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重松日記 みんなのレビュー

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みんなのレビュー5件

みんなの評価4.4

評価内訳

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紙の本

必読!日本の「夜と霧」——原爆投下から56年、『黒い雨』出版から36年めにして陽の目を浴びた日記。井伏鱒二の記録文学『黒い雨』の第一資料となった被爆者の生々しい回想。

2001/10/24 12:05

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る

 こういうことがあるのだなと感無量になる出版物である。巻末の解説によれば、重松静馬の遺志により、「重松日記」の原本は門外不出文書として重松家に眠り続けていたということである。
 この日記を第一資料として執筆された井伏鱒二の『黒い雨』は野間文芸賞を取り、原爆文学の最高峰としての評価を受けた。井伏は、その成功によって文化勲章を授与され、ノーベル賞候補とも言われることになる。共著ということにしたいと申し出た井伏鱒二に対し、彼に深い尊敬の念を抱いていた重松氏は、資料提供者になれただけで満足と、申し出を断ったという。
 比較検討されないまま今日に至った『黒い雨』と『重松日記』——このまま価値ある『重松日記』を埋もれさせまじと動き、校閲の労をとられたのが、解説者の相馬正一氏である。編著者として名乗られるべきところ黒子と徹しておられるのは、やはり重松氏の潔さに準じたのであろうか。ともあれ、この凄まじい記録を読みやすい現代仮名遣いで渡されたことの意味の重さを、読者である私はずしりと受け止めずにはいられない。
 8月6日〜10日を記録した「火焔の日」、8月7日〜13日の記録「被爆の記」、8月14日〜15日の記録と後記「続・被爆の記」に加えて、やはり『黒い雨』のモデルとされた岩竹博氏の「広島被爆軍医予備員の記録」や「重松静馬宛井伏鱒二書簡」も収録されている。 
 猪瀬直樹の快著『ピカレスク』で偶像破壊された文士・井伏鱒二が、『黒い雨』に関する限りどのような執筆姿勢で臨んだか、その文学的判断を下す力は私にはないけれど、どうやら「盗作」の汚名はここでは返上されるようだ。
 しかし、この本の価値は文学的云々よりも、その生々しい被爆描写そのものにある。「痛い」と感じる抹消神経さえ一瞬にして焼かれた人たちが、やけどで赤味の肉をさらしたまま平然とさ迷い歩く焼け野原。死骸のそばを通ろうとすると、腐臭を放ちながら歩く自分のところへ蝿の群れがまとわりついてくる。ぱっくり割れた背中の傷に蛆虫がたまってしまうという人。即物的な表現に何回か吐き気がした。が、ここで書かれているのは、そのような即物的な地獄絵だけではなく、本人をも含む広島の人びとの感情、思いにも及んでいるのだが、それすらが何か即物的という印象なのである。魂が抜かれた人間の記録——そこに寒気が走る。
 原爆を投下して虐殺を行い、覇者となりし人びとが、今また愚行を繰り返しているこのとき、まさに奇跡のようにして出版されたこの本が、できるだけ多くの人の目に触れることを願ってやまない。

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紙の本

何が足され、何が引かれたのか

2003/10/01 00:32

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:北祭 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 『黒い雨』はいつまでも心に残る作品である。“被爆”をありのままに書く淡々とした文章が静かに心に突き刺さる。
 井伏が『黒い雨』を執筆するにあたり参考とした日記があったのは有名である。それは重松静馬による「重松日記」という被爆日誌であった。ついにその日誌が清書・校閲され本書という形をとって今に甦ったのである。
 開高健はサントリーのキャッチコピーで「何も足さない、何も引かない」といったが、お酒ならばいざ知らず、小説ならばそうもいかない。井伏は「重松日誌」から何を足し、何を引いたのか。それを読み取ることで、『黒い雨』という作品に一歩迫ることができるに違いない。そう思いつつ本書を手にした。

 まず、重松静馬その人の日記の表現力に脱帽である。『黒い雨』の閑間重松が清書を続ける「被爆日記」の骨格は概ね「重松日記」そのものといってよい。つまり、重松の被爆直後の足取りや会社でのエピソードは創作ではなく、無骨な文章もそのままに井伏は採用したのである。だが、さすがに「重松日記」は実体験であるからだろう、死体や蝿の描写は『黒い雨』を越えている。原爆による惨劇という現実の重みを改めて感じる。キノコ雲への立ち竦み震えるほどの凄まじい恐怖心…。

 長谷川三千子は『からごころ』で書き下ろした「黒い雨—蒙古高句麗(ムクリコクリ)の雲」の中で『黒い雨』にある“「敵」の睨み”について指摘している。重松が被爆直後、手がぶるぶると震える理由を語る場面がある。—「敵が、あまりにも睨みを利かしすぎるからだ。正体も知れぬ光で、僕の頬も左側を焦がしたからな。為体が知れぬ怖さだよ。これが即ち睨みだな」
キノコ雲を“蒙古高句麗の雲”と呼び、“「敵」の睨み”を表現したことで、原爆の恐怖の真髄へと踏み込んでいるという。それが本書の「重松日記」にはなく、すなわち井伏が『黒い雨』で“足したもの”であることが分かる。井伏が書きたかったことの一つであることは間違いない。

 本書の末尾には“重松静馬宛井伏鱒二書簡”が26通ほど紹介されている。これは貴重である。重松は子孫のために「重松日記」を執筆したのであったが、これを丁重に井伏に献上していたようである。現地の状況や姪のその後の病歴の調査など取材にも協力していた。小説の修正依頼もしていたようである。『黒い雨』の執筆は、井伏と重松との二人三脚であったのだ。同時に『黒い雨』は文豪・井伏から友人・重松への最大の贈り物でもあったのである。そのことが最後の注で身にしみた…。
<重松は自分の悲願を叶えてくれた井伏を生涯尊敬し、井伏の了解を得て『黒い雨』の単行本に“重松静馬”と署名して友人知己に贈ることを無上の愉しみにしていたという。(重松文宏氏談)p.271>

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2014/02/27 12:54

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2015/11/08 13:46

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2022/10/02 22:49

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