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誰がヴァイオリンを殺したか みんなのレビュー

  • 石井 宏 (著)
  • 税込価格:1,65015pt
  • 出版社:新潮社
  • 発行年月:2002.3
  • 発送可能日:購入できません

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みんなのレビュー2件

みんなの評価3.5

評価内訳

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紙の本

面白く読めるが、あまりに懐古的な姿勢には首をかしげてしまう。

2006/01/31 21:52

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:越知 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 4年前に出た時すぐに買って読もうとしたが、版元品切れで読み損ねた本である。その後その存在を忘れていたが、最近ひょんなことから入手して読むことができた。
 結論から言うと、面白いが賛否両論があり得る本、と言うに尽きる。つまり、一方で今まで盲点になっていた音楽史の一側面を解明しているところは確かにあるのだが、他方、物の見方があまりに懐古的であり、あたかも18世紀にタイムスリップしたかのような印象を読者に与えるのである。
 ヴァイオリンは奇妙な先入観がつきまとう楽器である。かつてイタリアはクレモナで作られた楽器、それもストラディヴァリとグァルネリが最高峰で、それを凌ぐものは以後出ていないというのだ。日本人ヴァイオリニストでも、以前自宅を売ってストラディヴァリを購入したTという女流奏者が話題になったし、最近でもSという女流がやはりストラディヴァリを入手したというのでその母親がわざわざ顛末について本を出す騒ぎとなった。しかし、本当にストラディヴァリの音はそんなにいいのだろうか? 或いは、他の楽器と比較して違いが分かる人間がどのくらいいるのだろうか?
 石井氏はこうしたヴァイオリンにまつわるいかがわしさを小気味よく斬ってみせる。クレモナの楽器が高価なのは、音がいいからではなく、作られて長い時間を経た骨董品・美術品として価値があるからだ、というのである。ヴァイオリンの音は、楽器自体よりも奏者による違いの方が大きく、ストラディヴァリならではの音などというのは幻想に過ぎず、200万円クラスの新しいヴァイオリンと時価で億の値が付くクレモナの楽器の音の違いが分かる人間などまず存在しないという。
 本書でもう一ついいなと思えるのは、伝説的なヴァイオリニスト・パガニーニの生涯についてかなり詳しく紹介していることだ。彼の実像はクラシックファンの間でも案外知られていないから貴重であろう。この鬼才がゲーテなど当時の文化人とつながりを持っていた事実が興味深く、ベルリオーズらの恵まれない芸術家に多額の寄付を行ったりする意外に人間的な行動には心打たれる人も多いだろう。
 他方、著者のあまりに時代錯誤的な感覚には首をかしげるところも多い。著者は18世紀的な、或いはモーツァルト的な芸術家像を擁護し、ベートーヴェン以降のロマン主義的で芸術至上主義的な傾向を批判するあまり、時計の針を逆戻りさせようとしているかのように見える。21世紀のわれわれはすでに19世紀の芸術至上主義の洗礼を受けた感性に生きているのであり、いかにお説教されても18世紀の感性に戻れるはずもなかろう。特に最後の第5章となると、失礼ながら昔を懐かしむ老人の繰り言でしかない。
 そもそも、モーツァルトとそれ以前のバッハなどの音楽家を一くくりにしてベートーヴェン以降の芸術家と対立させようとする発想からして問題がある。石井氏はモーツァルトまでの作曲家はベートーヴェンと違って聴衆へのサーヴィス精神で作品を書いたとするのだが、例えばバッハなら、彼の受難曲をそういう簡単な理解で片づけていいのか、フーガの技法や無伴奏チェロソナタなどが長らく演奏されざる作品であり続けたという事実をどう解釈するのかなど、シロウト音楽ファンの目から見ても氏の主張には首をかしげざるを得ないのである。
 氏の言うように、19世紀的な芸術観が大手を振るっていた時代にモーツァルト論をものした小林秀雄は偉かったかもしれない。しかし、小林は石井氏のように18世紀を盲目的に称えるような真似はしなかったはずである。一考を願いたいところだ。

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紙の本

どうもねえ、老人て言うのは昔はよかった、っていうことがいいたいあまり、事実を曲げちゃうことがあるんじゃあないか、これを読んでそう思いましたね。もっと楽しみましょ、音楽を

2006/06/05 20:28

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

「現代の音楽が得たもの、そして失ったものをヴァイオリンの歴史、そして音色の変遷から解き明かす」芸術書、というか職人の話といっても良いかもしれません。
似たようなタイトルで「誰が本を殺したか」というのがあるので、その作者かと思っていたらどうもそうではないようです。紹介を読むと、わかるんですが、もっぱら音楽のことを専門に書いてきた人のようです。
まず、話はイザイというヴァイオリニストが演奏する「ユモレスク」の1912年のCDのことから始まります。聴いた印象が、現在私たちが知っている曲のそれと全く異なるというのです。それはまず音の響き、艶、そして柔らかさであり、現在の演奏からは決して聴こえて来ないものだ、著者はいいます。
現代のヴァイオリンの音色が嫌いではない私などには、そんな馬鹿なと反論したくなる幕開けです。その音色の持つ魅力に取り付かれた民衆と歴史。石井に言わせると、丁度、現在のロックやポピュラーが持つあの興奮を、この小さな楽器が生み出していたというのですから思わず頁を捲ってみたくなります。
次にイタリアの小さな町クレモナで、アマーティという職人が突然作り始めたヴァイオリンの話になります。なんとこの楽器には前身というものが無く、突如として原型であり完成形が1580年ごろに出来たというのです。そして有名なストラディヴァーリ、グァルネーリという銘器の話に繋がっていきます。
造られて300年近くが経ち、演奏の過程で様々な振動を受けて木の素材の限界にきているというそれらが、本当に美しい音色を出すのかという問題、そして結局は楽器には固有の音色などは無く、演奏者がそれを作っているという結論になっていきます。ストラヴィンスキー、パガニーニの音楽から浮かび上がる楽器の音の魅力。
楽器の進化は、ひたすら大きな音の追及に終わり、肝心の音楽が失われていったというのが石井の主張で、そこには楽譜を重んじるあまり、愉悦に満ちた演奏が消えてしまった現代への批判があります。それに対抗するかのように、この20年で大きな働きをした古楽器による演奏についても詳しく書かれています。
ただし石井が言う「現代演奏に愉悦がない」という主張を鵜呑みにすることはできません。先日もフォルテピアノによるモーツァルトとベートーヴェンの協奏曲を聴きましたが、聴いていて少しも楽しくはありませんし、あまりに楽器に重きを置きすぎた演奏というのは本末転倒でしょう。
石井の生年が昭和5年。この年齢の人によく見る「過去こそ最高」という結論には、救いが無いというのが私の印象です。過去が、とか古典だからとか、そういった既成概念に囚われることなく様々なスタイル、解釈、演奏を楽しむ、それがspielということではないのでしょうか。音に拘るあまり、音楽を楽しむことを知らないオーディオマニアがのさばっていた一時代前の日本を象徴するような本でした。

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