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最初はわが家でも正月に飾る学問の神様としての「天神さま」の由来の話かと思ったが違った。(笑)
本書は1976年の『岩波講座 日本歴史 古代4』に所収された氏の論文「王土思想と神仏習合」を膨らませ、天神信仰が成立・展開する歴史的意義を論述した論文集である。前記論文はその後、氏の論文集である『中世封建社会の首都と農村』に収録され、さらにまた本書にても再収録されているので、氏の代表的な論文といってよいだろう。(当然、河音能平著作集にも収録されている)
当初は天神に関する本論考が、本書に収録されている別論文においても繰り返し繰り返し述べられているので、単なる使い回し、いや、再論の積み重ねの論文集かと思ったが(笑)、微妙に論考内容も変化しており、また、以前の論文の考え違えや再考したことを丁寧に自己批判しているので逆に好感が持てたのと、著者の軌跡を追うことにおいても興味深い論文集となっている。
律令国家が導入した戸籍を基礎とする班田収受の崩壊は、古代首長層を頂点とした古代農業共同体をも解体させたが、それは、古代地方寺院を中心とした宗教イデオロギー装置の崩壊でもあった。新たに農業生産の担い手となった富豪層は、それに変わる宗教装置として勧農神を祀る神宮寺を建立し、また政争に敗退し滅亡した怨霊が災害を起こすのを慰撫するための御霊会を主導した。
そしてときに天慶八(945)年、まだ承平・天慶の乱の余燼が冷めない時期に、志多良神の神輿が大勢の群衆とともに京に向かう事態が発生する。その先頭を切る神が「自在天神」=「故右大臣菅公霊」(天神)であり、富豪層が農業の担い手であることを賛美する歌を歌いながら行進してきたということである。志多良神が「自在天神」を前面に押し出すのには背景があり、入京行進事件に先立つ延長元(923)年、藤原時平の外孫皇太子保明親王が死に、さらに延長八(930)年に清涼殿への落雷で4人の廷臣が焼死、それにショックを受けた醍醐天皇も病気となり、やがて死去したことにより、天神=怨霊説が一挙に広まった時期でもあった。
こうした天神への懼れを神学的に補強したのが天慶四(941)年に著された『道賢上人冥途記』であり、それを基に著された『日蔵夢記』であるとする。両書ともに、道賢が荒行中に仮死状態となり、あの世を旅して、故右大臣菅公の生まれ変わりである太政威徳天に会ったとする神学書とのことである。その中で、太政威徳天は自らを、雷を引き起こす火雷天気毒王のほか、あらゆる自然災害を引き起こす怨霊を従える超怨霊であるとした上で、密教を興隆させ、自分の像を作って敬うならば、復讐は止めにしてもよい、と述べたという。さらに道賢は地獄に堕ちた醍醐天皇にも会い、早く現天皇(朱雀)に仏教を振興させて自分を救うようにとの伝言を言付かったとしている。
このような天神の存在は宗教イデオロギー的に朝廷を相対化するものであり、藤原時平の推し進めた延喜荘園整理令にみられる班田収受の復活政策に抗して、あくまでも富豪層主体の経営を守らんとする下からの勃興とのせめぎ合いの中で生まれ出た、中世的な神の誕生であると著者は評価する。��きには富豪層を主な担い手とした志多良神の行進であったり、後に本地垂迹説の形成による神宮寺衰亡以後の中世村落が、相対的な自立を意味する村の神としての天満天神勧請を行ったりと、古代の転換点から中世社会にいたるまで、常に下から支え続けられた神であり超怨霊であったと位置づけている。
後世に「延喜・天暦の治」と称えられ、自ら「後醍醐」と遺諡した天皇もいたほどだが、実際は古代律令制がまさに破綻の局面を迎えつつあり、当の醍醐天皇は堕獄したとする説が広まっていたとはとてもシニカルな話であり、さらに『道賢上人冥途記』をネタとする天神由来の口伝の担い手が琵琶法師以前の盲僧であったとしていて、まさに下からの地道な宗教イデオロギーの浸透過程に、政治権力を相対化させる大衆エネルギーの根強さを感じさせる。また、東大寺を頂点とする各国分寺に納められた金光明最勝王経だが、鎮護国家の護国経の部分が切り離され、後半のインド由来の護法善神への信仰を説く部分が民衆に受け入れられ、民衆に祀られる神(天神=太政威徳天も含まれる)となっていったこともシニカルな話として興味深い。
続けて本書では、各地に残り天神の存在証明である『天神縁起絵巻』の比較・追跡の話や、その基となった『道賢上人冥途記』『日蔵夢記』などの史料の収録と、特に『道賢上人冥途記』については現代語訳を併録しており、これらについてもとても興味深く面白かった。北野天満宮に納められる『北野天神縁起絵巻』には醍醐天皇堕獄のシーンは描かれておらず、六道絵でお茶を濁しているという話は、バランス感覚の機微が感じられ、これもなかなか興味深い。
古代社会から中世社会のダイナミックな構造転換と、それを背景とした神仏習合過程を明らかにした上で、天神を中世的な神と位置づけその意義を示した、壮大な構想と意欲溢れる論文集である。