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映画「自殺サークル」を違った視点で漫画化。虚ろな女子高生たちが唯一の救いの主「光子」とともに集団自殺し、その中で一人生き残った少女が次の「光子」になるという、悲惨な循環経路を描く。http://mituko.org/を見れば怖さも増幅。(A)
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漫画も怖かったけれども
映画もすごかった..
やっぱり最初の集団で電車に飛び込むシーンが衝撃的でした
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冒頭からショッキングな作品。
何しろ女子高生が駅のホームに手を繋いで一列に並んで
「せーの、
いっせーの、
いっせーの、
いっせーの、せっ!」
で集団飛び込み自殺をしちゃうんですから。
リスカが止められない、心の溝が埋められない
女子学生たちが信奉する『光子さん』。
光子さんが「みんなで死にましょう」と言えば
信奉者の彼女たちは何の抵抗もなしに自殺してしまうのです。
そして電車飛び込みで唯一死ねなかった甲田小夜は……
とにかくかなり衝撃的な内容で、一気に読んでしまいました。
自傷でしか心の安定を図れない彼女たち。
それを微笑んで「私の可愛い子たち」と受け入れる光子。
苦しいところに現れた彼女はまさに救世主なのでしょう。
小夜の不安定な心、「あああ…」と呻きながら
自らの手首を切り、売春をして自分を傷つけないと
辛くて生きていけない小夜…
幼馴染みの京子は彼女の異変に気付いていて
何度もそういう行為をやめるよう小夜に説得をしますが
精神的健常者である彼女には小夜の深い悩みを背負い切れず。
『光子さん』は伝染します。
前の『光子さん』が死んでも、また誰かが
新たな『光子さん』になるんです。
「光子は伝染する…!?」
京子が恐れたこと。
それは事実なんです。
『光子さん』を中心にした『自殺サークル』は
リーダーもメンバーも入れ代わりながら、
それでもずっと続いていくのです。
なんていうか、痛々しくて読んでいて苦しくなります。
当然ハッピーエンドにはなりませんし。
正直、これは中高生には読ませたくないな、と思いました。
奥にある深い悩みよりもショッキングな集団自殺に
興味を持ってしまいそうで…生徒には絶対読ませたくない。
個人的にはこういう怖いのは大好きなんですが(;・ω・)
小夜が京子に問い掛ける場面がツボりました。
「私と親の関係はわかる
私と京子の関係もわかる
じゃあ私と私の関係は?
私は私に関係あるの?
光子さんが私の代わりになってくれていたから
私は私との関係が持てたの
でももう私は私と関係のない私だから
私なんてどうなってもいいの」
「わからないのはあなた(京子)があなたを失っていないから…
いいわね…
あなたがあなたの関係者でいられて」
私自身が『自分自身は何のため、誰のために生きてるの?』と
常々考えているので、活字でこういうものを見ると
思わずどきっとしてしまいます。
私、私のために生きてないから。
自分と自分の関係が分からない。
ぐさりぐさり。
絡められたネットが明らかに2ちゃんがモデルで
さらに入り込みやすく感じたのかもしれません。
とにかく、凄い。というか凄まじい。
そんな作品でした。
実はこの作品はもともと映画があって、
それを漫画化したものらしいです��
といっても『自殺サークル』という名前だけが同じで、
ストーリーは漫画はほぼ筆者のオリジナルらしいですが。
映画版より漫画版の方が評判はいいみたいですが、
いつか映画のほうも観てみたいです。
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メディアミックスで映画にも「自殺サークル」というのがありますが、映画とは違った内容の作品です。
現代の闇が潜んでます。
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某誌のホラー漫画特集で紹介されていて、
興味を持ったので購入。
もっとえげつない内容を想像していたが、
意外にあっさりしていて拍子抜け。
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古屋兎丸の仕事のそつのなさ、あらためて凄い。JK、援交、自殺。今ではありふれた、ネット勃興期の時代の暗い雰囲気を基調とする表現の、もっとも洗練された作品のうちの1つでは。
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「でも もう 私は私と関係のない私だから 私なんてどうなってもいいの」
小夜の言葉で一番つらかったかもしれない言葉。だけど納得もしてしまった言葉でもある。
『ライチ☆光クラブ』等で有名な古屋兎丸先生から見たネット社会と女子中生を描いた本作品。オビに書いてあったけど、『これは純文学』というかなんというか。普通の漫画とはちょっと違うかもしれないけれど(笑)個人的な感想はやはり痛々しさが勝る。傷だらけの小夜とか、ノートに沢山書かれた目玉とか。目を背けてしまいたくなる描写も多々あったかもしれない。一言で言ってしまえば、『カルト』なんだろうけど、改めて小夜の胸中を考えると、間違っている気もする。だから『純文学』と称したのかな、と思ってみたり。
それにしたって女子中学生、死にすぎである。自分の命が軽すぎる。刹那的な登場人物が多すぎるのだ。しかしそれでも、その姿は人々の目に刻まれるようにして離れない。(かくいう私もそのひとりだ)これは少女しか持ちえないある種の魅力だと思う。刹那的な少女たち。その姿に私は心を奪われた。だから、このマンガは『純文学』というより、『少女文学』に近く、その死を決して忘れない凄みを含んだ作品である。