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御三家歌謡映画の黄金時代 橋・舟木・西郷の「青春」と「あの頃」の日本 みんなのレビュー

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紙の本

高度経済成長期の心情の歴史

2001/12/02 16:49

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:たけのこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 高度経済成長期は日本映画斜陽の時代でもあって、低予算で集客が見込めるアイドル主演の歌謡映画が大量に制作された。低予算だということは、時代劇映画のように豪華なセットを組むことができず、必然的に現代の日常生活を舞台にするしかなくなることを意味する。橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦の御三家主演の青春歌謡映画は、そのような時代を背景としている。

 しかし——「日常を地を這うようにして描くということは、時代や社会を的確に描き出すということにダイレクトにつながっていく。おりから時代は高度経済成長まっさかりの時期を迎えていた。歌謡映画の前には、空前絶後の激動の時代が、描いてくれと言わんばかりにお誂え向きのかっこうで横たわっていたのである」(p.13)。そういう視点から、御三家歌謡映画を読み解く「文化研究」がこの本なんだという。

 もっとも、地方から都会への人口移動であるとか、産業構造の変化、進学率の上昇といった高度経済成長期の社会変動はなにもわざわざ映画から学ぶまでもなく、社会科ないし社会学の教科書にかならず書いてある。この本が面白いのは、そういった時代の変化が、友情や恋愛、性、親子関係、上京……といった青春のテーマとどのように結びついていたかを、微に入り細をうがつようにマニアックにとうとうと語る、その語り口によるところが大きい。

 しかも「純潔教育の理念を支える病いという戦略」(p.24)、「記号としての信州なるものの意味」(p.38)、「高度経済成長期の夢」(p.60)といった本筋の議論をしばしば脱線して、たとえば『いつでも夢を』(1963年)における吉永小百合と浜田光夫と松原智恵子のスターの序列を語り、橋幸夫はなぜ大型トラックの運転手という役どころで登場するのかの謎を解く。そういった芸能ネタへの傾斜がまた楽しい。舟木→西郷→橋、舟木→西郷→橋と三者の主演映画を「不公平のないよう順番に」(p.161)とりあげるところは、あたかも『ロッテ歌のアルバム』の玉置宏のような心配りである。

 本筋に戻れば、舟木一夫の名曲をフィーチャーした『仲間たち』(1964年)で、浜田光夫と松原智恵子の恋人同士は、「こともあろうに」(p.146)石油化学コンビナートの赤い炎を見て「きれいだなあ、あれ」と会話を交わす。いまでは、だれもそこに美を感じたりなどはしないであろう。また西郷輝彦の『恋人を探そう』(1967年)には、受験戦争のさなかに友人から握り飯を「おい、食えよ」と渡され、それを西郷がうまそうに食う場面が出てくる。著者はそこに上杉謙信が武田信玄に塩を送ったフェアプレー精神、「当時の人々の気高さ(!)」(p.117)を見る。心情や感覚がいかに時代と分かちがたく結びついており、それらがたんに時代に制約されるばかりでなく、いかに同時代をともに生きた人びとの郷愁にまで結晶化していったかを認識させられる。
【たけのこ雑記帖】

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紙の本

当時の日本人の平凡な日常を描いた“御三家歌謡映画”を通して高度成長の功罪を読むユニークな映画文化論。

2001/12/27 03:15

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:橋本光恵 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 “歌謡映画”。何と懐かしい響きだろう。遥か遠い昔、たくさんの歌謡映画が作られていた……唯一の娯楽として映画が量産され、あらゆるジャンルの作品がひしめいていた時代。それは同時に日本が第二次大戦の荒廃から這い上がり、昇るしかない勢いで進んでいた昭和30年代の経済成長の時期と重なっていた。美空ひばりが映画の中で歌うミュージカルのような歌謡映画もあれば、石原裕次郎が映画の主題歌を歌った歌謡映画等もあった。が、ここで扱っているのは、テレビの台頭で映画に斜陽の翳りが見え始めた昭和40年代の歌謡映画。テレビの隆盛に煽られて彗星のごとく歌謡界に君臨した“御三家”と称せられた三人の若者たち、橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦が主演した歌謡映画である。映画は社会や時代を反映する鏡とはよくいわれることだが、往年の映画スター主演作や大監督の芸術映画の陰に隠れてひっそりと咲いていたという印象(しかし確実に観客は動員していた)の“御三家歌謡映画”を通して、“あの頃”の日本を分かり易く分析するというユニークな切り口の映画論が本書である。沈滞ムードの“平成”にうんざりして、人々が未来を信じていた“昭和”を懐古する動きがサブカルチュアの世界でも如実にうかがえる昨今だが、遠ざかって客観的に眺めた時に鮮明に浮かび上がってくる真実もある。当時の日本人を取り巻いていた平凡な日常を描くという特徴をもっていた“御三家歌謡映画”は、すでに行き詰まりを見せ始めた高度成長期以降の流儀や価値観の歪みをさりげなくだが確実に映すことになっていたのである。

 著者は現在立教大学文学部教授。これまでに『純愛の精神誌—昭和三十年代の青春を読む』『望郷歌謡曲考—高度成長の谷間で』等の著書があるが、本書は平成11年と12年に学生たちを巻き込んで“歌謡映画”に取り組み、その成果をまとめたものだ。「歌謡映画とは何だったのか」というプロローグに始まり、「『いつでも夢を』と定時制高校」「『高校三年生』の初キッス」「『仲間たち』と集団就職」「『江梨子』の身分ちがいの恋」等、エピローグ「歌謡映画からテレビドラマへ」までの全12章を、作品紹介と場面写真を織り込みながら独自の論説で詳細に分析している。そしてその目論見は何ともポジティヴで壮大なものだ。

「歌謡映画は現代のわれわれにとって単にあの時代の証言者であるばかりでなく(略)……ひいては混迷する現状打開のたの助言者・道案内人たりうるかもしれないのだ」(プロローグより) (bk1ブックナビゲーター:橋本光恵/ASIAN POPS MAG.編集長 2001.12.27)

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