生涯を貫く一本の柱は、日蓮遺文を精読した結果到達した「国体思想」である。彼は「日本国体」の発顕を通じて日蓮主義を世界に及ぼすビジョンを説いた。仏教の厭世的なイメージを払拭し、マルクス主義にも対抗し得る世界的視野と実践理論を兼ね備えた智学の"太陽のドグマ"は、当時の憂国青年たちに熱狂的に受け入れられ、後の右翼革命運動にも強い思想的影響を及ぼす。満州事変を引き起こす石原莞爾や血盟団の井上日昭、ユートピア文学者の宮沢賢治も智学の薫陶を受けた人脈に連なっている。
また、戦前から戦時中にかけて連呼された"八紘一宇"のスローガンも、国体思想の文脈で智学が提唱した成語であった。著者の曰く、「智学にとって、日本とは「建国の主義」をもった「道の国」であった。」(p256)そして智学の思想は決して現在のわれわれ日本人と隔絶しているわけではない。
長いあいだ日本は「顔のない国」といわれ、理念や理想とは無縁の国として自己規定されてきた。だがかつて日本を「道の国」と位置付け、その国体に体現された理想を全世界へ推し拡げようとした時代があった。その結末を知り恐怖するがゆえに、われわれは、「昔から顔の無かった自分」「理念や理想とは無縁に生きてきた自分」という自画像を捏造したに過ぎないのだ。(佐藤哲朗/@BODDO主催・ライター 2001/4/17)
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