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同一性・変化・時間

同一性・変化・時間 みんなのレビュー

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みんなのレビュー5件

みんなの評価3.5

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紙の本

野矢哲学の同時中継本

2002/10/06 17:10

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 人物の同一性(identity)ってなんだろう、と野矢さんはまず考えた。この「人物」が「私」の場合と「他人」の場合とでは、問題の意味、存在論的意味とでも言えるものが違ってくるのだろうけれども、野矢さんは、「私」という語はそれを発言した人物を指示するのだと割り切る。そして、この「人物」をたとえば「船」に置き換えたとしても変わらない、問題の「構造」そのものを問題にする。つまり、なぜ同じものが同じものでありながら「変化する」と言われるのだろう、質的な同一性ではなく数的な同一性を考えるかぎり、同一性の概念と変化の概念は折り合わないんじゃないか。これが野矢さんにとっての哲学の問題だった。

 野矢さんはこの問題を数年間考え続けた。本書は、この同一性と変化の関係をめぐる野矢さんの現在なお進行中の哲学的思考が、時間と言語の関係をめぐるひとつの思想へと時々刻々と熟成していくプロセスをあますところなく伝える哲学的実況中継である。野矢さん自身は「哲学ライブ」とか「哲学の大道芸」と書いているけれど、まだ熟してもいない果実が木から落ちることがあるように、思想の種子も、すぐれた編集者の手にかかると、語られている思想の内容がその語り方のうちにくっきりと示されている本のかたちになって、読者の脳髄のうちに芽吹いてしまうことがある。本書は、そんな前代未聞の本だ。

 だから、野矢さんが書いている「存在論が異なるならば、その言葉は異なる」(流転的言語観)とか「言語がなければ同一性も変化もなく、時間は流れない」等々の命題は、それだけを取りあげたところでどうしようもないのであって、ましてやそれを同一性と変化と時間をめぐる野矢さんの哲学的思考の結論だなどと了解してしまうと、本書が世に出たことの意味のおおかたが打ち消されてしまう。語りえないもの、あるいは語りきれないもの(変化)については、沈黙するのではなくて語り続けること、いや実況中継しつづけること。それこそがまた、一回性をもった出来事に対する、つまりは歴史に対する態度でなければならないのだと思う。

 それにしてもこの本は、ずいぶんとたくさんの人々の思考や書物にリンクが張られている。ウィトゲンシュタインや永井均をはじめ、大森荘蔵、田島正樹(『スピノザという暗号』)、信原幸弘、あるいは養老孟司シンポジウムの面々、その他。なかでも保坂和志は、クイちゃんが写真の中の赤ちゃんだったパパと大きくなったパパとの間にうまく折り合いがつけられないエピソードに始まり、迷い猫と茶々丸の同一性をめぐる騒動で終わる『もうひとつの季節』や、写真の中の猫や犬を見て、自分が生まれるよりずっと前に生きていた無名の犬や猫がいたことをリアルに感じ、「時間がこの世界に残らないで消えてしまう」ことをめぐる「思考の生[なま]」の生理を綴った「写真の中の猫」ほか九編の小説を収めた『〈私〉という演算』などを思いうかべてみても、それに関する生理を綴るか論理を中継するかの違いはあっても、「これから生まれようとする不確かなもの」をめぐる保坂和志と野矢茂樹の感受性というか感覚は、とてもよく似ている。

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紙の本

「食材」はいいのに,「調理」がイマイチ

2002/12/05 14:21

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:三中信宏 - この投稿者のレビュー一覧を見る

著者の問題意識は一貫している:「同一であるものが,どうして変化しうるのか」(p.2);「同一性と変化は折り合わない」(p.3)——形而上学(存在論)の大問題としての「同一性」は,the species problem に代表される生物学だけでなく,さまざまな場面で表面化する.この同一性問題を一般読者にわかりやすく説明しようと著者は努めており,第1部ではそれなりに成功しているようだ.

「ピンポン玉モデル」(pp.17ff.)とか「ソーセージ・モデル」(pp.19ff.)のような図を用いた同一性の説明は直感的でわかりやすい.ただし,いかんせん論議の深まりが足りない.講演会での討議録を踏まえた内容なので仕方がないのかもしれないが,「同一性」の主張の背後には,明示的あるいは暗示的に「本質」への支持がなされているのがふつうだ.しかし,そういう言及はない.ソール・クリプキやヒラリー・パトナムの新手の本質主義への関わり合いも間接的にしか論じられない.

「変化は変化のままに,そして同一性はそれを立ち止まってふり返るときに現れる四次元個体」(p.50)というようなもわもわした結論では,読者は消化不良になってしまう.暗に心理的・認知的な同一化過程を著者は示唆しているようにも私には思えたのだが,そうであればまだ論議の展開としてはましだったかもしれない.

しかし——第1部の「討議」(参加者は郡司ペギオ-幸夫,津田一郎,茂木健一郎,団まりな,松野孝一郎,計見一雄,池田清彦,法橋登)以降,議論の道筋は私の期待からは大きく外れていく.著者の踏み込みの浅さは討論者の何人かが指摘する通り——たとえば,「日常でわれわれがもっている“個別性”に対する一種の信憑というか,思考のパターンを抽出したいということなんですか? それとも,なにか,“存在論”に関わるようなことにも手を出したい,ということなんですか」(茂木,p.56)——だが,著者を含む討論はいまひとつ要領を得ない.

そのうち,同一性の問題は「言語」の問題だという著者の考えが出現してくる.著者は「同一性というのはけっきょく ... 世界を語る“語り方”に依存する—— ... “理論に依存する”のだということです」(p.66)と言う.本書の後半部分は,「存在論が異なるならば,その言語は異なる」(p.246)という主張のもとに,同一性に関わる「言語の問題」を論じています.「テセウスの船」を想起させる「ノイラート丸」の分岐ケースは説明事例として確かにおもしろい.

でも「言語」をよりどころとして解決できる問題ではないと私は思う.なぜって,著者はくり返し「直観」(p.228)による同一性の認識を論じているからである.むしろ,なぜわれわれが「直観的」に,変化するものを同一とみなすのか?——それが問題なのであって,言葉がどうこうというのは根本的なレベルでの「誤爆」ではないだろうか.分岐ケースの解決として,「存在論の変化によって言語変化を引き起こしている.その二つの言語を整理して捉えるならば,もう矛盾に悩まされる必要はない.これがぼくの結論です」(p.251)と言われても,悩みは実は何も解決できていないのではないか?

存在の問題を言葉の問題として解こうとしたのがまちがいなのだと思う.

せっかくいい「食材」だったのに,「調理」の仕方をまちがったために,出てきた料理はイマイチだった.

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2011/02/21 03:10

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2010/09/20 08:56

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2010/01/27 01:11

投稿元:ブクログ

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