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紙の本
百間とおともだちたち
2003/07/11 23:47
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:行方知れズ - この投稿者のレビュー一覧を見る
百間の、「人」に関するエッセイ集。教え子や同僚、友人、息子などについて書かれたもの。
これがなんだかいつもの百間のエッセイとすこし様子が違う。どこかウエットで、いつものあの、こちらがボウセンとしてしまうような豪快な言い放ちや偏屈さがなりを潜めているように思われる。
それはおそらく、ほとんどが回想というかたちをとっており、登場する人とのうしなわれた関係を振り返るという質の文章だからなのだろう。
それでもやはり関わった人たちとの思い出のなかには、百間ならではのはちゃめちゃなエピソードが盛りだくさんで(深夜、教え子との飲み会の帰りに他の教え子の家にこっそり墓場からひきぬいてきた卒塔婆を投げ込んだり…)その筆致はいつものあの豪快な偏見にみちたものだし、充分たのしめる。親交のあった著名な人々、芥川龍之介や、宮城道雄との関わりなどでも、まったく無謀な思い出がたくさんで(盲目の音楽家宮城道雄との闇なべのエピソードは読んでいるこちらがすこしこまってしまうほど)いつものように大笑いするのだが、大笑いののちに一抹の薄寒さ、寂しさが残るのだ。
その読後に覚える哀切、一抹の寂しさは、百間がはちゃめちゃな接し方をしたひとびとに対して、そのひとたちにしかけたいたずらや罵詈雑言が度を越しているのと同程度に、強い愛情を持っていたことを示しているように思う。月並みな言い方になってしまうけれども、百間の人間にたいする愛の強さを、感じるのだ。
けっして大上段にふりかぶって、うしなわれた関係を惜しんだりすることなどは無いのだけれど、すくない言葉のなかに万感こめられているのが感じられる。芥川の自死について「余り暑かったから死んでしまったのだと考え、またそれでいいのだと思った」という言葉などは、芥川への愛と誠実さを如実にしめしている。
紙の本
唐突の美学
2004/09/22 17:54
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:脇博道 - この投稿者のレビュー一覧を見る
なにはともあれ、なにごとも唐突に始まってしまうのであるから
居心地がよい場所に安住している余裕もありはしないのではある
が、砂利場の宿に身をひそめて隠れているときでさえ、百鬼園
先生の振る舞いは、どうにも隠遁などという事の静かな状況とは
程遠く、周囲が勝手に怪し気な動きをしてしまうのかはたまた先
生の振る舞いが、そのような事態を呼び寄せてしまうのかそのあ
たりの消息は何度読んでも境界線がどうにもぼやけていて不可思
議きわまりないのであるが、本書のように先生の知人、友人、恩
師その他おおぜいが、そのような事態にかかわってくるとなると
読者も興味しんしんという事になる。唐突に奇妙な人々が周囲で
こうもさまざまな行動を起こされると通常の認識としてはやりき
れない思いになる事もないわけではあるが、ここはそれらの人々
の一枚も二枚も三枚も上手をいく先生のこと、ときには淡々と
ときにはあつく、そしてときには哲学的分析を踏まえて語りつく
してしまうのはさすがというほかないのであるが、なにも当人は
ただの傍観者であるわけでは絶対になく、大概のケースにおいて
はそれらの人々も吃驚するような振る舞いをなさっているのであ
るからお互い様ということにもなりかねない。だが、よく読んで
みるとなんと先生は人間としての矜持を持ち合わせた大人なので
あろうと感嘆するべきエピソードも有り、不条理な笑いを誘発す
る話のみに拘泥していると足元をすくわれかねない大きな振幅そ
のものが百鬼園エッセイの勘所といえると思いつつも、またもや
笑いがこみあげてきてしまうのはいかんともしがたく、どうした
らこんなに面白い文章が書けるのだろうという羨望がちらりとあ
たまをかすめても、そのような小生の無能力さに諦念を感じさせ
るすきもただ一瞬の事であり、再び使用されていることばひとつ
ひとつに酔うがごときある種の境地に入らせて頂けるのはやはり
百鬼園先生のエッセイをおいてはほかには寡聞にしてあまり思い
当たらないのが目下のところのいつわざる本音である。
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