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「沖仲士(“おきなかし”と読むようだ)の哲学者」という言葉から、
哲学者→思想の本、というイメージでいたけれど、全く違ってちょっと戸惑った。
淡々と、生活が綴られている。どう生きてきたか。
そして、そこにこそ哲学がある。
ということなんだけれども、正直よく覚えてない、というか
つかみきれなかったんだと思う。
再読したい1冊。
『思想なんかいらない生活』で瀬古浩爾が絶賛してたのはよく覚えている。
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常に僕の傍らにあり、何度も読み返した本です。
勇気と希望の違いは一体何か?
28歳で死ぬのと10年後に死ぬのと何が違うというのか?
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エリック・ホッファーはアメリカ版の元祖フリーター。その彼が単純労働を繰り返しながら、その中から編み出された人生哲学の面白さを、一気に読ませる。ちょっと考えが薄っぺらいと感じる所がなかったわけではないけれども、独学で多くのことを学び深めた事はすごいと思う。人間は労働と読書から離れて思考することはできないのかもしれない。そして、思考しない人生に何の意義があるのだろうか?
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「かくも波瀾に満ちた生涯があろうか」
帯に記されたこの書評が、本書の全てを物語っています。
7歳で視力を失い、15歳で視力を回復、その後正規の教育を受けずに職を転々とし、季節労働者としてアメリカ各地を放浪する。
これだけであれば、単に苦労人として大変な人生を歩んだね、ということになるわけですが・・・。
彼の人生を特別なものにしたのは、肉体労働の合間に図書館に通って独学で続けた読書・勉強。
そして社会の底辺で働く季節労働者たちや、その労働そのものから学び取った独自の人生哲学です。
彼の哲学は内外の哲学者、政治家、大統領などに激賞され、「沖仲仕の哲学者」として世界中の知識人に大きな影響を与えました。
エリック・ホッファーは、アメリカ史上最大の「在野の士」であったといっても過言ではありません。
その「かくも波瀾に満ちた生涯」には、全ての読者の人生観が大きく揺さぶられることでしょう。
ぜひたくさんの方に読んでいただきたい名著です。
生きていく上での本当の「学び・学習」とは何か、深く深く考えさせられます。(佐々木貴教)
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図書館で借りた。
著者が生まれてから沖仲仕になった
辺りまでを回想した自伝。
道路を造る話は、サンディエゴへの途上へ、の
最後のページにあった。
この人は色々な所を点々とし、物を考え、ノートに記録し
すごい生き方をしていると思う。
最後に老いとアメリカについて触れているインタビューが
付いている。1974年にサンフランシスコ クロニクルに載った記事。
訳者あとがきに著者の本から引用されていると思われるが、
出典が分からないものがある。その文が心に残る。
「近代人は、長きにわたって拘束された神から逃れ、ようやく
自由を手に入れたものの、今度は、「かれ自身の魂の救済を、
しかも四六時中、行わねばならなくなった」。自らに対して、
そして社会に対して、自らの価値を日々証明し、自らの存在を
理由づけなければならなくなった。これは容易ではないし、
絶え間なく変化する社会に生きる一個の人間にとっては途轍もない
重荷である。われわれは、往々にして、自分自身に満足できず、
「自己自身と異なったもの」になりたいと熱望する。そして、
「真に欲していて、それを持つことができないものの代用品」を
追求して多忙をきわめる。好ましからざる自己から自分を引き離し、
文字通り「心を亡くそう」と試みる。かくて、「人生のあらゆる部門に
ファナティシズム(熱狂)の噴出がある」のであり、「社会組織
そのものが、一般に、心の病に冒されやすい、すぐ燃えやすい
体質になってしまった」とホッファーは洞察したのである。」
「」で短く切られたフレーズがホッファーからの引用の気が
しているけれど、出典が分からない。
文字通り心を亡くそう、の部分が響く。
人を見ているといつも忙しそうで、そんなに忙しいなら
誰か他の人に振るなりやり方を変えればいい、考えればいいと
よく思うが、忙しくして自己を誤摩化したいとしているなら
納得がいく。
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最底辺の生活をしていても、意欲があれば真理は学べる
エリック・ホッファーは不遇の境遇に育ち、一度は自殺未遂を起こすほど追い詰められた人生を送りますが、最底辺の境遇にありながらも勤労と独学で沖仲士の哲人と呼ばれるほどの教養を身に付けた人です。彼の自伝は、自分の人生を振り返って、ひとつひとつの出来事や自身の行動がどのような意味を持ったのかを解き明かしたものです。
ほんの小さな出来事が大きな意味を持ったり、不遇な境遇が当たり前なので、幸せを感じたときはむしろ不安になってそこから逃避し、別の道を探ったり、社会の底辺にいる様々な人との出会いや別れなど、いろいろなエピソードが語られます。
この波乱万丈で上質な自伝を読むと、自分の境遇が何と幸せなのだろうと思います。仕事が見つからない今の時代は、もしかすると彼の時代よりももっと厳しいかもしれませんが、この自伝を読むと人間として生きる勇気が湧いてくるのを感じます。座右の書として入れておきたい一冊だと思います
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不思議な魅力に満ちた本だった。
人間、どんなふうにしても生活していけるんだと思った。
著者のことをもっと知りたくなった。
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親に捨てられた全盲の男の子が季節労働者や、あとでは沖仲仕をしながら、独学だけでどうやって1960年代のアメリカを代表する知識人と呼ばれるようになったか、本人の短いエッセイをつなぎあわせて、自伝としたもの。
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最近知り合ったデザイナー&ドラマーの方から勧められた“沖仲仕の哲学者”エリック・ホッファー。まずは自伝からということで読んでみたのがこれ。14歳までを失明状態で過ごすことに始まり、凄まじい人生を歩んだ人物であるが、そういったエピソード以上に、読了した時に最も強く感じたのが「労働と学問の関係」である。つまり「学問は学校で行い、労働は社会で行う(社会人という言葉が「労働者」の近似値として使われることから分かるように)」という先入観が吹っ飛んだことだ。港で荷物の運搬を行う沖仲仕として働く日常と、人間の中に潜む真理を我がものにしようとする行為は、全く相矛盾しない。そのことを知ったのが、僕のホッファー体験第1号。さあ、今度は同氏の「魂の錬金術」でも読んで、その肉体労働の現場で、氏が掴みとった「真理」に触れてみたいと思う。
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日雇い労働者でありながら優れた思想家、著述家だったらしい。
確かに日雇い労働者とは思えないほどの勉強家であり、思索も深いんだろうけど、「日雇い労働者にして、」という但し書きを外してしまえば、内容自身はさして特別すごい訳じゃないと感じてしまった。
アメリカのTV等で有名になってしまったということかな。
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エリック・ホッファー(1902-1983年)は独学の人であった。正規の教育は受けていない。季節労働者として働きながら図書館へ通い、大学レベルの物理学と数学をマスター。その後、植物学も修める。「沖仲仕の哲学者」と呼ばれ、39歳から始めた沖仲仕の仕事をこよなく愛した。1964年、カリフォルニア大学バークレー校の政治学研究教授となる。
http://sessendo.blogspot.jp/2014/03/blog-post_4601.html
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これも、読書の腕前から知った本。
こちらは文句なしに面白かった。恥ずかしながら、初めてエリック・ホッファーのことを知り、魅せられた!彼の人生そのものが、小説のよう。
肉体労働から生み出される思想。
興味津々。
難しそうだが、いつか彼の著書も読んでみたい。
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【引用】
・慣れ親しむことは生の矛先を鈍らせる。おそらくこの世界において永遠のよそ者であること、他の惑星からの訪問者であることが芸術家の証なのであろう。
・近代人は(中略)ようやく自由を手に入れたものの、今度は、「かれ自身の魂の救済を、しかも四六時中、行わねばならなくなった」。自らに対して、そして社会に対して、自らの価値を日々証明し、自らのっ存在を理由づけなければならなくなった。
(中略)
われわれは、往々にして、自分自身に満足できず、「自分自身と異なったもの」になりたいと熱望する。
・情熱とよばれる情念の大半には、自己逃避がひそんでいる。何かを情熱的に追及する人は、すべて逃亡者に似た特徴をもっている。
・情熱的な態度というものは、外からの刺激に対する反応であるよりも、むしろ内面的不満の発散なのである。
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読みたいメモ:The Ordeal of Change 田崎淑子・露木栄子訳『変化という試練』(大和書房、1965年)が良いらしい。
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“沖仲士の哲学者”と呼ばれるエリック・ホッファー(米国・1902~1983年)の、40歳頃まで(沖仲士になる前まで)が綴られた半生記である。
ホッファーは、独系移民の子としてニューヨークに生まれ、7歳で母親と死別し、直後に視力を失うものの、15歳で奇跡的に視力を回復した。18歳で父親が死去した後、暫くロサンゼルスで暮らすが、20代後半の自殺未遂を機に季節労働者としてカリフォルニアの農園を渡り歩き、その間、労働の合間に独学で物理学・数学・植物学をマスターする。その後、勤務していたレストランでカリフォルニア大学バークレー校柑橘類研究所所長に、その植物学とドイツ語の能力を認められる機会にめぐり逢い、一時は研究員として働くが、結局もとの放浪生活に戻ってしまう。。。
ホッファーが40年間に体験した出来事は、まるで小説のようなドラマティックなものが多く、それがこの自伝の面白さにもなっているが、その一方で、彼の人生に臨むスタンスは実にシンプルで淡々としたものであり、それがホッファーという一人の人間の大きな魅力なのだろう。
本半生記には登場しない40代後半以降、ホッファーは、多くの作品を執筆するほか、大学の教壇に立ったり、テレビに出演したりするが、彼の人生の原点は、本書に記された40歳までの半生にあるように思う。
ホッファーは、67歳の時の著作『波止場日記』の中で「私が満足するのに必要なものは、ごくわずかである。1日2回のおいしい食事、タバコ、私の関心をひく本、少々の著述を毎日。これが、私にとっては生活のすべてである」と語っているが、物質的な欲望に限界と疑問を感じる今、ホッファーのような精神性に支えられた人生に強く憧れを抱くのである。
(2007年5月了)