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食べ物のと漱石の作品を合わせて語ることで、漱石の創作物と一生を追った作品。
恥ずかしながら、明治時代の新聞小説の人気の高さを初めて知った。一大エンターテイメントだったんだね……。
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漱石の研究書というわけではない。
漱石の文章の中から料理に関する部分を抜き書きして、西洋料理にふれたばかりの明治の日本人の様子を資料と付きあわせた、ちょっと軽めの明治紹介本。
例えば坊ちゃんが天ぷらそばを4杯食べたシーンがあるが、当時松山にはまだそばはなかったらしい。
天ぷらうどんを、自分の好きなそばに置き換えて書いたのだろう、と。
面白かったのは、三四郎が上京した時に食べた駅弁は、何駅の弁当なのかを検証するところ。
鮎の煮びたし(佃煮のことらしい)を手掛かりに、明治の雑誌の駅弁特集を紐解くのだけれど、これがすごい。
▲京都駅 玉子焼、ハモの照焼、蒲鉾、筍、高野豆腐、豆等にして、中にもハモの照焼は確に前日の売残りを使用したるものらしく、臭気を発し、煮豆は所謂屑豆にて、老人小児の歯には合はざるものなり。
▲草津駅 煮肴、鮎の佃煮、蜆の佃煮、鳥の甘煮、牛蒡等にして全部煮物のみを以て配合せしは、営業上の注意不足と云うべく、且つ風味も劣れり
▲小田原駅 煮肴、蒲鉾、玉子焼、蓮、麩等なるが、蒲鉾の如きは慥に一両日を経過せしものの如く悪臭あり。総て頗る劣等。
ちゃんとほめている駅弁ももちろんありますが、容赦ないでしょ?
100年前に腐った駅弁を売ったことが、今この小さなブログでさらされるという…。
因果応報。
あと、漱石とは全然関係ないんだけど、
“明治初期、神様側は西洋料理のようなものがあるところへは、絶対出かけていくことはできなかったのだ。けれども神様は妥協した。妥協して、ホテルのブライダル産業に手を貸すことになったのである。もちろん人々の肉料理への意識の変化も手伝ってのことではあるだろう。”
明治の後半になるまで、結婚式は神社で行われるのが普通だった。
神社にしかいることのできない日本の神様が、神社以外の場所に移動できるようになったのには「永島式結婚式」という商売が絡んでいるらしいです。
明治という時代や、漱石という人物の小ネタ集としては面白かったけど、それだけ。
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店舗情報に関してはおそらく移転等もあるでしょうから
参考までに。
だけれどもこの本、ある国民的飲料の
原型ともいえるものが出てきているのです。
あのロゴ、もうこの当時に存在します。
製造元は変わりましたがロゴは当時からあったんですね。
確かにこの当時は今とは違って
当時の文にも差別があったりするけれども
間違いなく考えさせられるものがありますよね。
そりゃあ排斥されたら逃げ帰るよなぁ…