サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

e-hon連携キャンペーン ~5/31

hontoレビュー

ほしい本の一覧を見る

ハリガネムシ みんなのレビュー

129(2003上半期)芥川賞 受賞作品

予約購入について
  • 「予約購入する」をクリックすると予約が完了します。
  • ご予約いただいた商品は発売日にダウンロード可能となります。
  • ご購入金額は、発売日にお客様のクレジットカードにご請求されます。
  • 商品の発売日は変更となる可能性がございますので、予めご了承ください。

みんなのレビュー67件

みんなの評価2.7

評価内訳

65 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

飢えて死ぬ子供の前で文学は有効か?

2003/10/19 22:38

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 大江健三郎氏の初期の評論(1964年)に「飢えて死ぬ子供の前で文学は有効か?」というサルトルについて書かれたものがある。どうして人は文学としての表現をとり、それを読むのか。そこにどのような意味があるのか。私はその評論の内容そのものよりも、タイトルそのものに強い衝撃を受けた。大江氏はその評論の最後にこう書いた。「ぼくは、《飢えた子供がいる時に…》という考え方の極に定住することはできないし、個人的な自己救済の極に定住することもできない。そのあいだをつねにフリコ運動しているという感覚が、ぼくにとってもっとも普通な、作家としての職業の感覚だ」。

 第129回芥川賞を受賞した「ハリガネムシ」の作者吉村萬壱氏は、《受賞のことば》の中で自身の文学としてのテーマは「暴力」であると書いている。新しい世紀にはいって、私たちは「暴力」の威力に呆然としている。国が国に対して行う暴力、大人が子供に対して行う暴力、子供が大人に対して行う暴力。いつも弱いものだけが犠牲になっている。そのような時代に文学は有効であるのか? 文学は時代に何を指し示すことができるのか。

 受賞作「ハリガネムシ」は高校教師とソープ嬢の泥沼のような関係を描いている。二人の荒々しい暴力は終盤若い男たちによる行き止まりのない暴力へと発展する。それでいて主人公がたどりついたのは、安らぎのような諦観である。吉村氏は「暴力に対する恐怖と、その先にあるかもしれない光を求める中から小説が生まれてくる」と書くが、主人公がたどりついた諦観こそが光なのか。それは光かもしれないが、あまりにかすかな光でしかない。このような時代にあって、小説家がそれでも書くのは、暴力の先にある光を求める故だともいえる。

 大江氏は先の評論の二年後、「作家は文学によってなにをもたらしうるか?」という論考の中で、おそらく先の問題に対して明確な答を出している。「僕はこのようにして自分が自分自身の存在の根にむかうことによって、他者に、かれ自身の存在の根にむかう緊張を喚起したいのだ」。大江氏の文学論を受け入れるとすれば、この作品で吉村氏が表現しようとした暴力は私たちに私たちの根にある暴力にむかう緊張と脅えを喚起したことになる。そして、私たちも暴力の先にある光を求めてやまないことに気づかされるのだ。 

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

過激なセックスシーン、暴力シーンがふんだんにあるこの作品、誤解してはならないだろう

2003/09/02 14:48

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

読み進みながら子供の頃のハリガネムシの記憶が鮮明に浮かんだ。よく見かけた昆虫の中でもカマキリそのものですら長く細い体の下部にはいやらしくふくれた腹が、先には三角形の鋭角な小さな頭が乗り、その割に大きな目玉がぐるりぐるりと、鋭い口先をパクパクさせ、見るからに獰猛であり、その鎌を振る様は威嚇的であり、実際に私がなじんだ昆虫の中でもっとも醜い攻撃的虫けらであった。そのカマキリを踏みつぶす。緑色の体液に混じってくねくねと細長い針金状の寄生虫が腹からはじけ出るのである。文字通りはじけ出るのだ。カマキリの体長の10倍はあろうかと思われる、ネバネバと黒光りするその姿態は吐き気が出るほどグロテスクであって、どうしてこれだけ質量がこの小さな腹に納まっていたのかとゾッとし、もしかしたらカマキリはこの怪物によって支配され、動かされ、これまでの生を生きてきたのではないかと思われるほどの存在感を圧倒的に誇示し、蠢いているのであった。
転落した果て、最下層の風俗店で働くソープ嬢。容姿、肉体は無様に、知性のかけらはなく、精神は粗野、人間にある尊厳を一切捨象した女が登場する。高校で倫理を教える<私>がこの女と同棲、人目をはばからぬ狂態の日常に、女を嫌悪し、己を嫌悪する。そして女が受けた或いは受ける暴力行為や自分の腕に刃物を当てるその傷跡にやがて己の内にすみついた暴力の種がはじけていく。そして<私>は自滅していく。
花村萬月の『二進法の犬』も暴力世界に魅せられ堕ちていくインテリを描いていた。がそのエネルギーの方向は対等の力を持つもの或いはより強い力を持つものへ向くベクトルであったが、ここでは逆に自分よりも弱いものへ向かう薄汚い暴力である。<私>はこの女の歯が折れるほど殴打する。あるいは裂けた傷口を縫い針で縫い、傷口を広げて指先でそこをこね回す。二人の痴態を目撃した若者集団が凄惨なリンチを加えるラストも<私>の精神は怒ることはなく、ただその暴力を自虐的に受けとめるのである。
<私>は堕ちていく。街娼になって死んでいく女たちを描いた桐野夏生の最新作に『グロテスク』がある。そこでは彼女たちの焦燥感をかきたてるものが社会の枠組みにあるとして、堕ちていった理由はそれなりに示されていた。
ドメスティックバイオレンス、「切れる」若者の通り魔的殺人、メール交換心中これらが日常茶飯事で起こる。池田小学校における大量児童殺傷事件の犯人のふてぶてしさはつい先日目の当たりにした。現実の卑劣な社会現象なのだが、しかし、すべて動機がわからない、理解できない暴力沙汰ばかりである。過激なセックスシーン、暴力シーンがふんだんにあるこの作品、誤解してはならないだろう。作者の目は冷静である。弱いものに向けられる常軌を逸した暴力の根元には得体の知れない魔物が潜んでいるのではないかと、現代社会の精神病状を淡々とのべているようで、実に不気味なリアル感がただよう。
そして子供心に残るあのおぞましいハリガネムシ………。このタイトル、言い得て妙である。

書評集「よっちゃんの書斎」はこちらです

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

2004/10/11 15:51

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2005/04/19 12:14

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2005/10/18 00:34

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2005/10/16 03:25

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2006/02/07 21:33

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2006/05/26 05:15

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2006/12/15 12:15

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2007/01/28 08:07

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2007/08/06 11:22

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2007/08/22 22:57

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2007/10/11 23:59

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2007/11/29 23:25

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2008/01/01 06:35

投稿元:ブクログ

レビューを見る

65 件中 1 件~ 15 件を表示
×

hontoからおトクな情報をお届けします!

割引きクーポンや人気の特集ページ、ほしい本の値下げ情報などをプッシュ通知でいち早くお届けします。