紙の本
とてもかわいい。そして潔い。おまけに正しい指摘である。
2004/03/06 21:44
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る
まえがきにこう書いてある。
もとがホームページ日記だから、「批評されている当の本人は読むはずがない」という前提で書かれているので、読んだらご本人が激怒しそうなことがいろいろ書いてある(現にここで言及された多くの方が激怒されて、私はその後ずいぶん世間を狭くしてしまった)。(中略)文庫化のせいでますます世間が狭くなってしまうであろうが、これも身の不徳のゆえだから致し方ない。
こういうところがこの人の魅力なのだろう。とてもかわいい。そして潔い。
論旨は明快で、あとがきに自分で書いているように「ほとんど『同じこと』を、手を換え品を換え、執拗なまでに繰り返し主張している」。その主張がどんな主張であるのかまで自分で「解題」しているが、これから読む人のためにここでは書かない。ひとつだけ言うと、その主張のエッセンスは「ためらいの倫理学」というタイトルが見事に表現している。
もし僕の書いたものが内田に徹底的に批判されようとも、僕なら彼の世間を狭からしめようとは考えないだろう。だって小気味良いんだもの。面白くて説得力がある。
難点を2つ。
非常に論理的で整合性が取れていて、しかも明晰で示唆に富んだものであるが、実はこの本を読んでも埒があかない。英語で言うなら This book will get you nowhere、つまりどこへも行けない理屈なのである。この本で提唱されている態度は一人ひとりの人間存在としては正しいかもしれない。しかし、世間の先頭に立って世の中を改革しようとするパワーに欠けるのである。もちろん内田自身には世間の先頭に立とうとか世の中を改革しようとかいう気は全くなさそうだ。だからそれはそれで良いと言えば良いのだが、これは世間のテーゼに対するアンチテーゼに過ぎないのである。この理屈を実践すると、ことに及んで、一旦緩急あったときに、人はただためらうばかりで終わってしまう恐れがある。
そして、この本は誰に読ませるために書かれたのだろう? 誰もが自分が身につけている語彙で書くのは自然なことであり、読者を想定して言葉を選んでいる人は変な人かもしれない。しかし、学者ではなく一般人に読ませるにはちょっと難しい単語が多すぎるのではないか? 「当為」とか「ルサンチマン」とか、いちいち突っかかって辞書引いちゃいましたよ。
ちなみに内田によると、僕のように文中の知らない言葉に突っかかって辞書を引いてしまうような人間は「矛盾」という字が書けるのだそうである。うむ、これまた正しい指摘である。
by yama-a 賢い言葉のWeb
紙の本
エッセイあり、論文形式あり、の多様な本。著者の原点。
2017/09/09 10:33
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たまがわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、著者の単著としてはデビュー作にあたるそうだ。
この本に収録されたエッセイ集は、もとはインターネット上の著者のホームページに、
せいぜい百人程度の「身内」の読者を想定して書いたものということだ。
そして、学術論文、政治エッセイ、映画評論、新刊プレビュー、日記など
あらゆるジャンルのテクストの中から、出版社の編集者が選び出して本書にしたということらしい。
読んでいて、自分が理解できる内容の部分については、分かる分かると大いに納得したり、刺激を受けたりした。
一方で、読んでいて話の内容が難しくて自分には理解できない部分も、かなりあった。
哲学的な話とか、論争の話とかややこしい部分も多い。
きっと、もしも自分がそれらを理解できれば、本書の中の理解できる部分と同様に、面白く読めるのだろう。
フェミニズムとポストモダン思想への批判が結構あるけど、著者によれば
「それは彼らが私にとって最大の敵であるからではなく、一番近しい隣人だからである。」とのことである。
軽いエッセイもあり、読み応えありすぎの難しい話もあり、の本。
単行本の出版が2001年で、文庫本の出版が2003年。
投稿元:
レビューを見る
もともと「死と身体」を立ち読みし、ニーチェの奴隷道徳が現代は大衆に浸透してしまったというくだりを読んで非常に共感を覚えたため、読んでみることにした。ちょこちょこ3日くらいかかって読了。
非常に注意深い考察・語法と「軽快さ」が同居する不思議な哲学が広がる。
とことんメタレベルで考えながら、ポストモダンやフェミニズム論を批判する。批判といっても攻撃でも中傷でもなく、たんたんと「この人のこの考え方には共感するが、この論理構造には共感できない」と、参考文献を引用しつつ仔細に語る。
上野千鶴子は実際「セックスなんてどうだっていいじゃん」と考えているという事実には共感すると言いつつ、フェミニズム論がもつ自己言及性のなさを指摘する。フェミニストは、女性があらゆる制度や社会、文化、そして文学、論理について男性的原理を押し付けられてきたと語る。そして女性は女性のことばで語らねばならない、というようなことを言うが、その語る言葉はすでに男性的原理のなかで培われてきたものだということを注意深く感じ取っているか、また語らねばならない、と「言う」その語はどうなのか、それがわかっているのか、と言う。そういった自己批評性をもっているかどうかが哲学をするには重要だと言っている。
ページの多くが割かれている戦争論にしても、誰が戦争を起こしたか、誰が悪いか、こっちは被害者だ、あちらは悪だ、こちらが正義だ、と戦争当事者の誰もが思っていると言う。これは他者への認識の矛盾ということだと思う。この本は2001年3月に初版であり、アメリカでの同時多発テロとその後のイラク戦争におけるアメリカの発言をそのまま予言しているかのようである。予言とまで言わずとも、現代の戦争が孕む問題や特性、そして現実のレベルで行われる政策やプロパガンダの際の言説というのは、ある程度わかっているということだと思った。
そういう意味で哲学(この場合社会学かも知れないけれど)の力のようなものを感じた。私は短絡に陥りたくない、と普段から感じているので、全編に渡る、いろんなものを疑いつつ、自分の言葉さえも疑いつつ、単なる感情に陥らず、また人間性を失わない態度、というものにものすごく共感した。
:目次
なぜ私は戦争について語らないか(古だぬきは戦争について語らない
アメリカという病 ほか)
なぜ私は性について語らないか(アンチ・フェミニズム宣言
「男らしさ」の呪符 ほか)
なぜ私は審問の語法で語らないか(正義と慈愛
当為と権能の語法 ほか)
それではいかに物語るのか―ためらいの倫理学(「矛盾」と書けない大学生
邪悪さについて ほか)
:レヴィナス
レヴィナスは、フッサールの現象学とハイデガー哲学のすぐれた研究者として、わが国でも以前から名前は知られていたが、その独自な思想が共感を得るようになったのは、比較的最近の出来事である。彼の思想は、一見、現象学的であり、実存哲学風であり、またユダヤ教的であるが、その中心にあるのは、私の「存在」の謎と「他者」の思想であろう。
主著は、『全体性と無限』(1961)および、『存在するとは別の仕方で、あるいは存在することの彼方へ』(1974)。
投稿元:
レビューを見る
・日記にも書いたが、自分が賢いと思ってる奴ほどバカだ、というのは
まあ確かにそうだろうと思うんだけど、
そういうあなた自身はどうなんですか、
神の視線から見ているだけのようにも思えるんですが、と思いました。
・フェミニズム批判のところはわりと面白かったです。
ショシャナ・フェルマンの『女が読むとき女が書くとき』の部分は、
難しかったけど、ついつい買ってしまいました。
女が使用する言語にも女であることの何がしかが反映される、というのは
新たな視点だったので。新鮮で。
・最後の章の、表題作、ためらいの倫理学は非常に面白かった。
カミュの異邦人をテーマにしたもの。
再読したい。
投稿元:
レビューを見る
戦争とか性差別とか、そーいう論戦を戦うために、相手を論破するための武器になるものを探して勉強をしてしまうことがあると思うんですが。この本はそういう希望にはあまり答えられません。思うに内田さんの書いたものを引用できる役割というのはバランサーなんじゃないかなぁ。バランスを取る人。もしくは調停する人。自分だけが正しく相手だけが間違っているというような妄想にとりつかれない人。論戦での勝利など欲しくはないけどいろいろ考えたい人は、面白い視点や考え方の人なので読んでみてもいいと思う。
投稿元:
レビューを見る
分類=社会。03年8月(01年3月初出)。(参考)内田樹ブログ→http://blog.tatsuru.com/
投稿元:
レビューを見る
やばっ。
森博嗣と出会った以来、僕が何も言わなくていいだろう。
大概のことは森と内田が僕なんかより何倍も解りやすく丁寧な言葉で言ってくれている。
もちろん著者買い必死
投稿元:
レビューを見る
なぜ“ためらう”必要があるのか。
断言することを避けるようになった。
反芻することが多くなった。
人の意見を聴くようになった。
そしてまた考える、の繰り返し。
“この本はこうなんだよ”と説明したいんだけど、
そう思ってるのは私だけかも。
なんていうためらいは、自分の思考不足のいいわけです。
投稿元:
レビューを見る
10月購入。10月19日読了。
特に性について(ジェンダー、フェミニズム)関心があったので購入。明確な(すっきりとした)答えを提示せず、中立的な人だと思った。あと言語の用法や意味に関する言及が多かったのはレヴィナスを先生と仰いでいるからだろう。有事法制の孕む構造的欠陥、「日本にとっての最大の有事はアメリカによる侵略だが(中国、ロシアによる侵略はアメリカの許可を要するから)有事法制自体がアメリカの支援で成り立つことを不可疑の前提としている」という部分は鮮烈な指摘だと感じたが、正直全体的に難しい。物語、顔、他者、父、母・・・これらの言葉の説明を初心者にはして欲しい。
投稿元:
レビューを見る
様々な分野について、各章ごとに「なぜ私は○○について語らないか」というタイトルで○○について雄弁に、しかも優しい文章で語っている。たまにトンデモ系が紛れ込むベストセラー新書よりも、こういう本こそ読まれるべきかと。
投稿元:
レビューを見る
「ためらい」という言葉が内田先生のキーワードなのかもしれない。
デビュー作にして最高傑作かもしれない、なんて思う。先生の思想のエッセンスが詰まっていて、濃い。
投稿元:
レビューを見る
今、内田樹にはまっています。
何冊か読みました。
現代思想のセントバーナード犬
というキャッチフレーズもすごいけれど…
内田氏の原点はここにある。
投稿元:
レビューを見る
内田樹のデビュー作ということで読んでみた。戦争、性、物語というテーマで論が展開されている(タイトルのまんまですけど)。正直、難しくてよくわからなかった部分もある。白か黒かという極端なはっきりとした意見は正しいと思われ勝ちだけど、極端な意見は間違っていることが多い(間違ってるかも)。白か黒かではなく、それ以外のグレーゾーン(灰色部分)の中で、著者が逡巡し、ためらいを感じながら「私の立ち位置はこの部分です。みなさん、どう思いますか?」という風なスタンスでそれぞれのテーマへの意見が述べられている。著者の文章には自己批評、自己省察の意識があって、そこがいいなぁと思う。
投稿元:
レビューを見る
書いてあることとか、その書き方とか、いろんな意味でとても影響を受けた一冊。この本をよんで、なんだ、当たり前のことばかり書いてあるだけじゃないか、と落胆できる人に、わたしはなりたい。
投稿元:
レビューを見る
もっと早くこの人の主張に出会っていればよかったと痛感せざるを得なかった一冊です。歴史認識やフェミニズム問題などになぜ著者が「ためら」うのか、何に「ためら」っているのか、非常に心の中にもやもやとしたわだかまりをすっきりさせてもらった印象が強かったです。最後にカミュ『異邦人』等の著作に見られる論稿も個人的に大ヒットしました。