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紙の本
橋本治が分かりやすくなってしまった。
2002/08/13 00:02
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Shinji@py - この投稿者のレビュー一覧を見る
かつて私は巻頭エッセイ「ああでもなく、こうでもなく」を読むためだけに「広告時評」を購読していたことがある。橋本治は思想の迷宮の不親切な案内人である。最初こそ親切に案内してくれるが、そろそろ出口かなと思ったところがまだ迷宮のまん中。そこで「あとは勝手に」とばかりに案内役がすっと消える。残された読書は当惑するばかり。だが、橋本治のエッセイはそんなところがおもしろい。その橋本治のエッセイが、小泉純一郎、鈴木宗男、田中真紀子、野村沙知代という強烈なキャラクターを得て、分かりやすくなってしまった。平安時代から延々と続く日本の政官癒着体質、「自由主義経済VSその他」の対立構造、実に面白い。そして20世紀の終わりを繰り返し繰り返し考察する。
しかし、分かりやすい。20世紀は消費の世紀で、消費社会のシンボルは広告で、分かりやすさは広告の属性だ。橋本治までが分かりやすくなってしまったことが20世紀最後の象徴なのか。そうだ、このエッセイは20世紀が終わってすぐの「広告時評」の巻頭エッセイだったのだ。あとがきでは「自信をもってなにも分からない」ことを宣言する。すでに時代は21世紀。混沌の時代にこそ橋本治の時評はふさわしいはず。続編が楽しみだ。
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