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みんなのレビュー3件

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紙の本

愛に満ちた伝記

2009/12/02 10:29

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:うみひこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 田辺聖子さんのこの本を読みたい読みたいと以前から思っていた。
一つには、昭和初期の女流文学界の様子を知りたかったこと、そして、もちろん、ある意味過剰さが光る作品の書き手である(つまり、少女小説、ガーリー、乙女の元祖である)この作家の人生を知りたかったこと。また、先日読んだ『女三人のシベリア鉄道』同様、吉屋信子も門馬千代と二人で、パリへ向かったこと等、円本景気で海外遊学を楽しんだ作家たちの様子など、この作家の周辺には、貴重な女流文学史的要素が満載なのだ。期待に違わず、興味が尽きない本だった。

 そして、なにより、田辺聖子版で伝記を読みたかった。それは、田辺聖子さんが、吉屋信子を愛しているからだ。

 吉屋信子ほど、ある意味貶められ、軽く見られ、文壇から無視された作家もいなかったのではないだろうか? だからこそ、彼女を愛した人の視点から、純文学的な価値観や偏見からその人生を断罪するようなものではない、そんな伝記を読みたかったのだ。

 上巻では、著者が思い入れたっぷりに生涯の前半、パリ旅行までを語り、下巻の方は、戦中戦後の吉屋信子の活動から最後の時までを語っている。

 まず、上巻で印象に残るのは、『花物語』を書き続けながら、信子が、進歩し続けていった事だ。そして、いつも変わらず読み手の読者の熱い支持を受けてきた事。読者も書き手と一緒に人生の次の段階に進み、信子の書き続ける先々で、その作品と共に人生を考えていった気がする。

 それにしても、上京し、東京で遊学する中で、YWCAの寄宿舎で、信子が少女達と過ごす場面を描く著者の筆のなんと甘やかで、魅惑的な事だろう。初めて、屋根裏部屋を見たときの様子をこう描く。

<信子のあたまにふいに閃いた言葉がある。がらくたの玩具箱からみつかった銀の鍵のような言葉。
……ATTIC……ATTIC!(屋根裏……)>

 それと同時に、小説家である事の使命を、信子の口を借りて、指摘しているところが心に残る。例えば、下宿仲間の少女の葬式の後、うらぶれたカフェで、ぽつねんとしている少女達を思わず和ませた、「ライスカレー」と、勢いよく入ってきて、平らげ出ていった兵士の様子。それを、「生命力」という言葉で言い当てた信子に、「あなたは小説家だ」と、書く事を薦める恋人との場面。少女達の、女性達の、言葉に出来ないものの代弁者であることが、小説家の使命だという事を、ひとつのドラマの中で語っている。この場面は、自身が小説家である著者にしか書けないものだろう。

 また、著者は、吉屋信子像を描くときの記者や作家達の凡庸さを何度も指摘する。少女小説家であると常に貶められ、大人の小説が書けないと言われ続け、どんなに大勢の読者に指示されていようと、純文学からは無視され続ける。その裏側に男性の嫉妬を指摘する。
 何よりも、著者と共に笑ってしまったのは、小林秀雄のひどい評論だ。これが、近代の知性なのか?作品を読んでないと言い張りながら、読んでいるのは見え見え。しかも女性読者をわざと「こども」という言い方をして、知性の面でも貶めてみせる。このひどい文章を、全文引用して解説してみせる著者の文章は、爽快である。

 著者が心を砕くのは、信子が戦争協力者であるという誤解をとく事である。信子が、『主婦之友』に派遣されて訪れた戦地で、軍人の前で、社会や戦争への批判を堂々と行っているところなどを書くとき、本当に著者は、語るところ留まるを得ず、という感じになる。戦争を知る者としての、貴重な証言を、おろそかに出来ない事を感じさせられた。そう、もし、あの時代にいたとしたならば、いったい何が出来たのかと、戦争を知る者として語る著者の言葉を聞くと、読者の方も、自己を見つめずにはいられない。その時代に語る事が出来た者として、誠実に語り続けた信子の重要性が、何度も、指摘されている。

 信子の他の女流文学者との交流が語られている章も実に重要である。長谷川時雨、岡本かの子、山高しげり、平林たい子、宇野千代等々。その中でも、特に、林芙美子についてが秀逸だ。例えば、男性文学者に激しく憎まれた漢口一番乗り事件。漢口への行軍に同行した林芙美子の行動を、その作家としての特性をもとに理解を進めていく辺りは、ここだけで重要な林芙美子論として一冊の本となるくらいである。

 さらに、戦後次々と発表された信子の短編、中間小説の魅力についても多くが語られている。特に、著者は『鶴』を高く評価しているが、最近、これらの小説が、怪奇幻想の視点から再評価されて来ていて、最近刊行された日本幻想作家事典でも、これらの作品による新たな吉屋信子像の可能性が指摘されている。

 著者は、また、今ではあまり読まれていないが、一大ブームを巻き起こした時代小説について語る中で、大奥の人々をキャリアウーマンとして捉える視点の新しさを指摘し、男性像を自在に魅力的に作り上げるようになった、吉屋信子の最後の充実した姿を描くのだ。

 著者の筆は、決して、愛に溺れているわけではない。例えば、杉田久女について信子が書いた「私の見なかった人」については、鋭くその誤りを指摘し、間違った久女像を流布した元本のひとつであると述べている。また、その疑問が、著者の『花衣ぬぐやまつわる…わが愛の杉田久女』を書く契機となった事も述べられている。

 信子の人生のパートナー、門馬千代について、手紙を引用しながら、その人柄について語っている場面では、この人があってこその信子であるというのをしみじみ感じさせられた。

 戦中戦後の殺風景な世の中で、現実に花ひとつない中、唯一『花物語』に花の名前を教えて貰ったと、『花物語』への愛を著者は語るとき、著者の心に咲いた美しい花の蕾を見る思いがする。
最後に、著者は、
「女が女にやさしくあり合あわなくてはね」
と口にしていた信子が、その言葉通りに、後輩としての自分を応援してくれたと、読者に、語るのだ。
 愛ある伝記を読む満足感を、しみじみ感じる結びである。

(この書評は上下巻共通です)

 



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2006/06/22 22:30

投稿元:ブクログ

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2023/06/18 09:59

投稿元:ブクログ

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