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プールサイド小景・静物 改版 みんなのレビュー
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紙の本
何にもない良さを語るのはとてもたいへんである。
2008/03/14 13:35
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ばー - この投稿者のレビュー一覧を見る
庄野は、昭和29年(1954年)に本収録作『プールサイド小景』で第32回芥川賞を受賞。
収録作は、表題『プールサイド小景』、『静物』をはじめ、他に『舞踏』、『相客』、『五人の男』、『イタリア風』、『蟹』、など計七編。
庄野潤三というと、続けて小島信夫、安岡章太郎、吉岡淳之介、と続けて連鎖が私の中では形成されていて、ああいいなあ、ここらへんの時代の小説は、たまらん、などとついつい気づけばこの時代の人達の小説に還っていて、その還りからまた新しい読書のリズムを刻みだすきっかけになるのですが、「なんで私はこんなにもこの人たちに惹かれるのだろう」などと前々から思っていて、ノスタルジーでもないし(私がまだ生まれてない)、個人的にその作家が好きというわけでもないのに、なぜか惹かれてしまう。好む理由がいつまでたっても分からない。
七編の短編が収められているが、それらの作品の特徴として考えられるのが、よく言われているが「平穏な日常の危うさ」がまず一つ。これは全ての作品に共通していると言っていい。『舞踏』での夫の浮気、『プールサイド小景』での夫の突然の解雇、そして告げられる愛人の存在。
なんでもない日常を、あくまでも私小説的に描きながらも、「すこし」壊す。絵画の青空にサッとグレイで曇り空を表現するように。庄野の描く不安の影は、本当に、ほんの少し。主観的で申し訳ないのだが、その不安の広がり方は、「じわじわ」でもなく、「ずん」でもなく、「サッ」なのである。平穏で、それこそ模範的な文章の中に、不安が一瞬、ある。そしてそれでいて、文章全体の不安と平穏のバランスはどちらにも揺るがない。
もう一つ。
先程、「私小説」と書いたが、庄野の作品は、おそらく彼の体験、彼の歴史を下敷きにしている。だから、この一冊に収められている全ての作品は、それぞれが関連している(ように見える)。頭から順番に読んでいき、最後の『静物』という断片で形成された小説を読むと、『静物』が、それまでの作品全てを補っているように感じる。つまり、『静物』にはそれまでの短編のエピソードが「すこし」変えられて含まれている。意図的かどうかは分からないが、なんだか、この一冊で、一つの物語が浮かんでくるようで、面白く感じた(まあ、気のせいかもしれないが)。
最後にもう一つ。
物語の視点が物語外の第三者に任されていることからも、庄野の描く小説の世界は、常に客観的であることが求められている。だから平穏も不安もそれほど深刻にならないのかもしれない。
だから安全であり、読みやすい、とも言える。客観を創り出すことで、静寂さを作っている。
だけども、なんでもない事柄(事件、家庭など)を自身から突き放すことで生まれる、なんでもないけどちょっと影のある物語に、なぜか惹かれてしまう。
これが本当になんでもない物語で、本当にさらっと読んですぐ忘れてしまうような物語だったらこうまで惹かれない。
最近では、保坂和志を読んでもこういう感情が湧くのだけれど、安全な物語であるのに、それだけでは済まされない何かがあるように思えて仕方ない。
自分でも説明できないことを文章化するのは至極困難だけど、なんだろうなあ。静寂だから良いでもなく、静寂なのに良いでもなく、文章がきれいだからでもなく…。ほぼ出来事がゼロに等しい「なんにもない良さ」なのかな。こういうジャンルは確実に存在しているのは確かだと思う。
ものすごく良いんだけど、説得力のある言葉を書けないのが残念。庄野潤三、グッドです。
紙の本
生活ということ
2005/06/25 06:20
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:山口アキ - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本のなかには生活があり、ほとんど生活しかなかった。この感想は、おそらくこの本を読んだ人の多くが感じるものではないかと思う。けれど、生活があるということは不思議なことだと思わせる小説だとも思う。
静物という話には夫婦と三人の子どもが描かれている。釣堀にいった話、父と長女の二人で映画を見た話、猪について聞いたことを父が子どもたちに喋る話、ぬいぐるみを取り合う話、逃げ出した蓑虫を見つける話。いくつもの挿話によってできている。何の変哲もない話ばかりだ。特別な感慨もない。
しかし、その変哲のない生活の裏には凄まじい悲劇が隠されている。それでも生活は小さな幸福に満ちて、慎ましやかな瞬間を続けている。そういう生活こそが生きるということなのだろうと、僕の中にじわりと染みこむものがあった。やはり、生活は不思議だ。
最後に、何の変哲もない生活を書くことで、一級品の小説を創りだしたことは驚くべきことだと、僕は思った。
紙の本
サラリーマンの家庭
2021/07/30 15:19
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:deka - この投稿者のレビュー一覧を見る
昭和40年以前のサラリーマン家庭・・・といっても中の上の家族が書かれていた。
献身的な奥さんなのに旦那は若い子と付き合いたいとかもう現代とはちょっと違ってきている部分も出てきているがひと昔前のテレビドラマになりそうな家庭がえがかれていてちょっと懐かしさがあった。コロナ禍でこのような穏やかな家庭がかかわりにくくなっているので新鮮な感じだった。
紙の本
日本が未熟だった時代の夫婦像
2002/07/27 19:37
2人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:呑如来 - この投稿者のレビュー一覧を見る
今読むとかなり古めかしく思える作品群である。浮気をしながらも自分は悪くないと考えている身勝手な夫と、浮気されていることは薄々気づきながらも夫から愛されることだけを望む妻、などという図式は「男は仕事、女は家庭」といった男性原理がまかり通っていた時代のありふれた小景ではあったかもしれないが、現代の女性はそんな男とは初めから結婚などしないだろうし、そういう男だとわかればさっさと離婚するのが当然であるから、作品に感情移入もできないし心理描写がうまいと感嘆することも難しい。人が自分の若かりし頃を振り返るときのように「こういう時代もあったのだなあ」と気恥ずかしく感じさせられるのみである。とはいえ、この小説には、確かにこういう夫婦が多数派を占めた時代があったのだという証としての価値はあるだろう。
それにしても夏目漱石の描いた夫婦像の方がはるかに現代人のそれに近いのはどういうわけなのだろうか。