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読むものがなくて、ついつい読んでしまった。
大学に入ったら、自分で動いて、学んで、生きていくべきで、本当はこういう本は読んじゃいけないと思ってたのにも関わらず、ついつい買ってしまった。
鷲田さんって独特なとこもあるけど、なんとなく存在が面白い。
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鷲田小弥太先生による大学論。自分がいつも思ってるようなことばっかり書いてあって感動。モラトリアムだのレジャーランドだの揶揄されがちな大学の効用について。大学は知識を得る場ではなくて知識を得る動機を得る場であり、畢竟、独学にはかなわない。試験がなくても勉強する奴と、試験があっても勉強しない奴の差はめちゃくちゃ大きいのですよ。大学はバカでも卒業できるから勉強なんかしてもしなくても大卒としての学歴は変わらないけど、わかる人には歴然とした差が見えるものなんですよね。
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この手の本はタイトルをみて誘惑され、実際に読んでみるとたいした感動もなかったというパターンが今までの経験からして多いのだけど、その例に漏れずこの著者の本も少し退屈だった。ところどころには納得させられる文章があるのだけど、全体として筆者の随筆みたいな感じになっていて、もう少し論理的にまとめてもらいたかった。また題名は“大学時代に学ぶべきこと、学ばなくてよいこと ”と非常に明確な謳い文句であるのに、内容が明確でなくミスマッチの感がある。ただし、「周りが自分をどうにかしてくれることに期待するのではなく、自分から世界を作っていく気持ちをもて」「とにかく色んなことにチャレンジしなければ自分が本当に何がしたいのか掴めない」などの言葉は非常にためになる。2008-5-22
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理想的な家を建てる前であれ、人は住む家が必要である。だから、理想的な家ができあがるまで住む家をまず建てなければならない。
使えなくなってしまったマルクス主義と格闘した知的努力、行動力の活力は私の力の貴重な要素になっています。
ある程度学ばなければ学ぶべきものはわからない。
文芸を通じてゼネラリストの力を養う最良のテキストとして、司馬遼太郎、柳田国男がある。
文学には決まった手法がなく、それぞれ個別の方法がある。そういう方法の集積がゼネラリストの手法である。
壁にぶち当たって自分には学問するための基本が何も備わっていないと初めて悟る。
「もしこうであったならどうなるか」という思考実験を行う、それがカント哲学。
歴史学に限らず、学問はすべてフィクションという手続きを経てできている。一定の枠組みを前提に成り立つものである。その条件は万般に通じるものではなく現実の一断面だ。その断面以外では成立しない、あるいは成立するかどうか検証できないというのが諸学問の限界なのだ。
歴史を学ぶとは、現在と違った時代と条件の中で生じたことを、意味を知ることを通じて現在をより賢明に生きる糧にするということである。
哲学であれ、経済学であれ、医学であれ、その意味では全部歴史であることに違いはない。
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そこまで学ぶ内容はなかったかな。
あー自分のこと好きなんだなぁこのひとって思った。実際どうだかなんて知らんけどり