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紙の本
むだな描写は木の葉一枚でも許さぬという心意気で書かれた作品
2004/03/09 20:08
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ろこのすけ - この投稿者のレビュー一覧を見る
武家の時代に男は命をかけて主君に使えていた。一方それを支えていた妻や女達も献身的に、時には不遇を予期しても凛とした生涯をつらぬいてきた。
本書はそんなつつましくけなげに生きてきた多くの日本の母や妻や女たちの生き様11篇を編んだものである。主題は聡明な日本女性の魂の力強さと美しさにある。「それはその連れそっている夫も気づかないというところに非常に美しくあらわれる」と作者自身が語っている。
11篇の中でも第1作の『松の花』は本書の巻頭になくてはならない作品だ。
『主人公藤右衛門64歳は古今の誉れ高き女性達を録した「松の花」の稿本の校閲をしていた。そんな折、妻やす女が不治の病で臨終の床にいた。妻の末期の水を唇にとってやった籐右衛門は夜具の外にこぼれた妻の手を夜具に入れ直してやろうとしてはっとする。そのまだぬくみのある手は千石という豊かな禄を得る主婦の手ではなかった。ひどく荒れた甲、朝な夕な、水をつかい針を持ち、くりやに働く者と同じ手であった。なぜこんな荒れた手に? その疑問はやがて解明する。そして籐右衛門は「これほどのことに、どうして気がつかなかったのであろう。自分が無事にご奉公できたのも、陰にやす女の力があったからではないか、こんな身近なことが自分には分からなかった。妻が死ぬまで、自分はまるで違う妻しか知らなかったのだ」』
…の述懐となり、「世に誉められるべき婦人達は誰にも知られず形に残ることもしないが柱を支える土台石となっている」とつぶやく。
これを読んで私は亡き母の手を思い出した。母の手も何十年と水をくぐった荒れた手だった。生前の母にねぎらいの言葉や感謝の言葉をかけることをしなかった父や子供の私。もしかしたらこの『松の花』のように母のことを何も知らないで過ぎてしまったのかもしれない。
本書は一時「女だけが不当に犠牲を払わされている」と批判されたこともあるようだが、さにあらず。作者自身は声を大にして「夫が苦しんでいるときに、妻も一緒になって苦しみ、1つの苦難を乗り切っていくという意味で書かれたものであり、女性だけが不当な犠牲を払っているわけではない。世の男性や父親達に読んで貰おうと思って書いたものだ」と述べている。
また本書は戦時中の用紙困窮している時に書かれたものだったので「むだな描写は木の葉一枚でも許さぬ」という心意気で書かれたものでもある。
読後、静かにわき上がる感動の涙と、襟を正して端座する心持ちになったのは私だけではないであろう。
本書を持って直木賞を受賞したが、氏は直木賞をはじめあらゆる文学賞をすべて辞退した。
氏にとって読者から与えられる以上の賞があるとは思われぬという固い信念の所以でもある。
じっくりと本書を味読されたし!
紙の本
ひたむきな心と強い意志。見返りを求めず己の信ずる道をゆく清廉の女を描いた11編。
2010/09/05 15:46
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:toku - この投稿者のレビュー一覧を見る
婦道記というタイトルから誤解を受けるかもしれないが、本書に収録されている作品は、武士道や茶道のような人の進むべき道を示したものではなく、ひたむきな心と強い意志で己の信じる道をゆく女の美しく清廉な姿を描いたものである。
そのような女の姿が、山本周五郎の抑制のきいた文体、一文一文に込められた濃厚な情感、比較的短い物語によって浮き彫りにされている。
この作品を読んで、『男はもっと女の気持ちを汲み取り、顧みるべきだ』とか、『女はかくのごときあるべきだ』などと論じるのではなく、敬うべき女性の姿を堪能してほしい。
解説によると、【松の花】は、山本周五郎の生母をモデルにし、その陰徳をテーマにしたもの。他の作品は、主として戦争末期急逝した前夫人の、家常の生活態度に啓発されたものだそうで、作品に女性に対する尊敬と賛美が感じられるのも頷ける。
【松の花】
佐野藤右衛門は、老年のいたわりから藩普編纂を命じられ、「松の花」という家中ほまれ高い、あらゆる苦難とたたかった烈女節婦の伝記の稿本に朱を入れていた。
やがて以前から蝕んでいた病が妻の命を奪うと、親とも思い悲しみ嘆く家士やしもべの女房たちの姿に、それまで知らなかった妻の一面があらわれてきた。
世に現れることのない、陰の努力に生涯を捧げる女性の尊敬すべき姿と美しさを描いた作品。
見返りを求めないことはなかなかできない。だからこそ陰徳には美しさが感じられるのだろう。
【箭竹】
性の揃った、きまって大願と文字が彫られているその矢が将軍家綱の目に留まった。その矢が混じっている矢箱を献納したのは岡崎城主水野けんもつ忠善である。
けんもつ忠善の子細の調査で表れたのは、一人の女のひたむきな思いと、子を思う母の心だった。
主君なら真心を分かってくれると、長い辛苦に耐え抜いてきた母子。その母に芽生えた、息子を世に出したいというたった一つの願いが、強く胸を打つ。
いつ報われるとも知れない辛苦を耐え抜くのは非常に厳しい。その拠り所を信じる強さが、苦難を乗り越えさせ、道を開くのだろう。
【梅咲きぬ】
加代の稽古が極まる目前に、次々と新しい稽古を勧める姑。
そこには、かつて才を認められながらも次々と稽古を変え、飽きやすいと言われていた姑の、武家の妻として深い覚悟があった。
現代において、私を捨て公に生きる覚悟の深さは計り知ることはできないが、その私を捧げる一途な思いにどこか羨望にも似た尊敬を感じるのは、自分だけだろうか。
【不断草】
菊枝が登野村家に嫁いで百五十日、ある日をさかいに良人と姑は冷たくなり、ついに離縁となった。
その半年後、ある事件に連座して登野村が自ら扶持を返上した事を知った菊枝は、名前を偽って農家にあずけられた目の不自由な姑の世話を始めた。
物語の流れは読めてしまうが、それでも胸を打たれる作品。
きっと、辛い選択の裏にある相手を思いやる心と、それを感じ取った目に見えない確かなつながりが、そう感じさせるのだろう。
本書中一番気に入っている作品。
その他、【藪の陰】、【糸車】、【風鈴】、【尾花川】、【桃の井戸】、【墨丸】、【二十三年】を収録。
紙の本
久しぶりに小説を読んで、泣いた。
2017/02/09 07:33
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
山本周五郎はこの作品によって第17回直木賞(昭和18年)に選ばれたが、「もつと新しい人、新しい作品に当てられるのがよいのではないか、さういふ気持がします」とこれを辞退している。
この時、山本は40歳で、若くもないが、その後の大いなる活躍をみると、まだまだ「新しい人」だともいえたのではないだろうか。
もっとも、その後も山本はいくつかの賞を辞退しているから、気骨の人でもあったのだろう。
この作品のことを新潮文庫の木村久邇典氏の解説から引用すると、本来この連作集は全部で31篇あるが、昭和33年に新潮文庫に入る際山本自身が11篇に絞って選定したという。
そのタイトルを列記すると、「松の花」「箭竹」「梅咲きぬ」「不断草」「藪の蔭」「糸車」「風鈴」「尾花川」「桃の井戸」「墨丸」「二十三年」となる。
どの作品も実に見事。簡にして優雅、哀しいという言葉がこれほどあう小説も珍しいのではないか。
久しぶりに小説を読んで、泣いた。
中でも私は「糸車」という作品にもっとも心打たれた。
幼い頃家の貧しさで里子に出されてお高。年月を経て皮肉にも出された家は没落し、実家は隆盛をほこることになる。実の親はお高を実家に戻そうと図るのであるが、お高の心は育ての家にある。
お高は云う。「仕合せとは親と子がそろって、たとえ貧しくて一椀の粥を啜りあっても、親と子がそろって暮らしてゆく、それがなによりの仕合せだと思います」
もうひとつ、「風鈴」という作品にあった、こんな言葉も書き留めておきたい。
「たいせつなのは身分の高下や貧富の差ではない、人間と生まれてきて、生きたことが、自分にとってむだではなかった、世の中のためにも少しは役だち、意義があった、そう自覚して死ぬことができるかどうかが問題だと思います」
山本周五郎を読むなら絶対おすすめの一冊です。