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紙の本
死は生の対極としてではなく、その一部として存在している(村上春樹『ノルウェイの森』より)
2003/06/24 01:11
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投稿者:koeda - この投稿者のレビュー一覧を見る
発売後すぐに手に入れたものの、この本を、私は通して読み終えた事が一度もない。
必ず途中でツボにはまって泣いてしまうからだ。
しかも、読むたびにツボのページが違う。全編、ツボだらけ。
(最初、背表紙が包帯の生地でくるまれている装丁を見た時点で、早くも半泣きした。)
瀕死のエッセイストは、瀕死なわりに活発に動き回る。
街にも出るしバーにも通うし、真夏の海辺にすら出向く。
そして、どんな場所でも、常に死を傍らに引き連れている。
太陽の眩しく照りつける砂浜で、若者の溢れる賑やかな通りで、
どんなにありえなそうな場所であっても、死は想われ、語られるのだ。
だって、絶対に死なない人など、それこそありえないのだから。
読むのを中断し、泣きながら考える。死ぬってどんなだろう?
難しすぎてよく分からない。
でもお母さんが、お父さんが、お姉ちゃんが、大好きな彼氏が、
長い付き合いの友達が、死んでしまったら…
その悲しみはどこまで暗く、深いだろう? そこから這い上がって、再び力を得るまで
どれほどの時間と努力が要るのだろう?
そこまで考え詰めた時は、大抵、泣き疲れて眠ってしまう。
そういえば、「眠ってる時って、死んでるようなもんなんでしょ?」と
言ってた人がいたなぁ。
エッセイとは「書き手の日常と、日々思っている事を発表する場」のような
ものだとする。(正しい定義があるのかもしれないけれど、よく知らない。)
とすれば、全ての人間に共通し、誰しも必ず経験する出来事についての
様々なエピソードが淡々と、真摯に語られる本作は、真に正しいエッセイの姿だと
言えないだろうか?
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