紙の本
いやはや、なるほど、これが200億円の男か。
2004/01/31 15:59
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投稿者:aguni - この投稿者のレビュー一覧を見る
奥さんとは出会っていきなりダンスに誘い、学生だというのにできちゃった結婚。就職は都会に出たくないと京セラを蹴飛ばし、赤字零細企業の日亜化学に入社。会社の言われるままに仕事をしているのがアホらしくなって出した結論が、「人が正しいと言うこととは逆のことをやる」という発想。これが青色ダイオードで世界をあっといわせた男の開発秘話だ。ノーベル賞の田中さんがほのぼのキャラ代表の研究者だとしたら、この青色ダイオードの中村さんは、怒りの研究者代表だろう。bk1の書評でヤスケンも褒め称えているのも納得、である。なにしろ青色ダイオードの素材を選択する際にも会社の人間が誰も知識がないのをいいことに、「常識は疑え。人の書いた論文は読むな」の精神で学会の常識を無視し、それが成功につながったというのだから、筋金入りである。会社の命令は無視、会議にも不参加、飲み会も断り、成功のパターンは「孤独と集中」と言い切る。しかし家族と一緒にすごす時間を大事にする。会議では常識的なことしか決まらない、非常識の中からブレイクスルーが生まれる、とはよくぞ言ったものだ。うーん。中村氏はかっこいい。
考えてみれば、こんなキャラの研究者を雇い、うまく使いこなし、さらには夢物語みたいな青色ダイオードの研究を許した日南化学とその社長(後に会長)こそが、真に開発に貢献したと思える。また、中村氏に技術屋としてのスキルを身につけさせた徳島大学の多田先生の存在も忘れてはならないだろう。彼の推薦がなければ、中村氏も日南化学に入社できなかった。しかし開発に成功した中村氏は結局、社を辞め、パテントの権利をめぐって裁判するハメになってしまった。とても残念なことだ。中村氏はブレイクスルーを生み出したが、中小企業レベルのマネジメント技術しか持っていなかった日亜化学は、それをきっかけに会社としてブレイクスルーしきることができなかったのだろう。売上・人数・利益をいくら出したとしても、大きな企業になるためには会社のブレイクスルーが必要なことがよくわかって面白い。中村氏が辞めた理由は「このままではアホになる」という危機感。この危機感を会社側が持てれば、少しは違ったのだろうけれども。
この本は在庫僅少だそうだけれども、今、はやりのMOT関係の教科書にしても面白いんじゃないだろうか。増刷の検討をぜひともお願いしたい。
紙の本
四国の小企業で一人で青色発光ダイオードを発明した中村修二の自伝
2001/05/20 21:47
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投稿者:格 - この投稿者のレビュー一覧を見る
子ども向けかとすら思える、平易な文章で短いが、前半は面白い。
何年もの間、一人で孤独に、会議などにも出席せず、コツコツと研究を続けてきた、というイメージだけが有名になっている人だが、その間の事情などがよく分かる。最初の10年は、きちんと会社の言う通り、そして、人とも仲良く仕事をしてきたのだ。3年毎に新製品を生み出し、その営業までやっていたとは驚き。
しかし、それでは結局うまくいかない、作った物は全然売れない、新しいものもできない、ということで、会社の言うことはきかない、他社がすでにやっていないものを他社がやっていない方法で作ろうと決意。そして、今までの仕事の流れから、夢の技術と言われる青色発光ダイオードに挑戦する。これが長く苦しい仕事だったか、というとそうでもなく、今まで同様、ほぼ3年後には製品化のメドを付けた。ただし、一切会議などもでず、自分だけの世界に没頭してである。そして世界初を実現。このようにできた原因は、いろいろあるが、なんと言っても、著者が実験機を自分で製造、改造できる、という点であろう。結局それまでの10年がものを言っているのである。ある面ラッキーとも言える。
また、特許や学会発表を会社から止められていたにもかかわらず、自分で勝手に、じょじょに暗黙の了解の元で行うようになってきたのがものをいい、アメリカの大学教授への転身に役立ったようだ。もっともこれだけの発明をすれば当たり前といえば当たり前だ。著者のアメリカでの給料は、思ったほど高くないようだ。企業へ就職をためらったため、しかたないのかもしれない。
これだけの発明をさせた小さな企業自体もかなりのものだと思われていたが、どうも、青色ダイオード発明に関してはほとんど何もしていないようだ。むしろ、著者との対立が目立ち、イメージダウンした。
なお、最後の一章は、日本の教育システムへの怒りと提言。平凡に思えるが、成功した人だけに、説得力はある。
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特許問題で話題の中村修二の自伝書。
青色発光ダイオードの発明には非常に興味が
あったので、本屋をきょろきょろしていたら
見つかったので読んでみた。
電子工学、数学、物理好きなど共通点が多く面白く
読めた。趣味は考えることだということで徹底的に
考え考えた先に発明された青色発光ダイオード。
考えることと一度決めたことをとことんやりぬく
信念に感動した。教育問題にも触れており、
大学入試即撤廃には賛同できた。
すべての面でひきつけられる一冊だった。
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こういう方がアメリカかぶれであることが非常に意外です。編集時点で前半部分だけにしなかったことに疑問。勿論、前半部は相当面白い。
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青色LEDを発明した人に興味があったので読んでみた。面白かった。私が成し遂げた、私が成し遂げた、という感じの表現が繰り返し出てくるのが普通の謙虚な日本人らしくない。本を読んで、てっきりすべて自分で成し遂げたのかと思ったら、部下も開発に携わっていて結構重要な功績があったらしいことが、ある弁護士のサイトに書いてあった。この本は、あの有名になった裁判の中村氏側の主張を述べた本でもあるということか。
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(2004.02.19読了)(2003.04.18購入)
副題「常識に背を向けたとき「青い光」が見えてきた」
「青色発光ダイオード(LED)の特許を巡り、発明者の中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授(49)が、勤務先だった精密機器メーカー「日亜化学工業」(徳島県阿南市)に発明の対価として200億円を請求した訴訟で、東京地裁(三村量一裁判長)は30日、200億円の支払いを命じた。」毎日新聞、1月30日より
この本は、中村さんが日亜化学工業に入社し、青色発光ダイオードの実用化に成功するまでと、日亜化学工業をやめて、カリフォニア大学に行くまでの話が述べられています。
中学・高校では、バレーボール部をやりながら勉学に励んだそうです。高校3年では、普通、受験のために部活はやらないのだけれど、部員が少なかったので続けたとか。
理論物理学者か数学者になりたかったが、高校の担任の先生の理学部では食えないから工学部にしなさいという言葉に従ったということです。
大学3年の時の固体物性の講義がきっかけで材料物性を扱った物理学に興味を持ち、卒論も材料物性を扱った「半導体チタン酸バリウムの電気伝導メカニズム」だった。
大学院の担当教授は、実験を重視し、予算が少ないため、実験道具も自分たちで作っていたそうです。この経験が、青色発光ダイオードの発明に繋がってゆくのだから面白い。
学生時代に奥さんと知り合い、できちゃった婚で、大学院一年の時に結婚しているから驚き!就職はいったん京セラに決まっていたが、子供もいるし、奥さんも既に勤めているので、徳島県に残ることにして教授に紹介してもらったのが日亜化学工業でした。
入社して10年の間に、ガリウム燐とガリウム砒素、赤色LEDと3つの製品開発に成功している。この後、挑んだのが高輝度赤色LEDです。社長に直訴して許可を得た。
製造技術を学ぶため、フロリダ州立大学工学部へ、一年間留学もさせてもらいました。
青色LEDを作るための材料としては、セレン化亜鉛と窒化ガリウムが考えられていたが、セレン化亜鉛の方が有力視されていた。多くの人が有力と見て、研究しているものに、後から参加しても勝ち目はないと考えて、研究者の少ない窒化ガリウムを選び研究を進めた。
大学院で学び、会社へ入ってからも続けることになってしまった、実験装置の自作のおかげで、ついに青色発光ダイオード(LED)の製品化に成功。
途中、セレン化亜鉛での青色レーザの成功のニュースを聞いて落ち込んだりもしたけど、よく聞いてみると非常に寿命の短いものであることがわかり気を取り直して続けるということもあった。
青ができたことにより、交通信号が非常に見やすい発光ダイオードになりました。従来からの電球を使った交通信号では、日の光の加減では非常に見えにくかったのですが。しかも非常に寿命が長いとか。
最後に日本の教育制度について述べている部分がありますが、僕には、的外れな意見のように思えました。自分を生み出した教育制度を否定しては、自己否定になるのでは?
読んでみると、青色発光ダイオードの発明なんか不本意だったのかもしれませんが!
☆関連図書(既読)
「考える力やり抜く力私の方法」中村修二著、三笠書房、2001.02.25
著者 中村修二
1954年5月22日 愛媛県生まれ
徳島大学工学部電子工学科卒業
徳島大学大学院修士課程修了
1979年 日亜化学工業株式会社入社 徳島県阿南市
1993年12月 高輝度青色発光LEDの世界初の実用製品化に成功
1995年 青色半導体レーザの室温発光に成功
1999年 日亜化学工業株式会社退社
2000年2月 カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授
(「MARC」データベースより)amazon
21世紀の光といわれる「青色発光ダイオード」を開発し、ノーベル賞に最も近い男と評される著者が、日本を離れて実感した、この国の企業や教育の矛盾点。新しい日本と日本人の誕生を熱望する書。
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中村氏の人となりが伝わる読み易い作品。仕事に対する情熱だけでなく、現在の日本の受験システムの変革を提言。この熱意は自分も見習いたい。ちょうどテレビ東京"ルビコンの決断"で氏の特集を放映(7/30)、こちらもチェック済。
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2014年にノーベル物理学賞を受賞した中村さんの怒りの本。
本の帯には、「もっと怒れ、もっとキレろ。」と書いてある。
まさに、最初から最後まで怒っている。
日本の学閥とは無縁。
中小企業での研究、しかも社長命令を無視して研究に没頭し、文字通りならたった一人で、当時技術的課題が多すぎて研究する人も少なかったGaNで青色発光ダイオードの開発に成功。
ノーベル賞を受賞した日本人の中ではかなり異色な研究者であろう。
中村さんは本当に固体物性が好きで、改良に改良をを重ねて青色発光ダイオードを作った。この本にはその過程が丁寧に描かれているが、特に技術的なことが本当にとても分かりやすく書かれている。この人は本当に技術が好きなんだろうということがわかる。
研究に没頭しすぎた結果、またはキレてしまった結果、周囲と同調することを辞め、会社からは反感を買ってしまい、最後には退職金も受け取れずに会社を辞めたという。
研究者を目指していても、なかなか中村さんのようにはなれないと思う。目指すのも難しいと思ってしまう。
この人のエネルギーはものすごい。
できるだけ怒らないように、キレないように生きている私には決して出せないエネルギーだと思った。