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英文特有の言い回しと著者の「粘着質(あとがきに訳者の記載あり。自分もそう思いました)」なトピックの列挙により、かなり「読みにくい」というのが感想です。
ただ、イスラムをめぐる、特にアメリカにおける言論のトーンとレトリックは、この本が最初に出版された1981年当時とあまり変わらないことは明らかで、アメリカは湾岸諸国とのいざこざを、もう30年以上繰り返していること自体、泥沼以外の何者でもないと再認識させられました。
その意味では、30年前の事件や出来事のひとつひとつに丹念に当たることができれば、出典も正確に記されているのでイスラムをめぐる言論の研究には役立つ1冊なのだろうと思います。
まあ、自分を含む一般の読者にとっては、恐らく「訳者あとがき」が一番分かり易かったりするのですが。
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「イスラム」と聞いて何を思い浮かべますか?あご鬚のテロリスト、原理主義、アメリカの敵、後進国etc…いや、そもそも「イスラム」って何?
本書では、原題(COVERING ISLAM)が示すように「イスラム」の報道(cover)が実際は隠蔽(cover)なのだとし、「イスラム」という語がいかに現実のイスラム文化圏の多様さを無視したフィクション、あるいはイデオロギー上のレッテルとなっているのかが論じられます。
1970年代末からのイラン革命と米大使館人質事件を主として、イスラム世界で起きた出来事がアメリカでどのように報道、解説、研究されたのかを詳細に振り返り、そこに「文化的・人種的憎悪」に根差した「明白に不正確な扱い」があったことを明らかにします。
さらに、こうした「イスラム」に対する偏った視座を生み出すメカニズムとして、「企業=政府=アカデミズム」3者の密接かつ複雑な関係性を指摘したうえで、他の国や文化について理解するとは如何なることなのか、が「知識」と「解釈」の点から論じられています。
異文化に対する報道や研究、とりわけイスラム研究が「国益」と結び付いた「権力への奉仕」となっている問題についてのサイードの弾劾は、その独特の語り口もあってか、その訴えにはかなりの迫力を感じました。
本文自体は1981年に書かれているため、冷戦という社会背景が色濃く反映された内容であることはいうまでもありません。しかし、そのなかでも折に触れてサイードが指摘するポスト植民地時代の予測には、今日的な視点から見ても何ら古さを感じません。特にこのヴィンテッジ版では、1996年に新たに書かれた序文が載せられているのですが、そこで展開されるテロリズムの分析、イスラムが意図的に原理主義と結び付けられることが結果的に何をもたらすのか、という部分は、その後の9.11同時多発テロ以降の世界情勢を予言するかのような内容であり、彼の知見の鋭さ(むしろ世界が80年代から何の進歩もないだけかもしれない…)に驚かされます。
意図せず、同時多発テロから10年の日(+1日…)に読むことになりましたが、改めて今日の主要なイシューである「テロとの戦い」が単純な善悪二項対立に還元できない、極めてナイーブな問題なのだと再確認させてくれる良書でした。加えて、ここからはきわめて私見ですが、「イスラム」を「中国」や「北朝鮮」と置き換えて考えたとき、日本に生きる私たちにとってサイードの提示する議論はさらなる切実さと重要性を持ってくるのではないでしょうか。そうした点でも、お勧めしたい一冊です。
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NHK 100分deメディア論 より。サイード 「 イスラム報道 」イスラム報道=イスラム隠蔽 とした論調。アメリカのイスラム報道は 権力の発動であり、解釈の状況により左右されたもの。メディアとイスラム研究者を批判。知識の意義、研究者のあるべき姿を論じている
知識とは
*知識は 解釈と判断に基づくもの。解釈の方法と目的は自分で認識すべき
*知識は 特定の国家、宗教のためでなく 共存のために取得されるべき
他の文化の研究者のあるべき姿
*研究者が 研究対象とする文化、人々に接触すること
*文化の壁と距離を乗り越えようとする強い意志
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(2022.07.26)
欧米メディアが創り出したフィクションとしてのイスラームの在り方を問う、本書の意図はよいものだと思う。
ただし、著者の語調(日本語訳ではあるが)があまりに鋭く、取り付きにくい。本書(増補版)には「ヴィンティッジ版への序文」が収録されているが、序文にしてはかなり長く、辟易してしまう。気が向いたら再読するかもしれないが、今は辛口コメンテーター然とした本書のリズムは合わない。
(2022.09.29)
再読。
西洋、殊にアメリカが創りあげた「イスラム」なるものの、なんと欺瞞と偏見に満ち満ちていることか。引用されている"オリエンタリスト"たちの文章の、なんと煽情的で軽薄短小な内容であることか。自称"オリエンタリスト"たちと、彼らの主張を鵜呑みにする欧米(もといアメリカ)社会に対する批判は尤もであり、その責任は追及されるべきだ。
実名を挙げながら展開される文章は、しかしながら読んでいてしんどい部分もある。加えて、序文が長い。