紙の本
世界レベルで起きている競争
2002/04/20 19:08
7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
競争を和らげるだ? 馬鹿も休み休み言え。出来ない坊主は切り捨てろ。そして日本国籍を剥奪し、インドかアフガニスタンかスーダンへでもたたき出せ。勉強が出来ない、したくない連中に目線をあわすな。日本は世界レベルで展開されている競争に勝ち残っていかねばならない。そのためには勉強、勉強、また勉強の連続だ。勉強する気が起きない、勉強しなければわからない奴は、ほっとけ。分からなくて良い。そういう奴らは死ななきゃ直らない連中だ。そんな連中にエネルギーを割くな。
砂に水をまいても仕方ない。出来る子、やる気のある子を大切に。
そういう子のみが、明日の日本の希望だ。
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05-04-12
教育学者の苅谷剛彦氏は、その著書「階層化日本と教育危機」の中で、インセンティブ・ディバイド(incentive divide:意欲の格差拡大)という現象を、意欲をもつ者ともたざる者、努力を続ける者と避ける者、自ら学ぼうとする者と学びから降りる者との二極分化と、降りた者たちを自己満足・自己肯定に誘うメカニズムの作動だと説明しています。そして、社会階層が、その格差拡大に影響を与えているといっています。そのデータとして、次のような調査結果をあげています。
'79年と'97年における親の学歴や父親の職業の調査を基に、社会階層得点を算出し、その子どもである高校生を社会階層得点の上位、中位、下位の各グループに分けて比較した。すると、学習時間の低下は、上位ではあまり差はみられないが、中位、下位では顕著に減少しており、「授業がきっかけでもっと詳しく知りたくなった」と思う生徒は、やはり中位、下位で大きく減っていることが分かった。
上位のグループは、受験競争がもたらした外側からのやる気の誘因(インセンティブ)が低下しても、それを見抜き、私学へ通ったり、塾へ通ったりして、学力の保持に努め、さらに、自ら学ぶ意欲をもつことが容易であると苅谷氏は分析しています。
下位のグループは、自ら学ぶ意欲をもつことが困難であり、学校での成功をあきらめ、学習から<降りる>ことによって自己を肯定することができると分析しています。したがって、それらの生徒を<降りずに>いさせることは、かえって自己の有能感を奪うことになるといいます。
社会階層間における格差の不平等をこれ以上拡大させないためには、小学校段階に基礎学力の手厚い教育を行うこと、学校卒業後の雇用にかかわる社会的なセーフティネットや専門大学院教育を充実させることが大切であると刈谷氏は提案します。小学校段階で、初期の学習理解度や学習意欲の格差を抑える。加えて、20代での試行錯誤を認め、20代後半までに安定な雇用を実現させる。仕事に就けない状況を本人の自己責任だと決めつけず、専門教育や職業訓練を受ける期間と費用を保障するなどの社会的なセーフティネットを構築する。また、教育の最終的な選抜を大学入学時点から大学院入学時点へシフトさせることが大切だといいます。
苅谷氏のことは3年前から知っていましたが、その時は、苅谷氏の発言をヒステリックな学力低下論者の一人としか見ていませんでした。しかし、この本を読むと、社会学的な手法を用いた豊富なデータを基に理論を構築していることが分かりますし、また、今、問題となっているフリーターやニートの問題にまで言及しています。今日の朝日新聞の一面トップに、フリーターやニートのための社会的なセーフティネットについての記事がありました。まさに、苅谷氏の考えている方向へ動いています。
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ちょっとでもこの手のことに興味がないと読みきるのは難しいかもしれないと思います。
「学校で学ぶ意味が見つからない」と当の本人たちは言うし思うだろうけど(私ももれなくその性質だったし)学歴は確実に将来に繋がるんだよね。
こんな言い方するとあれだけど、適当に要領よくやってればそれなりの学歴は手に入るからガンバレと言いたいとき、説得できる根拠のない人はこれをオススメするといんじゃないかな。データとか資料の多い本だから、それなりに難しいし読みきるの大変だけど、読めば少しくらいがんばろっかなと思えるかも。
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島の図書館にはなく、
わざわざ都内の図書館から取り寄せてもらって借りた。
そうまでしてでも読む価値のある本だった。
今までに読んだ「格差」関連のどの本よりも、
説得力があり、内容が濃い。
これに比べたら先に読んだ「下流社会」なんかは、
とても薄っぺらに思える。
なんとなく違和感を感じていた日本の学校の「平等主義」の実態が、
なるほどそういうことだったのか、と本書を読んで腑におちた。
そしてこれを読むと、
「格差社会」は何も最近の時代の変化で始まったことではないのだ
ということがわかり、また
今の教育行政の方向性の誤りがよくわかる。
素晴らしい本だが、
さすがに4000円近くを出してまで購入したいとは思えず、
こういう本が自分の住む島の図書館に備えられていないのは
つくづく残念なことだなあと思ってしまった。
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発売当初、朝日新聞の書評を読み、興味をひかれ、即購入。
どうあっても、不平等。
金をかければかけるほど、学力は「買える」ものらしいけど。買った学力の賞味期限って、短そう。
驚いたのは、この頃の学校、「学力平均」の子のイジョー少ないこと。つまり、デキすぎと、デキなさすぎの差があまりにも大きくて、平均するとそんなもんになるだけで、平均層のボリュームがあるわけではない。
どう考えても、信じられない。国語で、満点をとるって、それ、なに?
それは、答えを「知っている」んでしょ。
いまの教育、おかしい。
教師の子が塾へいく。曰く、「だって学校の勉強じゃ足りないから」。信じられん。あんた、それ、正気で言ってるん?
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修士論文を書いているときに参考文献として一部読んだが、それ以降放置だったので久しぶりに手にとって最初から最後まで読んでみた。
ものすごく洞察力に飛んだ本だと感じた。また、随所で「適切」な分析が行われており、分析の効力を最大限に発揮させているという点においても素晴らしい本だと言える。
一方で、専門書んでありながら、一般の人が読みやすい文体となっているところも、個人的には素晴らしいと感じている。(他の学問でも同様だと思うが、)社会学は、社会学独特の言い回しや独自用語によって、社会学を専攻している人以外からしたらとても読みにくいものとなっているものが多いが、本書はそういった文章の"癖"がなく、さらには言葉遊びや社会学独特のポエム感もほとんどなく、ましてや「ポップサイエンス化」させているわけでもない状態で研究の本質を読者に伝える事を可能にしており、畏敬の念を抱かずにはいられないほどの素晴らしい文体となっている。
本書が出版されたのは2001年であるが、本書6章で論じられている自己責任の考察に関しては今でも圧倒的な説得力を発揮していると感じ、そういった意味でも素晴らしい本だなと感じた。
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階層化日本と教育危機
不平等再生産から意欲格差社会へ
苅谷剛彦
有信堂高文社
「学校は社会の平等化に寄与するよりも、不平等を再生産する装置である」
こうした教育の捉え方はその筋の研究者の間では定説になっているとのこと。
しかも最近わかった話ではなく、1970年台には次々と研究成果が挙がっていた話のようだ。こうした本を手に取るような人には常識だったのだろうか。私は初めて知った。
本書では、不平等の再生産について統計分析に基づいて主張する。そして、再生産された不平等が何をもたらしているかについて分析していた。
ここでは詳しく述べないが、上記に加えて以下の点について詳述されていた。
・現状の教育政策が、なぜそれを見逃しているのか?
・目指す理念とは裏腹に、事実として発生している不平等は何をもたらしているのか?
・自己責任社会への提言で見過ごされていること。
・現状の教育政策の問題点と解決のための提言。
久しぶの硬派な読書となり非常にハードだった。
教育における平等とは何か、どういうことなのかをとても考えさせられた。
これまで自分が知る範囲の教育に関する議論は
なぜか空回って見えて首をかしげるばかりだったが
この本は勉強になることが多かった。
本書ではデータに対して統計分析が随所に見られる。
私は統計に詳しくないので、著者の操作が妥当なのかはよく分からない。
しかしながら、分析の前ではどういう意図と目的で分析操作を行うかの説明があり
分析結果についても丁寧な説明がついている。
著者を信じる限りは、統計に関する予備知識はなくても読める。
統計分析について、1点だけ気になった点を挙げると
導き出された有意な違いについて程度の大きさをどう受け止めればよいかのか
私にはよく分からなかった。統計への理解が足りないだけなのかもしれない。
本書でも違いの存在の指摘はあっても、違いの大きさへの言及はないように思う。
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著者の考え方が基づいているという、フランスのブルドューの格差理論が参考にできる、と先生に勧められて読んだ。
ブルドューそのものの理論がどこで引用されているか、明確にわかる箇所は期待していたほどなかったけれども、教育社会学という分野の中で、「実証分析」による貢献を果たすとはこういう文献のことなんだと知った。著者自身は「単なる論文集」ではないと断っているが、各章はまさに一つの論文の形式。これまでの実態、理論の展開から始まって、明らかにしようとする仮説を述べ、実証の行い方を精緻に記述している。分析には、これまで述べていたこと以外の思い付きや著者自身の「感覚」に基づく考察は行わず、あくまで数字から読み取れることを、理論と照らし合わせて説明する。
読みごたえは大変大きかったが、実証研究の姿勢として、自分が行おうとする研究とも比較しながら、何度も立ち止まって(読むのを止めて)考えさせられた。
「どれだけ頑張るかを、個人の自由意志の問題とみなす限り、その背後に社会階層の影響があることに目は向きにくい。能力の差異をより重視する能力主義型のメリトクラシー社会であれば、社会階層と教育達成の不平等により多くの目が注がれやすい。それと対照的に、努力=平等主義を基調とする日本型メリトクラシーにおいて、メリトクラシーの信奉は、能力の階層差を隠すにとどまらない。それは努力階層差をも隠すことにより、教育達成の不平等を二重に隠蔽するイデオロギーとして機能するのである。
と同時に、日本社会の分析から得られたこの理論的視座は、能力主義を基調とするメリトクラシー社会においても、能力の階層差にとどまらず、努力の不平等が組み込まれている可能性を示唆する。(中略)こうした社会の教育による階層「再生産」においても、努力の階層差が隠れた要因として作動してきた可能性を否定できないからである。(後略)」p159
「ところが、私たちの平等観は、こうした不平等の実態(事実)に根差すよりも、処遇の画一性に目を向ける日本版「結果の平等」に横滑りしてしまう。というのも、すでに3章で明らかにしたように、戦後の私たちは、平等・不平等の実態よりも、感覚としての平等感・不平等感にしたがって、社会の平等・不平等を問題とすることに慣れ親しんできたからである。」p175
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苅谷剛彦氏『階層化日本と教育危機』(有信堂、2001年7月、東京)のアプローチは教育を階層の視点から捉えようとする点で、私が教職に就いて以来持ち続けてきた問題意識と符合するものである。しかし氏の理解は国際的視野に欠けている。高度経済成長と高校教育の普遍化により、世界経済の中における日本民族全体(いくらかの被差別者を除いて)の階層を上昇させたのである。しかし主に他のアジア諸民族の興隆により、その手法はほころびを見せ始め、それが現在の「リストラの嵐」と若年層「就職超氷河期」を作り出している。
メリトクラシーの利益を享受しようとする限り、ある特定民族内にメリトクラティックな学力を持った個人が集中しているとは考えられず、グローバル化の進展によって、民族内上層は世界の上層に、民族内下層は世界の下層に属さざるを得ない。民族主義的な回避法は、民族全体のメリトクラティックな学力を上げる新たな手法を編み出すことか、メリトクラシー以外のグローバルスタンダードを確立することである。国際主義的な回避法は、世界全体の収入格差を狭めることであろう。
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入手して一気に読んでしまった本。
読了直後の、まだ考えがしっかり纏まっていない段階で、心底「損をした!」と思ったことを覚えている。
勿論、内容に不満なのではない。その逆だ。
このような内容の本が既に2001年に出版されていたこと、それを全く知らなかったこと。苅谷氏の言説に触れるのが、他の読者より7年も遅れてしまったことが残念で残念で仕方がない。
「目から鱗」とはこういう気分の時に使う言葉なのか。
この本に触れ、私の「ゆとり教育」に関する評価は少し揺らいだ。
山田昌弘氏の「希望格差社会」よりも分析は深く鋭い。
「再生会議」のおじさん達は、この本は読むどころか存在さえも知らないだろうな。本書の内容が少しでも頭の隅にあれば、提言の内容があのような寝惚けたものにはならなかった筈だ。
(でも、著者も「"再生"会議」のメンバーにはいっていた筈だが・・)
巻末に簡単な提言はあるが、基本的には問題点の指摘に終始している。学者はそれで良いのだ。その問題点をどう捉え、施策を進めていくかは為政者の仕事だ。
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日本のメリトクラシーの歴史的背景がわかって面白かった。インセンティヴ・デバイドについては本田由紀も言っているが、努力イコール勉強と捉える限りにおいてはそうなのかなと思う。
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http://www.yushindo.co.jp/isbn/ISBN4-8420-8525-8.html
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内田樹が「下流志向」(こっちは読んでないけれど)の下敷きにしたということで興味を持ち図書館で借りてみる。
アンケート方式の調査を元に統計的手法で日本社会の階層と教育の関係に迫る。2001年の出版で、定かでないが時代的にはゆとり教育批判の嚆矢にあたるのではないかと思う(齋藤孝がブレイクしだしたのもその頃)。まず1950年代からの時系列データでもって、日本社会に階層と教育の移動があったことを確認する。次に、能力主義の影で差別が不可視化されて日本的平等感が生まれたことを説く。さらには、学歴貴族の没落、ゆとり教育下での学習意欲格差拡大へと展開していく。
非常に腹に落ちる議論だった。いくつか思ったところを挙げると。。。
・基本的にいくつかのアンケート調査によっているので、回答と「本当の」意識、行動との差から生じるバイアスの影響はあるだろう、統計的手法も絶対ではなく数値化なんか適当なものだ、あくまでも仮説と解釈がモノを言う点は要注意。
・せまい集団内の差異ばかり気にしているから処遇の平等を結果の平等と履き違えてしまうというのは痛烈な批判だ。
・学歴批判が反知性主義・反教養主義に転じているのはそのとおりだろう。これは日本人の骨の髄に割りとしみこんでいるのではないか。だれかが書いていたが「ごくせん」や「GTO」をなぜもてはやすか?という話にもつながる。
・能力主義の競争から「下りる」ことが自己肯定につながるというのも納得。しかし、これは別に今に始まった話ではなく人間心理の一般的なメカニズムであり、ボクの周囲にも、ボク自身の中にも実体験としてある。また勉強ができなくたってどこかに自尊心を持つということ自体は必ずしも悪いことばかりではない。むしろ必要なことだ。問題は、そのメカニズムが階層とリンクしてあまりにも亢進していること。
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階層の再生産について、教育という観点から論じている。久しぶりに大学の授業を思い出した。本書で注目すべきは、学習への努力や関心も格差が拡大しているという事実を明らかにしている。貧しくてもハングリー精神があった過去の時代とは変わってきているのであろうか。また、そのような、「学びから降りる」人たちが逆に自己肯定・自己満足へと向かうというのも意外な事実であった。このあたりの個々人の具体的な心理についてはもう少し詳述が欲しいと感じた。