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この前の集中講義で使った著書。「ケータイ」という一つのメディアからみえる、情報社会としての現代社会について論じられています。
「ケータイ」をメディア論、コミュニケーション論として考えていく際の入門書とも言える一冊。参考文献リストやコラムも充実しており、初心者でも取っ掛かりやすくなっていると思います。ケータイ広告表現について書かれたコラムでは、ayuさんの昔懐かしいtu-kaのCMが取り上げられていたり…。
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携帯に関する概略本的な感じ。学という程深くないけれども、結構幅広いテーマを扱っているから、携帯を研究している人は一回図書館でざっと読んでみるといいかも。
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入門とあるが、決して入り口で終わってしまう本ではない。語り口こそ分かりやすいものの、ケータイをめぐる状況を深く、広く探る好著だ。
気になった記述。
・メディアが伝えるメッセージの中身だけではなく、メディアそのものの存在を対象化し、詳しく見ていくことによって、私たちはメディアというものに対して、暗黙のうちに様々な意味づけをおこないつつ、また慣習的な行動を取りながら接していることが分かってくる。
・メディアという通常は技術的、自然科学的に捉えられがちな対象も、一つの制度として捉えることが可能になる。(社会構成主義的なアプローチ)
・ゴフマンの「儀礼的無関心」、ミルグラムの「不関与の規範」
・電話コミュニケーションの6つの特性
1)応答の強要
2)匿名性
3)視覚・空間の非共有
4)固有の電話儀礼の存在
5)会話の強要
6)距離のパラドクス
・場所に規定された固定電話が、従来の社会的な場、社会的地位や役割を象徴すると考えるならば、ケータイこそが、それらから解放された自由な個人を成立させる可能性を秘めている。
・ケータイというメディアは、この再帰するスピードを加速させていくメディア。なぜなら、反省後の行為は、物理的な場所と個人が認識する空間の範囲が同じであれば、ゆっくりと訪れるはずだから。
・メディアが身体を延長していくと同時に、メディアを通じて自己の対象化、他者化が生じる。メディアは私を知るための道具。
・調査結果を読みとくさいの、年齢効果と結婚効果。
・性に割り当てられた社会的な役割を果たすために、電話が利用されることも多い。
・どのようにメディアが利用されるかも社会構造に規定される。
・技術決定主義的な「発達説」も、服飾中心主義的な「周期説」も、ケータイにはあてはまらない。
・ケータイ・インターネットは、デジタル・デバイドを温存・拡大するとの見方も可能である。野村総研の調査から。
・コミュニケーション・メディアは、選び選ばれた相手との関係を強める。
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こういう時代もあったのだなと。
今読むとかえって新鮮に思える。
ポケベルが一つの重要な転換点だったのかも知れないな、今更ながら。