紙の本
数学を勉強しようとしている中高生に読ませたい
2008/02/07 01:38
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:redhelink - この投稿者のレビュー一覧を見る
私は数学が好きでした。でも日本史にも興味があったので文系へ行ったので3Cまでやりませんでした。大学でも数学系の授業は教職関係程度でした。それでも懲りずに授業を受けて、どのように教えたらいいのか、○○の単元では△△がポイントなんだな、と思いながらノートを作った記憶があります。
そんな淡い記憶を蘇らせてくれた作品でありました。この本は勿論数学についても触れられています。そしてそれは読み終えたとき、数学が好きな人も、数学が好きでない人にも読んでほしいという作者の(私が勝手に感じ取った)意図があるように思いました。決して数学の『○○の公式』について熱く語っているとかそのような学術書ではないけれど、つい調べたくなる書き方がされていることにも注目してほしいです。
登場人物は、80分しか記憶がもたない「博士」、家政婦として派遣された「母」、母の息子で博士がつけたあだ名が「ルート」の三人で構成されています。登場人物が少ないのは読み手にとっては、一人ひとりにより注目できるのでいいことだと思います(勿論多いものはそれはそれでいいところがありますが割愛)。この本では特に感情移入がしやすいことが特徴ではないでしょうか。博士の記憶のリズムをつかむまでの母の試行錯誤、家政婦規則に反するけれど、人道的に後回しにしたことで色々指摘されるやるせなさ、突然の雇用先変更などがあります。人と接していくことの難しさを考えさせられた場面でもありました。将来の自分の職業を思うと憂鬱です(笑)。
また個人的に印象に残ったのは、博士がルートに数学を教えるときの姿勢や褒め方でした。ヒントの与え方、考え方について、答えが導き出されたときのリアクションや賛美の仕方は、私にとっては授業のうまい先生の学術書でも読んでいる気分でした。私はまだまだ拙い教え方しかできないので、生徒一人ひとりに教え方を使い分けることがうまくできませんが、そのようなこともしなければならないとか、考えるときの間の与え方や褒め方には、本文で描かれているような方法もあるのだと博士に教えられたのが印象に残りました。
これを書いている時点では、本屋大賞を2冊ほど読んだことになります。『東京タワー』と共通して言えるのは、「いい話(感動もの)」であったということです。本屋大賞(票を入れた書店員)が今後もこのような話ばかり選ぶと、読者は本屋大賞そのものに対して飽きてくるのではないかとも思ってしまった私がいます。感動ものは確かに売れます。しかし、言葉はストレートにしか表現できないものではありません。たまには悲しい話、あるときは強烈な印象を与える話(例としては『バトル・ロワイヤル』なんかがそれにあたると思います。)を選ぶことで、
本屋大賞=感動ものしか選ばれない
ということを否定してほしいと思います。性格のひねくれた私の独り言として聞き流してもらえると幸いです。
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「いい話」というだけの物語ではない。
2008/01/27 03:02
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ばー - この投稿者のレビュー一覧を見る
小川洋子は、今作品『博士の愛した数式』で第一回本屋大賞を受賞。小川自身は、『妊娠カレンダー』で第104回芥川賞を受賞。
ここでいまさら言う必要が無いほど有名で、蛇足かもしれないが、念の為に。
本屋大賞とは、2004年に創設された文学賞の一つであり、他の文学賞と大きく違うのは、「新刊を扱う書店の書店員が選考委員」という特徴である。現在の所の受賞作品を見てみると、「女性作家が多い」、「文学性云々よりもエンタメ性が重視されている」、「受賞作品全てが映像化されている」などの特徴が見られる(一部、ウィキぺディアを参照)。
2008年一月末現在までの所、四作品が受賞作として知られているが、もうすぐ最新受賞作が決まるはずである。選考委員が書店員、という特徴からも、やはりというかなんというか、次世代の書物、文学を牽引する役割を担っているだろう。大きく拓かれた文学の誕生(又は再誕?)である。
…などと、評論ぶった偉そう口調が出てしまってすいません。直木、芥川、メフィストと並んで、個人的に注目してるんで。
前置きが長くなったのは、実は書く事があんま無いからだったりする。
事故で記憶を80分しか保てなくなった元数学教授の老人、「博士」。家政婦紹介組合を介して、彼の義姉に雇われたシングルマザーの美人家政婦。その家政婦の息子であり、博士に溺愛される少年、「ルート」。彼らが紡ぐ、美しく、どこか悲しい話。
これが概観であり、大体全てを表現していると思うんだけど、そういう「感動系のお話」として、物語らしい物語で、現代の良いおとぎ話だな、というのが一点。そっち系のお話として読んだらこれは、「小川洋子が書いた」というだけで一流で、外れるわけがない。小川洋子が『妊娠カレンダー』で見せたブラックさが無い分少し物足りないと私は感じるが(おとぎ話として、博士の「性質」にブラックさを求めることも出来るかもしれないが、そこに対する言及は避けたい。というか、したくない)。もちろん、「博士から【私】へ」、「博士からルートへ」、「ルートから【私】へ」、「ルートから博士へ」、「【私】からルートへ」、「【私】から博士へ」、と三人の間でそれぞれが「親子」どちらにもなりえる、という構成にも注目できる。
我らがげんちゃん(高橋源一郎)が、どこかで小川洋子について触れた事を覚えている。詳しくは覚えてないが、おそらく褒めているような内容だった。
この作品で大きく扱われているのは、さきほど述べた「いい話」であると共に、それでいて、細かすぎるほどの数学に対しての描写である。話の全てに数学が絡んでいると言っていいだろう。数学の「美しさ」の上に、「いい話」が置かれている。
この作品が「いい話」で終わらないのは、この数学の描写という特徴のおかげである。
数学という部門の真理に生きる人間が博士なのであるが、その博士が語る「真理について」は、こちらの心に大きく響く。
私の印象としては、「いい話」だな、という一点であり、特別良いとも思えなかったが(これは私がひねくれているからであろう)、この博士が語る「真理」についての語りは一番光って見えた。
彼が語った「真理」の対象は、「数学」であったが、私はそれを「文学」と置き換えて、小川洋子はやっぱりすごい、と一人で感じていた。この一冊でした「数学」への試みは、遠まわしな「文学」への試みじゃないのかな。それを博士という「特殊な運命を背負った人間」が滅びながらも実践し、それを小川はこんなにも「いい話」にしたんだから。
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心あたたまるー
2013/02/18 20:47
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投稿者:はだかの王様 - この投稿者のレビュー一覧を見る
80分しか記憶が持たない博士、家政婦、その息子ルートとの間に数学の美しさを通して広がるヒューマンドラマ。
博士の数学を通したぎこちないコミュニケーションと、素直で優しいルートのやりとりに心温まる。
たまに読みづらい文章がある。
紙の本
記憶が80分しか持たない数学の博士との心の交流を描く
2004/10/05 01:35
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投稿者:格 - この投稿者のレビュー一覧を見る
舞台は瀬戸内海に面した小さな街,1993年.登場人物は四人だけ.家政婦をしている“私”と,その私が家政婦として勤める六十四歳の博士と呼ばれる元数論専攻の大学教授.そして,その義姉と私の10歳の息子である.博士は17年前の交通事故で,頭を打ち,以後,記憶が80分しか持たない状態になっている.すなわち17年前以降の新しい記憶がまったくない.たとえば阪神の江夏の大ファンなのだが,未だに江夏が現役と信じている.家政婦が毎日来ても,いつも新しい人がきたと思う.
博士には,数学の面白さ,数字のもつ美しさを平易に語る能力がある.「質問した相手に誇りを与えることができる」というのは素晴らしい.見習いたいものであるが,単に心がければいい,というものではなく,一つの能力とでも呼ぶべきものかもしれない.博士の言葉を通して語られる,完全数,友愛数などの不思議さ,美しさには,数学をあまり知らない人でも理解出来るだろう.
博士の愛した数式とはオイラーの公式である.まったく無関係と思われる自然対数eと円周率πが虚数によって結びつけられる数式.この数式を提示することによってなぜ変化が起こるのか,いま一つ分からないのだが,この数式のもつ不思議さと美しさはだれにでもなんとなく理解できるものだろう.自然対数がだれで,円周率がだれで,などと考える必要もない.
博士の子供への愛情,私のだれにでも優しく接する気持ちと好奇心の強さ,そして,私の子供の博士に対して気持ちよく接する態度,どの登場人物の気持ちも清々しく,心地よい.ほのぼのとした気持ちになれる小説である.
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主たる登場人物は、博士と「私」と、その息子。
博士は、数学者。17年前に事故に遭い
「頭の中に80分のビデオテープが1本しかセットできない状態」
になってしまった。17年前の記憶はあっても今は、80分より
前の事は忘れてしまうのである。
「私」は、博士の家に派遣された家政婦であり、その息子は
小学生で阪神タイガースのファン。そんな3人がともに過ごした
数ヶ月を気高くも描いた作品である。
記憶の積み重ねが出来ない博士にとって、数学、とりわけ
数字の持つ美しい秩序が全てであり世界なのである。
「私」と息子は、博士とともに過ごした記憶の
積み重ねで博士を“博士”だから愛し尊ぶ。
しかし、博士の愛情は、「私」と息子だから
愛し尊ぶ訳ではなく、万人に対するものなのである。
この永遠に交わる事のない悲劇的な愛情が、博士の
語る数字の美しい秩序によって尊く救われるのである。
階乗、素数、約数、友愛数、アルティン予想、過剰数、
不足数、完全数、双子素数、三角数、ゼロ(0)、ルート
虚数、フェルマーの最終定理、オイラーの公式、
ルース=アーロン・ペア、メルセンヌ素数、等々・・・。
とりわけ博士が愛したのは素数。
江夏豊の背番号28は、完全数。
息子の出生時の体重 3217グラムは、メルセンヌ素数。
3人が過ごした決して交差する事のない
数ヶ月の日々は、哀しいけれど、とても尊い。
久しぶりに、心がジーンと熱くなる良書に巡り会った。
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数学にはいつも何か惹かれるものがある。
数学が解ったような気になったことはほとんど無いが、数式に自分なりの意味を見いだして嬉しくなったりすること位はある。勿論、真・善・美、という仕分けでいけば、数学は飽くまで「美」であるのに対し、自分が数学に求めているものは「真」、あるいは、科学的側面であって、何かの物理事象、もしくは、現実を表しているモデルとしての面白さを追いかけているのに過ぎない。もし「数学をする」という表現が許されるならば、自分は決して、数学をしては、いない。
でも。
数学は自分にとって楽しいものである時もあるし、単純とはいえ、モデルの意味を数学的なコンセプトで理解できた時にはとても、わくわく、する。だがら、世の中に数学を人生の目標に選んでしまう人がいることは、うすうす理解ができる、と言う位の資格は、ひょっとしたら自分にもあるかも知れない。恐らく似たような数学シンパは世の中にも大勢居て、だからこそ、最近本屋さんで数学書や数学にまつわる話の本などが平積みにされていたりもするのだろう。そういう自分が、あえて、とても身勝手な感覚を言うなら、数学書はまだしも、数学を題材にした小説というものには少し抵抗があって、だからこそ、この本は少し前から目にはしていたけれども、読んでみるには至らなかったのだ。
数学にまつわる話、を欲している時に読む本には、なる程そういうことなのか、とか、へぇ−そういうことがあったのね、というようなオチを期待していることが多く、その意味で、この本はそういう知的好奇心を満足させてくれる本ではない。そんなことは承知の上で読み始めてはいるのだけど、この本で展開される数学の話には、少しだけ、だからさぁ、そうじゃなくてこうやって考えたらどうよ、と横槍を居れたくなるところがあるのだ。でも、あぁそういう風にも説明出来るねぇ、というところもあったりして、「数学にまつわる話を欲している気分」も多少は満たされる。しかし、勿論そのことが、この本の全てでは、決して、ない。
この本のテーマは記憶ということだ。
何を記憶し、何を記憶しないか。それを人は選択的に行うことができない。ただただ人は記憶し、忘却する。そして、忘れ去ったと思っている記憶は、時として残酷な思い出と共に身体的な苦痛を伴って蘇ってさえ来る。
博士にとっての生きがいは、過去に蓄積した数学に関する知識を取り出し、そこから新しい視点を見いだすことにある。一方、博士にとっての絶望は、過去に蓄積した数学に関する知識以外、新たな数学の知識を積み重ねることができないことである。余生を「数学的な」ことに思いを寄せて過ごすには、ひょっとしてそれでもいいのかも知れないが、現役数学者だった博士には、それは致命的なことだった。そのことは話の筋にとても深く係わっていることなのだけれど、余り語られてはいない。飽くまで、博士は、お手伝いさんである「私」から見た博士であり、私がそのことの絶望感に気づくには余りに数学に素人であるために、時折見られる博士の苛立ちの意味をつかみかねているからだ。
この小説の中での時間は、単調には流れない。むしろもっとスムーズ���流れて欲しいと思う程に個々の事象は、離散的にやってくる。博士が愛した数学は数論に属するものであるのだから、この離散的なことの展開は当たり前なのかも知れないし、博士の抱える障害を思うと、その得心はますます意味もなく頷けることのようにも感じられる。本来、自分はもう少し連続的なものが好きで、数学でも微分方程式が好きなのだけれど、微分方程式も実際には「離散的」に理解する方法が無い訳でもないのだから、この話の展開はあってもいいのだろうと思う。詰まるところ、連続的なものが好き、という自分の感覚は、「原因」と「結果」の関係が明確であることが好きである、ということを言っているのに過ぎない訳で、それはお話しとしては面白いことではないだろうなぁ、とも思うのだ。だから、くどいようだけれど、この離散的なるものは、アリ、なのだ。
ちりぢりになったことがら達が、いつの間にか全体像を形成していく。まるでミステリーの展開のようだけれど、この本には、そういう面白さも潜んでいる。結局、そういうことが言いたいだけなのだけれども。
記憶されたこと、というのは思い出されるまで、いつまでも何処か誰も知らないところに隠れているものだ。そのことを、例えば、自分自身でも嫌な記憶が蘇る時に痛感するのだけれど、あえて隠している記憶というのが、この本の大事なテーマなのだと思う。それはむしろ「忘れている」ということの幸せを、いや「忘れたふりをしている」ということの幸せを意味してもいるのだが、脳の記憶は自意識の手綱を簡単に振りほどく。
とても面白いことと自分では思うのだが、忘れているふりをしていると、本当に忘れてしまい、後で思い出した時に、思いがけなく幸せな気分になることがある。例えば、冷蔵庫の中に取っておいて忘れていたお菓子の、最後の一つ、を見つけた時のような感覚だ。この本を読んで幸せな気持ちがすることは、このお菓子との再会と、似たような感覚だと思う。
博士の記憶は、ある意味で風化しない。風化しないということは、新鮮な感動を何回でも得ることができるということでもあって、それはそれとして幸せなことではある。しかし、博士はロジカルに、自分の記憶が一定時間しか持続しないことを認識しており、その認識を忘れないために、自らにメモを残す。このことから沸き上がる悲しい気持ちは何だろう。数学が美であって、美を追求するために自らの宿命を残酷にも自分自身が伝えていく必要性を認める意思。美の追求が厳しい道のりを求めることを、潔く受け入れる意思。そのことに、とても深い敬服を感じつつ、悲哀も感じる。
悲しいけれど、そこには幸せもあると信じたい、この本はそんな気分になる一冊である。
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(2003.12.24読了)(2003.12.07購入)
この物語の面白さすばらしさは、他のレビューで読んでもらうとして、他の人とは別の点から紹介しよう。
博士の愛した数式とは、オイラーの公式と呼ばれるもので、
πi πi
e + 1 = 0 または e = -1
と表現される。eのπi乗は-1に等しいというものです。
πは円周率で、3.1412…..、iは2乗すると-1になるいわゆる虚数です。
虚数というと虚しい数、空虚な数という言葉のイメージで、存在しないものと思ってしまうのですが、(少なくとも僕はそう思っていました。)とんでもない話で、0や1と同じくらい確実に存在するものです。
eは自然対数の底で、値としては、2.7182……というもので、求めるための式は、175頁を参照してください。この式もまたきれいな式です。
これらの素性の違う3つのものが組み合わさるとなんと-1と等しくなるというのですから不思議です。-1というのは、算数から数学に切り替わる頭で出会った覚えがあります。
このオイラーの公式を著者の小川さんは、以下のように表現しています。
「果ての果てまで循環する数と、決して正体を見せない虚ろな数が、簡潔な軌跡を描き、一点に着地する。どこにも円は登場しないのに、予期せぬ宙からπがeの元に舞い下り、恥ずかしがり屋のiと握手をする。彼らは身を寄せ合い、じっと息をひそめているのだが、一人の人間が1つだけ足し算をした途端、何の前触れもなく世界が転換する。すべてが0に抱き留められる。オイラーの公式は暗闇に光る一筋の流星だった。暗黒の洞窟に刻まれた詩の一行だった。」(176頁)
数学の公式をこのように表現した数学書が今まであっただろうか? なんとも恐れ入ってしまう。また、博士が4Bの鉛筆で書いたオイラーの公式を以下の様に表現しています。
「4Bの鉛筆の芯がこすれないよう注意しながら、私はそっとオイラーの公式を指でなぞった。愛らしくカールしたπの両足や、iの点の思いがけない力強さや、きっぱりとした0の継目を、指先で感じ取った。」
全くすごい表現力としか言いようがない。
博士と家政婦と家政婦の息子のルートとの会話の中で、いろんな面白い数の性質が述べられており、数論の世界に一人でも興味を持ち、数学の世界も面白いらしいと思ってくれる人がいればいいと思う。
もちろん数学抜きでも、この本は十分面白い。老人と子供を主人公にすれば、十分面白い物語が作れる。数学抜きのほうが、物語の中に入り込めるかもしれない。
僕は、数論のほうに気をとられたので、十分楽しめなかったように思う。
(「BOOK」データベースより)amazon
世界は驚きと歓びに満ちていると、博士はたった一つの数式で示した―記憶力を失った天才数学者、と私、阪神タイガースファンの10歳の息子。せつなくて、知的な至高のラブ・ストーリー。著者最高傑作。
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第1回本屋大賞ということで読んでみたが、実に、あったかい良い本でした。子どもと老人って不思議なほど相性がいいんですよね~(ジブリ作品によくみられる例だけど)。 子どもを素数に例えて愛情を注ぐ博士がすばらしい。
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すごく良い話だった。電車の中で思わず泣きそうになってしまった。人の温かさ、つながりの強さにすごく温かいものを感じ、素直にいいなぁ。と思った。そして文章の美しさもすごく感嘆がもれた。という感じ。
数学、数字をテーマにし、すごく美しく表現している。数式を文字表現手法としてとらえ、例えば0の書きかたで「線と線の結び目」とか、思いもつかない表現をしていた。
博士がこんな状態になってもきちんと愛されていた。という事に安心し、博士のルートの愛し方が読んでてすごく良かった。見返りなんて気にしない、本当に心のそこから愛していた。そんな博士だったからこそかわいらしく、幸せに人生を送れたんじゃないかな、と安心できた。やっぱり誰かの助けがないと人は無力だ。という事を忘れちゃいけない。そういう事がすべての基本になると思うし、私はやっぱり人間くさいのが好きだと思う。講座で誰かがライターとかを目指す人は「感動家」でなくてはいけないと言っていた。その条件はクリアしていると思う。
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こんなにも穏やかで美しい世界に、静かな涙が湧き上がるのを止められなかった。数式ひとつひとつが温かく脈打って、生きて、物語を奏でる。
消えてしまう記憶であってもゆるやかな時を連ねることが出来る、大事に出来るゆとりと優しさが、強さをくれた。
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友達に薦められて購入。芥川賞作家らしいけど、今までこの人の本を読んだことなかった…。数のおもしろさを感じる小説。なんとなく暖かい気持ちになれる気がする。読みやすくおもしろい小説です。
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なかなか不思議な感覚が味わえて面白い。80分しか記憶の無い博士、家政婦としてやってきた女の息子は頭が平たいのでルートと呼ばれる。うん、面白い設定だと思う。
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すごく好きだなぁと思いながら最後まで読みました。 主な登場人物は、80分しか記憶を維持できない博士とその家でお世話をする家政婦、家政婦の子「ルート」。 会話のやり取りの中で数字や数式のことがあちこちに書いてありますが、小説として難しいとか数式が理解できないということはありません。
最初の方で「博士」と「私」に「友愛数」という共通点が発見された時、すでにこの小説に対して好感を抱いていました。
一見意味のない数字の一致、これに感動を覚えたりするところが私のツボにハマってしまったみたい。
例えば私の誕生日は12月31日なのですが、時計を見て12:31だったり前を走っている車のナンバーが1231だったりすると何となく嬉しいのです。
そういう感覚を共有したような気持ちになりました。
数式の気持ちよさや美しさ、なぜか読んでいるうちに涙が出そうな感動を覚えていました。
登場人物の言動や気持ちの移り変わりじゃない部分でこんな気持ちになるなんて、自分でも何だか不思議な感じでした。
数式を美しいと思う感覚や、博士の数字に対する愛情に共感を覚えたのかも。
「素数」の話が出て来た時、『もしかして私の誕生日「1231」と彼の誕生日「1211」は両方とも素数かも?』と思いついてウキウキしてしまいました。
最後に検証したら当たっていたのですっかり嬉しくなりました。
やっぱり運命なのね〜♪とか思ったり(笑)。
でも、公式に当てはまるからと言って逆は真じゃないのよね。
そう思ってよく考えたら、1211は7で割り切れた・・・。
わーん偽素数だったよー。
そういうところも面白かったりするのだけど。
かつて文章題とか因数分解が大好きで、気持ちいい答えが出た時は晴れ渡るようなクリアな快感があったなぁというのを思い出しました。
中学数学までの記憶しかないけど、やっぱり数字って素敵だなあと思いました。
もちろん数字がらみの話だけではなく、80分ごとに1975年の記憶にリセットされてしまう博士と親交を深めていく様子も読んでいて温かい気持ちになりました。
読後の余韻もいい感じで、かなり好きな方に入る作品だと思います。
因みに彼は、「家政婦」と読んだ瞬間に「市原悦子」を想像して読み進めてしまったそう。
途中で案外若いらしいということが判明して、イメージのやり直しだったと言ってました。
私はその話を彼から聞いていたからそういうことはなかったのだけど、そうじゃなかったらやっぱり「家政婦」=「市原悦子」かなー(笑)
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今、読みたい本。To Doのつもりでラインナップしてみる。数学というサイエンスの中で最も崇高にして難解な言語を人間模様に落とし込むという俺の持論からすると究極のテーマを追いかける技法に期待して星5つ評価。
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こころがとげとげの時にいいかもです。やさしい気持ちになれます。人を思いやるってこういうことか、と思わせられる小説。
数学がロマンチックってことを知りつつ、うまく伝えられなかった私には「なるほど!」と思わせられる文章があちこちに。