紙の本
インターネット・イノベーションを阻止するもの。
2003/04/18 11:58
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ソネアキラ - この投稿者のレビュー一覧を見る
どうなってしまうんだろ、インターネットは。このままいったらダメじゃん。っていうのが、率直な感想。
「古い体制のもとで繁栄した人々はインターネットに脅かされている。本書は、かれらの反応の物語だ。新しい体制のもとで繁栄するはずの人々は、それを保護しようとして立ち上がってはいない」と作者はこの本のコンセプトを述べている。
確かに、いわゆるハッカーたちには、そんな権利を保護するといった思想は微塵もないだろう。
「すべての社会はフリーなリソースと、コントロールされたリソースとを持っている」そして現在は「そのリリースがそもそもコントロールされるべきかフリーであり続けるべきか」であると。フリーとはタダという意味があるが、この場合は自由の方。
アメリカで、「爆発的に」普及したネットだが、そのスピードが鈍った最大の理由は既存の大企業、それらが既得権益を守るために、知的財産権を盾に、ネットの芽を摘んでしまったことだと。ティピカルな一例は、ナップスターだろう。
「技術はいまや、世代全体が創造できるようにしてくれる−リミックスされた映画、新しい形の音楽、デジタルアート、新しい物語方法、執筆、詩、批評、政治活動のための新しい技術がでてきている−そしてインターネットのインフラを通じてその創造性を他人と共有できるようにしてくれる」
インターネットは単なる「通信手段」でないことは、もう多くの人が感じている。コモンズ−それは共有地、コミュニティである。ソキウス野村先生いうところの「苗床集団」である(『インフォアーツ論』より)。上記のように「インターネットはイノベーションのコモンズを形成する」。なのに、著作権法がさまざまな制限という手枷足枷をはめている。履行する側から見れば当然の権利なのだが、愕然の二文字。
訳者あとがきでも、日本のインターネットに対して規制強化への流れを危惧している。某巨大掲示板の風評被害、インターネットオークションのトラブル、出会い系サイトやネット心中などなど。とかく新しいものは胡散がられる。そのくせ、ビジネスになるとわかるや、食い物にしてしまう。ネット普及のスピードに法整備が追いつかなかったんだけど、規律は必要だと思うが、規制までは、それも強化するってのはね。
ひょっとして、近い将来、ネットのレビューでも引用に際しては、幾ばくかのお金を支払うになるとか。ネタバレのレビューを書いた人は著作権を侵害したとして罰せられたりして。冗談じゃない。
インターネットはよくフリーウェイにたとえられるが−この本にも出てくるが−実はフリーではなかった。作者の警鐘は、果たして…。
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*2月8日*
クリエイティブ・コモンズの発起人である彼の書物。そもそもccに興味を持っていたことに加え、「情報社会と法」のレポートも重なり、手に取った。
これまで自分が友人対し言っていた「開う」の言葉。その言葉に対し意味が分からないといった顔をしていた友人たちに彼なら、十分すぎる程の説明を与えられるだろう。それは私の「開こう」の言葉に含まれる意味を大きく超えるものであるとともに、その弱さも含んでいた。
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この本を根底を流れる思想は、新しいイノベーションは古い既得権者に
妨害されてしまうということ。
そして、古い既得権者は力を持っているため、新しいイノベーションが
邪魔されないためには、政府の力が必要であり、今までは政府が
新しいイノベーションを保護してきた。と言っている。
実際、ビデオデッキができたとき、ハリウッドは裁判を起こし、
それは窃盗だと言った。しかし、結局ソニーが勝ち、ビデオデッキは普及した。
今、インターネットの世界では、既得権者が新しいイノベーションを邪魔し、
技術革新を邪魔している。ということを、力説している。
この既得権者の価値観と一般人の価値観は実は同じであるため、
先見性のある人が啓蒙しないと、世論として既得権を守る方向に行きやすい。
この400ページ以上の内容は、そこに尽きる。
我々は、すべてのものがコントロールされていることが民主主義だという錯覚に
陥ってしまっている可能性がある。
人の利益を、今までなかった方法で邪魔するものは、ルール違反だと。
この世のものはコントロールされたものと、フリーなものの2種類に分類できる。
コントロールされたものとは、お店で売っているお菓子とか、microsoftのpowerpoint
とか。誰かの許可がないと利用できないものがそれ。
フリーなものとは、道路とか、数式とか、誰の許可もなく利用できるもの。
無料=フリー、有料=コントロールではなく、有料でフリーなもの(例えば高速道路
のように、料金は支払わなければならないが、利用が自由であるもの)として、
インターネットがあってもいいのではないかと述べている。
こうすることによって、どのような技術革新やビジネスの革新が起こるか、
それは今は説明できないと筆者はいう。そして、それが一番難しいところなのだと思う。
例えば、バーナーズ=リーという人が、初めてWWWの概念を考えて専門家に
サポートを依頼したとき、専門家は誰一人この有用性がわからなかったそうだ。
1980年代後半の話である。
つまり、この先、どんな革新があるかわからないが、その場が提供されていない
限り、革新は起こらないと筆者は述べている。
デジタル世界は、モノの世界より、アイデアの世界に近い。
サイバー空間のコンテンツは、閉ざすことも排他的な占有も不可能なように
設計されている。つまり、サイバー空間のリソースを、現実空間のリソースと
同じように扱うことはできないし、扱うべきではない。
と筆者は述べていて、僕も同じ意見だ。
例えば、実際にあった話として、カナダの法律はテレビをストリーミングすることは
合法だった。しかし、これはアメリカからも見れて、アメリカの法律では違法だった。
アメリカはこれをやめさせようとしたが、そもそも、そんなことができるようにデジタル
社会は設計されていない。
筆者はとても頭のいい人で、とても有用なことが多く書かれているが、
日本語訳が自分に合わず、理解できない部分があった。残念だ。
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他の人のレビュー
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0719.html
http://orion.t.hosei.ac.jp/hideaki/commons.htm
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リソースがコモンズであれば、誰もがそれを使って創造的な活動を行うことが出来るので、イノベーションを促進する。
それに対して、著作権やテクノロジーを用いて、リソースの所有権を強化するとイノベーションの方向が既存の利害に沿うようにしか進まない。
本書では、コモンズとコントロールのバランスの重要性を説いている。
”たまたま”採用したend to end のネットワ―クアーキテクチュアーがまさにネットワークをコモンズにして、イノベーションを開花させたという話は面白かった。
イノベーターの発明インセンティブを保つために、一定の法的著作権を認めることは当然のこと。問題は、コントロールすることへは広く理解されているが、コモンズであることの有用性はあまり理解されていないこと。そのことが既得権連中にコントロールを推し進めさせ、バランスの欠いたシステムが作られようとしている。
コモンズと聞くと、経済学における”共有地の悲劇”が想起される。そこでは私有財産化することで悲劇を回避するが、そもそも、そこで問題になる過剰消費は公共財の競合性から発生するものである。知識は非競合財なのでむしろ、コントロールによる、過少消費を懸念する必要がある。そして、インターネットはそんな知識という財を流通させているのである。
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昨日 Amazon から届いた。ローレンス・レッシグのクリエイティブ・コモンズはこのごろよく参照される。アメリカは、ガリガリ亡者をたくさん世に送っている国である反面、レッシグのような「正しい」ことをいう人間を正当に評価し社会に受け入れてきた国でもある。なんで日本ではこうならないのか?