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みんなのレビュー12件

みんなの評価4.2

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9 件中 1 件~ 9 件を表示

紙の本

淡々とした冷たい筆致が描き出す「国家」という「悪夢」

2004/05/25 19:28

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る

とりあえずすごい小説だった、とだけ感想を言っておけばいいのかも知れないが、何がどうすごいのかくらいは書いてみる。

この素っ頓狂なタイトルから想像されるとおり、物語もかなり奇怪な設定である。

会社員の妻、不由子は民衆国家なる独裁政権の最高指導者だった。妻は毎日パソコンに向かって文章を打ち続け、膨大な数(最高時には三千通)もの手紙を送り、下部組織に通達を行っていた。彼女の夫はその行為の手助けをしながら、「真に受けてはいなかった」と言うのだが、彼の支援のもと、事態は着実に進展しつつあった。そしてついに「始まりの日」を迎え、民衆独裁国家が立ち上がる。

冗談のようなあらすじだけれど、物語は如上の通り進んでいく。「最高指導者」を妻に持つ「わたし」の一人称と、ある日突然最高指導者からの手紙を受け取り、民衆細胞としての自覚に(ほとんど無根拠に)目覚めた無道大義という高校生の二つの視点から、民衆国家の始動とその後を追っていくことになる。

「自然な状態で直感的に共有される民衆の意志」なるものが「民衆国家」の要諦である。つまり、「何も言わなくとも自然にわかる」、ということがすべての行動を支配している。それはおそらく最高指導者である不由子が、直感的に民衆国家を思い描いたところからすべてが始まっているからではあるだろう。

こんな理念を掲げていてはまともな組織が立ちゆくはずがない。
しかし、宛先もなく送り主の住所もない手紙が無道大義に届いたように、様々な場所で様々な「直感」によって組織は立ち上がり、民衆国家はその形を整えていく。

そうはいっても、ついに行動を起こし立ち上がった「民衆国家」はもちろん、すんなりとありうべき姿に収まるわけはなかった。
後半はすべてその後の民衆国家の混乱を夫である「わたし」の視点から描き続ける。
そこで描かれる混乱した国家の姿は、佐藤哲也自身が参考にしたというソルジェニーツィン『収容所群島』にも重なるのだろう(私は読んでいない)。全体主義国家における不条理な組織統制や、絶対的理念だけが先行する異様な理屈などは、ソ連の作家がよく素材にするものなのだろう。SF作家ストルガツキー兄弟の小説にもそういう作品がある。

混乱の原因のひとつは、あらゆる手続きや相手に情報を伝達するということへの軽視にもある。ある登場人物が、無道大義に本を捨てろと言うのだが、その背後には直感だけを信奉し、言わずともわかるはずだ、という思いこみが蔓延し、コミュニケーションを軽視することへの警告がある。
直感によって自然に共有された「一般意志」なるものが前提とされているこの国家には、なるほど喜劇的なまでのコミュニケーションの齟齬が頻発する。そしてそこには官吏たちや市民たち自身による暴力と抑圧の嵐がやってくる。
一般意志とは、ある種の「空気」のようなものかも知れない。共有されているがゆえにその起源根拠を問う必要はなく、そこから外れるものは爪弾きにされてしかるべきだという暴力としての「空気」。
その「空気」によって国家が構築されるとどうなるか、という悪夢を描いたのかも知れない。

ただひとつ言えるのは、もしこの小説が悪夢だと思えるのだとしたら、それだけ小説が現実的であるからに他ならない。リアリティがあればあるほど、悪夢は純度を増していくのだから。そしてその悪夢は、「国家」という悪夢である。

全篇通して何より印象的なのは、異形の国家を描く筆致の冷静さである。佐藤哲也作品によく言われるような饒舌さはこの作品に限っては全くない。あるのは、淡々として落ち着いた文体であり、それによって描かれる風景の戦慄すべき様相である。文と内容とのこのコントラストが、状況の空恐ろしさをいや増している。不条理な悪夢を淡々と、しかし確実に組み上げていく理知的とも言えるその手腕に冷風を浴びせられたような気分になる。

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紙の本

妻の秘密。

2003/03/15 23:10

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ソネアキラ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 妻が実は魔女だったというアメリカのTV人気コメディーがあったが、こっちは妻がほんとうは帝国の元首だったというお話。

 朝な夕な妻は莫大な枚数の指示書をワープロで打ち、後に夫のパソコンで打っては切手を貼って投函する。やがてガン細胞のようにふくれあがった組織が蜂起して新体制を樹立する。それがその地域だけなのか、地方だけなのかは定かではない。善良な一般市民は制服を購入して、身を包み、軍靴を履き、武器を手にして、忠実な党員となる。ヒトラーのナチ党員か、文化大革命時の紅衛兵のごとき存在なのだろう。

 おなじみの焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)ありいの、贅沢品の供出ありいの、シーンが出て来る。食べ物や飲み水にも困るようになってくると、サヴァイバルに長けた知恵のある者が、のさばるようになっていく。こうなってしまうと頭デッカチのインテリゲンチャは、無力だよなあ。

 命令されることの心地良さは否めないし、まわりくどい手続きを踏むんでも、埒が開かないとなると暴力というショートカットで事態を一気に解決することだって決してノー!とはいえない。それが正義であれ、悪であれ。民主主義が行き詰まってくると、政治への不信、社会への不満を骨や肉として大衆は、ヒーロー(あるいはモンスター)をつくり出す。それが本書では、かなり地味目の女性という意外性のある設定が、利いている。

 やがて権力は、妻の手の元を離れ、どこか別なところで動くようになる。妻のビジョンが現実のものになるにつれ、どんどんズレたものになっていく。真綿で首を絞められるように怖さがじわじわ来る。

 政治哲学者ハンナ・アレントの全体主義概念を引用するならば、「全体主義思想は、不確定でアモルフ(無定形)な人間に全体的な世界観を示し、それを限りないテロル(警察権力と強制収容所)の使用によって実現したのである」。

 これって、いま、騒がれている将軍様の国ではないか。作中の登場人物の顔が余り見えてこないのは、当然のことなのだろう。

 不条理小説が最後まで破綻することなく、また口さがない読み手を飽きさせることなく、無用なツッコミを入れさせるスキを与えず、読ませてしまうのは、作者の筆力と構成力のなせるワザである。

 作者はジョージ・オーウェルの『1984年』とソルジェニーツィンの『収容所列島』とフェリーニの『そして船は行く』にインスパイアーされたと述べているが、読んでみるといろんな味わいがした。えーと、当然、カフカでしょ、『未来世紀ブラジル』、連載打ち切りとなった山上たつひこの『光る風』などなど。

 薄気味悪いリアリティを感じて、背筋が寒くなった。なんとなくキナくさい今の時代の空気が存分に伝わる。近未来反ユートピア小説としてかなりの出来の作品である。

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紙の本

20世紀のイデオロギーの変遷をめぐる寓話

2002/10/23 13:37

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:青月にじむ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この物語は今書かれるべくして書かれたもので、20世紀の総括のための寓話なのだと私は思う。

 ひとつのイデオロギーが現れ浸透する。その過程で色々な変化があり、その一方でそのイデオロギーによる弊害が出てくる。そうすればそれを不満に思い反乱を起こす輩が当然のように出現し、あるときは彼らが政権を掌握し、またあるときはそれがあっという間に潰され、何事もなかったように日々が過ぎてゆく。そしてまたあるときは、また違ったイデオロギーの政権ができあがる。
誰もが、幸せを希求してのことに違いないのにその途上でエゴが噴出したり断絶が起こったりするのだ。そういう社会の、歴史の片隅に、私たちは生きている。

 本来ならばナンセンスの極みである「自ずと感覚を共有することができる」社会が築かれる。そしてその到達点を目指し、段々と皆、いびつな行動を取り始めるのだ。何故いびつになっていくかと言えばその到達点は初めから到達不能で曖昧模糊としたものだったからであり、所詮は人間というものはひとりひとりの存在を認め合った上で社会というものは成り立つものなのだろう。ひとりのカリスマ的存在に牽引される社会が本当だと思うこともあるだろうし、個々の隙間や齟齬や認識の格差を埋めるために言葉を尽くし、説明する努力をしていくべきだという考えもあろう。一方で、ただ自分だけが快適であればいいのだという考えも出てくるに違いない。全てが人間から生み出される感情であり、意識なのだ。それらがどこぞにぶれる中を、私たちは生きているということになるだろう。そうして、過去の人びとは今を築いてきたということなのだ。ぶれ続ける限りはどこかで中庸に到達することもあるだろうが、逆にその期間は短く、いずれか一方に大きく傾ぐことも少なく無いだろう。

 そうして、そのようなディストピアの風景が広がる中でも変わらないものがただひとつある。それが、特定の誰かに向けられる愛というものであるのだろうか。小説の冒頭ではそれほどでは無いように思えた「わたし」の妻への愛も、物語がうねり、起伏するごとにその感情が高まっていく。その到達点がラストのシーンということになるのだろうか。正直、自分がその立場だったらどう対応するか分からない。でも、やっぱり「わたし」と同じようにしてしまうのだろうと、どこかで考えている。そういう、変わる中でも変わらないものがあるということをも、もしかしたら佐藤哲也は描きたかったのだろうか。

 この著者の作品は、短篇の「ぬかるんでから」しかまだ読んでいない。しかし、もっと読んでみなければいけないと今更ながらに思う。この小説は、ジャンルを越えて、もっと色々な人に読まれるべきだと思う。

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紙の本

コノヒトシカイナイ

2002/07/03 11:15

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:isaka - この投稿者のレビュー一覧を見る

小説を読む若い人が少ない、らしいんですが
「そりゃそうでしょ」と僕なんかは思っちゃいます。
今は映画もあるし、マンガもあるし、ゲームだってある。
携帯電話に金もかかるし。

本屋を眺めても
「舞台が変わっただけのハードボイルド」だとか
「やたらに恋人たちがすれ違う恋愛小説」だとか
「気の利いた台詞ばかり出てくるミステリー」だとか
そんなのばかり並んでる。
そんなの本じゃなくても、映画やマンガで腐るほどあるし。

僕たちが小説に手を伸ばさないのは
「小説でしか味わえない面白いもの」が少ないから、かも。

想像力を駆使したオリジナルの物語、ユーモアの溢れてくる文体。
奥泉光さんが以前どこかに書いていた言葉を借りれば
「読み進めること自体が快楽」となるやつ。
それが小説でしょう。

で、それが佐藤哲也さんでしょ。
佐藤哲也さんの小説は
小説でしか味わえない面白さで溢れてる。

そう言えば、芸術作品の評価について
「他の何かに似ていない」ということが
日本ではマイナスに作用するけど、別の国では賞賛されることになるって
聞いたことがある。

佐藤哲也さんの小説は、他の何ものにも似ていない。
だから「イラハイ」「沢蟹まけると意志の力」が絶版なのかもしれない。

僕たちは、他の何ものにも似ていないものが読みたくて本を買うのに。
こんなんだから、小説を読む若い人が少ないんだ。

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2007/07/14 16:56

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2008/05/03 01:47

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2008/09/16 21:31

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2011/06/25 09:41

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2018/06/06 23:54

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