紙の本
発見に至る長き道のり
2006/05/19 23:59
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投稿者:くまくま - この投稿者のレビュー一覧を見る
大航海時代を経て、ついに磁力と重力の発見の時を迎える第3巻。
ここでいう「力の発見」という言葉に疑問を感じる方もいるかもしれない。力は日常で感じられるものなのだから、改めて発見するものでもないだろうと。この日常の力には必ず”接触”が伴っている。しかし、太陽と地球、鉄と磁石の間には何もないのだ。この間に力という概念を持ち込むのはかなり難しいと思う。
ギルバートによる地球磁場の発見とその起源としての生物的地球観は意外な効果を生む。それは、ケプラーによって定式化された天体運動法則が天体の持つ磁場によって引き起こされているという思想であり、もう1つは、卑しい土くれゆえに動かないと考えられていた地球が、生物ゆえに動きうるという、天動説から地動説への転換の原動力としてである。
ルネサンス時代は、磁力の第一原理として神や自然魔術が持ち込まれた。近代に入ると、そのような思想から脱却するため、自然は微小な機械によって構成される、という機械論が全盛をしめるが、その機械的な仕組みを考案するために、逆に実験的事実がないがしろにされる事態が発生してしまった。
これは、磁力を扱う理論が自然哲学の範疇に入っていることが大きな原因だと思う。つまり、形而上の問題が重要で、形而下の問題はそれに付随的なものだとみなされてしまうのだろう。
ケプラー、ガリレイ達の仲介によって出会った自然哲学と数学から近代物理学という胎児が生み出されるのはフック、ニュートンに至ってからである。観測事実に基づき、それを再現しうる数学的定式化を行う。問いの中に、どのような仕組みで起こるのかという疑問を含まない、数理物理学が親元から離れたのだ。この子が親元に戻ってくるには、この時点からしばらくの時を必要とする…
終着点の都合上、本巻には前巻までと比べて多くの数式が登場する。それも含めて理解しようと考えるならば、大学初等程度の電磁気学の知識を必要とするだろう。しかし、それを除いたとしても、「遠隔力の発見」に至る道筋を知ることができる良作だと思う。
紙の本
占星術師ケプラー、錬金術師ニュートン
2004/05/15 22:06
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投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る
「磁石論」の著者ウィリアム・ギルバートは、地球を、創造主の力で霊魂の支配によって方向付けられていると論じた。近代実証科学の父と呼ばれている彼が、である。しかし、その霊的観念が、地球を生命ある活動的なものとして見ることを可能にし、地球そのものが磁石であるという発見をもたらし、ひいては地動説の受け入れをも可能にしたのであると著者は指摘する。
このように、近代的な発見のなかにはオカルト的な世界観、霊魂の支配といった前近代的な観念がより分けられないくらいに混ざり合っている。
本書で重視されているのが、コペルニクスでなくケプラーであることもそれと無関係でない。
コペルニクスの地動説はなるほどそれまでの天動説を覆すものであったかも知れないが、それ自体それまでの静的な配置図の中心を据え変えたにすぎず、真の近代力学、近代天文学の誕生はケプラーにあると著者は見る。
「ケプラーの出発点は、それまでの天文学のように個々の惑星の軌道や位置を決定することではなく、太陽系全体を一個の調和的な体系つまり単一の動力学的なシステムと捉え、(中略)すべての惑星の軌道と運動を因果的、定量的に関係づけることにあった」
そしてそれを可能にしたのが、占星術的な「秘密の影響力」や魔術の「隠れた力」であったという。ケプラーは占星術に対してのめり込んでいると言うほどではなかったが、留保付きで受け入れていたと指摘されている。そのケプラーの本質的な革新は、「隠れた力」といった動因を数学的関数として捉え、その上で「幾何学としての天文学」と「力(影響力)を課題とする占星術」の両者を「動力学的な天文学(天体力学)」へと統合したことにある。占星術的な星辰の運動を関連づける観点がここで働いているのがわかる。
その後、デカルトを代表とする17世紀機械論哲学が、すべての運動を接触や衝撃によるメカニズムとして捉えそれまでの魔術的世界観の撲滅を図った。しかし、「磁力のような霊魂敵あるいは魔術的な遠隔力を拒否し、そのからくりを解明することによって魔術を解体できると考えた機械論は重力の説明に挫折した」。
逆に、霊魂論的な見方が受け入れられていたイギリスにあって万有引力を発見した(というより、法則化し定式化した)ニュートンは、天文学に割いた時間の十倍近くの期間を錬金術の研究に費やしていた。
「精密な観測にもとづいて重力を厳密な数学的法則に従わせることによって、言うならば魔術的な遠隔力を合理化したのである」
また、
「「重力の原因」にたいしてニュートンが最終的にゆきついた解答、つまり「機械論的ではあり得ない第一原因」は「非物体的で生命ある知性を持った偏在する存在者」言いかえれば「神」であった」
上記引用に見るように、ニュートンは錬金術的な見方を決して捨ててはいない。逆に、その観念こそが重力や磁力という魔術的な力に対して妥当な研究を可能にしたともいえるのである。
事実、ニュートンは上記のような霊魂的神学的なことも言っているが、その数学的分析の段においては、原因の説明や本質論を回避し、「何故?」に踏み込まないのである。「いかに?」という現象面を数値化し、法則化することが近代物理学への道であった。
近代科学黎明の時期に、魔術的、霊魂的な見方が果たした役割を追った本書は、磁力の謎をめぐって数々の研究者たちが挑戦してきた壮大な物語である。魔術と科学の魅惑的な絡まりを紐解いていくうち、意外にも魔術的思考が近代科学にとって必要不可欠な要素であったことがわかる。
魅力的な磁力と重力というテーマのおかげか、大部の長さを退屈せずに読み通すことができた。専門書のようだが、一般向けに書かれているので、磁力と重力から見たヨーロッパ思想史として、私のような専門外の人間にも充分以上に楽しめる。
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機会論と物活論の闘いの「力」概念の近世史をみる
2003/07/09 12:42
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投稿者:三中信宏 - この投稿者のレビュー一覧を見る
近代の「力」観念史をたどる第3巻は,ウィリアム・ギルバートの
〈磁気哲学〉とヨハネス・ケプラーの天文学で幕をあける.磁力と
重力の主役が出てくる予感がする.ギルバートの磁気哲学の影響を
受けたケプラーは星の運動もまた遠隔作用による力の影響を受けて
おり,磁気作用と同じだろうという推論である(p.696).そして,
重力を明らかにするための「数学的関数」を編み出す.
しかし,重力の数学的定式化を試みたケプラーの精神は,次の世代
には引き継がれなかった.第19章は,デカルトとガリレオの〈機
械論〉に光を当て,遠隔作用を否定する機械論がケプラーの意図を
つかみ損ねた経緯をたどる.デカルトが遠隔作用を近接作用によっ
て説明するために編み出したさまざまな憶説(エーテル体説や渦動
仮説など:p.750)は,ことごとく失敗し,磁力を近接的に説明す
るための「施条粒子説」にいたっては空論そのものだった(p.76
4).第20章では,フランシス・ベーコンに始まるイギリスの経
験主義をとりあげ,デカルトの機械論が経験主義の土壌で変容して
いくようすが考察される.言説はデータに基づいてその真偽が判定
されるということだ.ロバート・ボイルがこの立場を代表する科学
者として登場する.
続く第21章は,王立協会の創立とともに,経験主義に則った〈実
験哲学〉がイギリスに浸透していく過程を論じる.ロバート・フッ
クやアイザック・ニュートンは,近接作用としてではなく,ふたた
び遠隔作用として磁力と重力をとらえなおした.重要なことは,問
題設定のスタイルそのものを変え,「〜とは何か」という存在論的
設問(本質と原因への問いかけ)を放棄し,「〜はどのように作用
するか」という法則性の定量的解明を解決すべき問題としてセット
した(pp.850-860).力の法則性を解明することで,〈魔術〉的性
格をもっていた遠隔力は合理化されたのだと著者は言う(p.862).
重力に関する遠隔作用論はこのようにして経験科学の中に着地した.
最後の第22章は,磁力の法則性解明と遠隔作用解釈の定着につい
てである.18世紀に入り,ヨーロッパ大陸で進められた磁力の測
定実験を通じて,重力と同様に,その法則性が解明されていった.
この経緯を振り返って著者はこのように要約する:「物理学は事物
の本質についての形而上学的な認識を求めることを放棄し,さしあ
たって現象の法則についての数学的な確実性を求めることに自足し
たのである.そしてここに数理物理学がはじまる」(p.935).
「力」概念の発展史から言えることは,遠隔作用を否定したデカル
ト的機械論は結果として敗退し,対立する自然魔術的な物活論が近
代物理学を生みだした母体ということである.魔術が確かに近代科
学の成立に寄与したことは事実であり,それを過小評価したり,逆
に過大評価することを戒めつつ,本書全体が締めくくられる.
ローカルな科学における概念形成史をケーススタディとして追求し
た本書は,単に物理学史の書物というだけにとどまらず,もっと一
般的な「自然思想史」とみなされるべきだ.物理学のたどってきた
道を生物学のそれと比較してみると,両者のちがいは明白だろうし,
そのちがいが何に由来するのかを探るのはきっと本書と同じ1000ペ
ージの本を要求するだろう.存在の学としての形而上学は,なぜ物
理学では〈無害化〉できたのか,それにひきかえどうして生物学で
は形而上学が〈野放し〉のままなのかを問いかけることは意味のあ
ることだろうと思う.クラスと個物のちがい? それとも,歴史上
の偶然?
現代物理学では不問に付された形而上学は果たしてこのまま休眠し
続けるのかという問題意識をもちつつ,本書を多くの読者に勧めた
いと思う.文句なくいい本だから.
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(2004.05.24読了)(2004.02.28購入)
3巻本の3冊目。これで最後。第2巻は、ルネッサンスでうだうだした感じでちっとも進展しないでいらいらしたけど、第3巻はどうなのでしょうか?
●ウィリアム・ギルバート
1544年イギリス南東部エセックス州コルチェスター生まれ。父は、裁判所の判事。1558年(14歳)ケンブリッジのセント・ジョーンズ・カレッジに入学。1569年(25歳)医学博士の学位を取得。1570年代にロンドンで開業。1600年(56歳)王立医学協会会長。1603年死亡、59歳。1600年に「磁石論」を出版している。
彼の生まれる前年1543年には、コペルニクス「天球の回転について」が出版され、ポルトガル人が種子島に渡来している。1588年には、イギリスがスペインの無敵艦隊を撃破し、イギリスが海外進出してゆく時代であった。
「磁石論」の正式の標題は、「磁石と磁性物体について、そして大きな磁石である地球についての、多くの論述と実験によって証明された新しい自然哲学」である。
「磁石論」の序文には「秘められた物事の発見や事物の隠れた原因の探求に当たってのより明確な証明は、従来の哲学者たちのもっともらしい推測や意見によるよりも、信頼に足る実験と論証によって与えられる」と述べられており、実験の大事さを強調している。
ところが、著者の山本さんによると、ギルバートの功績は「地球が一個の巨大な磁石であると言う発見にあるが、それは実験や観測から機能されたものではなく、特異な物質観に基づいて作られた仮説である」という。
ギルバートは、磁力と静電引力は別のものであることを示すことによって、結果的に電気学の創設者になった。琥珀をこすることによって生ずる電荷を測る検電器を考案している。静電気を発生する物質を多く発見し、この性質を有する物質を電気的物質と名づけている。エレクトリックという言葉は、琥珀(electrum)から来ていたんですね!ちなみに電気的物質は、electricumで、ギルバートの造語です。
ギルバートは、「磁石はその起源と本性において鉄的であり、また鉄は磁石的であり、両者は種において同一である」と述べており、これもギルバートの発見である。(磁石と鉄は同じものなんだ!知らなかったな。)
ギルバートは地球が大きな磁石であると結論付けることにより「地球はその磁気的で本源的な力によって自ら回転する」と地球自転の原理を磁力に求めている。これにより地球の自己運動に自然学的根拠が与えられ地動説を受け入れるための大きなハードルが取り除かれた。
●ヨハネス・ケプラー
1571年12月、南西ドイツ、ヴュルテンベルク公国に囲まれた自由都市ヴァイルで生まれた。1589年(17歳)テュービンゲン大学神学科に入学。1594年(22歳)グラーツのプロテスタント系神学校の数学教授に赴任。1596年(24歳)「宇宙の神秘」出版。太陽系の秘密を解明したと称する。ケプラーの時代に知られていた、太陽系の惑星は、水、金、地、火、木、土の6つであった。「地球を含む諸惑星の間に何らかの秩序と調和が存在し、そこに神の作品としての証が見られるはずだ」と考えたケプラーは、5つの正多面体に注目し、惑星軌道の相対的な大きさは、軌道を含む球を正多面体にある順に内外接させることで決まる、とした。このケプラーの理論で算出した軌道半径の比が偶然ながら実測地から得られるものにあっていたので、当時高く評価された。(宗教と科学は、相反するものという考える人も多いと思いますが、神が作ったものだから、きれいな法則に従っているはずだと考え自然科学の法則を発見している例が多い。)
1609年「新天文学」発表。惑星運動の第一法則(楕円軌道)と第二法則について述べている。第三法則は、1620年に発表されている。太陽の惑星への影響を考えるに当たって、ケプラーは、点光源から出た光の減衰にならって定量的に決定し、それによって惑星の公転周期を軌道半径と関係付けようとした。(眼に見えない力を眼に見える光からの類推で考えるというのは、なかなかのアイディアといえる。)
第三法則は、「どの惑星も、太陽からより遠くにあればより緩慢に動き、そのため周期の比は太陽からの距離の三分の二乗の比になる」というものである。地球も火星も同じ法則の下に動いている。地球だけが特別なものではない。
●重力論
ギルバートの重力理論
「大地はそれ自身の重さにより一つに固化する。このような部分の粘着と物質の凝集は、太陽や月や惑星や恒星に、即ちすべての球状物体に存在し、その諸部分は互いに粘着し、それぞれの固有の中心に向かう。中心に向かう直線運動は、単に自分自身の資源に向かう傾向に過ぎず、地球だけでなく、太陽や月やその他、すべての球の部分の有する傾向である。」
地球だけを特別扱いするアリストテレスの自然学から自由になっている。
ケプラーの重力理論
「重力とは、類似の物体間の合一しようとする相互的で物体的な傾向のことである。それゆえ、石が地球を引き寄せようとする以上に、地球は石を引き寄せる。」
重力は相互的なもので、石が地球に引かれるだけでなく地球もまた石に引かれるといっている。
重力が距離に反比例するだけでなく、引き寄せる物体の質量に比例するとも述べている。正しくは、重力は距離の二乗に反比例するのであるが、かなり近いところまで来ている。
●潮汐について
ケプラーは、潮汐の主たる原因を海水に対する月と太陽の重力に求めていた。
ガリレイは、潮の干満の原因は大地の運動である。潮汐は、地球の自転と公転の重ね合わせの効果である。地球表面の地球の自転速度が公転速度と同方向になる部分と逆方向になる部分では、地表の速度に差が生じ、その速度変化に海水がついていけないために海水面に高低が生じるというものである。地動説を裏付ける根拠としたかったようである。
●ロバート・フック(1635-1703)
フックは、ばねについての「フックの法則」を発見している。「ばねの力はその伸びに比例している」というもので、「力が数学的関数によって表される」事も表明している。
1666年の論文で「惑星の運動は慣性による軌道接線方向への直線運動に中心物体からの引力による中心方向への加速が重ねあわされたものと見ることが出来る」と述べている。フックのこの考えは、ほとんど直線的に太陽に向かって接近してゆき太陽の近傍で大きく湾曲して再び太陽からほぼ直線的に遠ざかってゆく彗星の運動からたどり着いたのであろう、と山本さんは言っている。
●アイザック・ニュートン(1643-1727)
「ニュートンはケプラーの法則から太陽と惑星の間に距離の二乗に反比例する引力が働いていることを導き出し、その引力が万有であること、即ちすべての物体間に働いていると仮定し、惑星・衛星の運動ばかりか地球の形状から潮汐まで説明して見せた。その際、ケプラーの三法則から力の関数形を導き出すに当たっては、惑星や彗星の軌道運動を軌道接線方向への直線的慣性運動と中心力(求心力?)による中心方向への加速運動の重ねあわせととらえるフックの解析方法に全面的に依拠している。」
「ニュートンは重力の原因や成因の追及を放棄し、力の数学的法則の確立を提起した。」
「ニュートンの公式的立場は、「万有引力の本質は何か」とか「何故万有引力が存在するのか」といった存在論上の問題は自然哲学の問うところではないし、あるいは「万有引力は空間をどのように伝播するのか」とか「万有引力は何を介して対象物体に届くのか」といった事柄に頭を悩ますには及ばない。といったものである。」
「宇宙空間に充満している微細物質の渦動が天体に作用する、といったような機械論はニュートンが退けてしまった。」
●最後に
ニュートンは、りんごが地上に落ちるのを見て、万有引力の法則を発見したといわれる。エピソードとしては面白いけれど、一人の天才の力だけで法則の発見がなされるわけではない事は、この本を読んでも分かる。多くの人の努力と新しい技術の利用によって、徐々に解決されてゆく。
発見に貢献した人たちも、後世から見て正しいことばかり言っているとは限らないことも分かる。
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1ヶ月半くらいかかってようやく全3巻を読み終えた。
率直に言いうとマニアックで、良くいろんな賞を受賞したなぁという感じ。
誰もが「ニュートンが重力を発見」という言葉に違和感を感じたことがあると思うが、本書を読めばその意味が理解出来る。
メモ
・理解し難い現象と出会ったとき、その現象の原因を考えるよりは緻密なデータを集め解析することが、理解する近道である。
・そのとき数学的手段が大いに役立ち、数式化することで物理学の中で位置づけられるようになる。
(万有引力の公式に理由なんて無いもんね。)
というわけで、物理学は哲学から切り離されて、WHYでは無くHOWを探求する学問になったんだなぁ、と実感出来る本でした。
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大航海時代を経て、ついに磁力と重力の発見の時を迎える第3巻。
ここでいう「力の発見」という言葉に疑問を感じる方もいるかもしれない。力は日常で感じられるものなのだから、改めて発見するものでもないだろうと。この日常の力には必ず”接触”が伴っている。しかし、太陽と地球、鉄と磁石の間には何もないのだ。この間に力という概念を持ち込むのはかなり難しいと思う。
ギルバートによる地球磁場の発見とその起源としての生物的地球観は意外な効果を生む。それは、ケプラーによって定式化された天体運動法則が天体の持つ磁場によって引き起こされているという思想であり、もう1つは、卑しい土くれゆえに動かないと考えられていた地球が、生物ゆえに動きうるという、天動説から地動説への転換の原動力としてである。
ルネサンス時代は、磁力の第一原理として神や自然魔術が持ち込まれた。近代に入ると、そのような思想から脱却するため、自然は微小な機械によって構成される、という機械論が全盛をしめるが、その機械的な仕組みを考案するために、逆に実験的事実がないがしろにされる事態が発生してしまった。
これは、磁力を扱う理論が自然哲学の範疇に入っていることが大きな原因だと思う。つまり、形而上の問題が重要で、形而下の問題はそれに付随的なものだとみなされてしまうのだろう。
ケプラー、ガリレイ達の仲介によって出会った自然哲学と数学から近代物理学という胎児が生み出されるのはフック、ニュートンに至ってからである。観測事実に基づき、それを再現しうる数学的定式化を行う。問いの中に、どのような仕組みで起こるのかという疑問を含まない、数理物理学が親元から離れたのだ。この子が親元に戻ってくるには、この時点からしばらくの時を必要とする…
終着点の都合上、本巻には前巻までと比べて多くの数式が登場する。それも含めて理解しようと考えるならば、大学初等程度の電磁気学の知識を必要とするだろう。しかし、それを除いたとしても、「遠隔力の発見」に至る道筋を知ることができる良作だと思う。
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作者の資料収集力には脱帽。
ただ、古代から近代にかけて偉人といわれる哲学者たちの謬説をすべて読見通すだけの気力が自分にはなかった。
現代科学登場以前の”自然”哲学というのがいかに不毛なものだったかよく理解できた。
遠隔力としての重力を認めるのに魔術的下地のあるニュートンが必要とされたというのは納得。所詮科学は、自然の行う魔術を無限後退させているに過ぎない。そこに存在論的なものを持ち込んではいけないのだ。
そこらへんが宗教と科学の違いの1つだろうか。
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ガリレオはなぜ重力の遠隔作用を否定しながら地動説を信じることができたのだろう。
コペルニクスが地動説を証明したわけではないように、ギルバートもまた、地球が巨大な磁石であることを証明したわけではない。
だが、ケプラーはコペルニクスの地動説とギルバートの磁気哲学とティコ・ブラーエの観測結果から惑星運動理論を導くことに成功した。
ただし、ケプラーが考えたその運動の原因とは、重力ではなく磁力であった。
そしてニュートンもまた、ガリレオの運動理論とケプラーの法則から万有引力を定式化したが、なぜ重力が生じるかは説明できなかった。
多くの人間がその肩に乗って立つ過去の巨人たちの中で、非の打ち所のない完璧な理論を作り出せた者はいるだろうか。
実験をせずに自分の理論を信じたもの、論拠の薄い新しい考えを否定したもの、数値よりも目で見られる経験と感覚に頼るもの。
昨今ならば老害の一言で片付けられてしまいそうな先人たちは、しかし嘘をついて事実を歪めたわけではない。
当時の技術では観測不可能な現象は多く、稚拙で曖昧な実験の精度が低いことも多々あった。
それは後のアインシュタイン、ファインマン、ヒッグスの時代でも変わらない。
理論や予測が長足に進んでも、事実の観測と認識は段階的にしか進まないのだから、
今正しく思えることが、後から間違いだと指摘されるのは当然のことだ。
ならば、あらゆる可能性に備えて何もしないよりも、今ある材料だけで進む方が良い。
間違った結論にだって、価値があるのだから。
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・ケプラーの観測事実から万有引力が数学的に導き出され、この公式で様々な運動が説明されれば、万有引力の正しさは証明される。
第3巻 p.860
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科学革命が始まる17世紀までの,磁力と重力に対する理解の変化を示した本。いかにして思想から科学を分離したか,「16世紀文化革命」へ至る流れがわかりやすい。
現代でも磁力を用いたカルト,トンデモがあるようだが,本書を読むとその起源が読み取れるかもしれない。大抵は先人がたどった道をなぞっているに過ぎない。
第十七章 ウィリアム・ギルバートの『磁石論』
1 ギルバートとその時代
2 『磁石論』の位置と概要
3 ギルバートと電気学の創設
4 電気力の「説明」
5 鉄と磁石と地球
6 磁気運動をめぐって
7 磁力の本質と球の形相
8 地球の運動と磁気哲学
9 磁石としての地球と霊魂
第十八章 磁気哲学とヨハネス・ケプラー
1 ケプラーの出発点
2 ケプラーによる天文学の改革
3 天体の動力学と運動霊
4 ギルバートの重力理論
5 ギルバートのケプラーへの影響
6 ケプラーの動力学
7 磁石としての天体
8 ケプラーの重力理論
第十九章 一七世紀機械論哲学と力
1 機械論の品質証明
2 ガリレイと重力
3 デカルトの力学と重力
4 デカルトの機械論と磁力
5 ワルター・チャールトン
第二十章 ロバート・ボイルとイギリスにおける機械論の変質
1 フランシス・ベーコン
2 トマス・ブラウン
3 ヘンリー・パワーと「実験哲学」
4 ロバート・ボイルの「粒子哲学」
5 機械論と「磁気発散気」
6 特殊的作用能力の容認
第二十一章 磁力と重力——フックとニュートン
1 ジョン・ウィルキンズと磁気哲学
2 ロバート・フックと機械論
3 フックと重力——機械論からの離反
4 重力と磁力の測定
5 フックと「世界の体系」
6 ニュートンと重力
7 魔術の神聖化
8 ニュートンと磁力
第二十二章 エピローグ——磁力法則の測定と確定
1 ミュッセンブルークとヘルシャムの測定
2 カランドリーニの測定
3 ジョン・ミッシェルと逆二乗法則
4 トビアス・マイヤーと渦動仮説の終焉
5 マイヤーの磁気研究の方法
6 マイヤーの理論——仮説・演繹過程
7 クーロンによる逆二乗法則の確定
あとがき
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ウィリアム・ギルバート「磁石論」、ケプラーに影響を与える。ウエストファリア条約の頃。
デカルトの力学は、力概念の欠落した衝突の理論にすぎない。
ベーコンの見ている自然は、100バーセント質的。定量的測定への契機を欠落させている。単に分類しているだけ。
つまり、まだ数学的関数表現されてはいない時代。