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紙の本

形而上学的な自爆テロ

2004/01/31 18:02

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 きわめて特異な書物だ。森岡正博はここでプラトニズムとキリスト教が合体した西欧二千五百年の神学=形而上学の解体あるいは転轍を企てている。

 本書で示された「一本の管としての私」と「ペネトレイター(この私を組み込んだ自己治癒するシステム)」の二つの荒削りな概念は、いわば西欧的思考の解剖学的二大原理(「使徒的人間」と「内在的超越」、あるいは「実存主義」と「システム論」)のようなものであって、東洋的思考(たとえば仏教)や日本的なもの(たとえば「葦牙の萌え騰るが如く成る」自然=フュシス)への性急な言及を禁欲し、あくまで哲学のフィールドにとどまりつつその語り直しあるいは転轍を通じて「宗教の道を通らない宗教哲学」という未聞の知を拓いていくための梯子となるものだろう。

 それにしても異様・異例な書物だ。とりわけ『仏教』連載稿をもとにした前六章に続いて書き下ろされた後二章が湛える昂揚は尋常ではない。絶対孤独という「懐かしい、ひんやりとした」場所での死の思索から、一本の管として私(私ではない何かを、私ではない何かに向かって伝えていく主体)の考察へ、そして共同性をめぐる新しい哲学的ビジョンの可能性の開示へと到る第七章(「私の死」と無痛文明)。

 前六章で展開された無痛文明論をも呑みこみより強力に更新された無痛文明と「凡俗の戦士」との果てしない戦闘──著者はそれを「形而上学的な内戦」と呼ぶが、私はむしろ形而上学的な自爆テロと名づけたい──の一部始終を矢継ぎ早に繰り出される新しい武器(概念)でもって叙述しきり、ペネトレイター(この私をたえず貫き、社会全体に広がり、つねに運動し続ける、網の目状の移動貫通体)の概念の提示とともに中断される第八章(自己治癒する無痛文明)。それはあたかも戦う者の姿は敵に似てくるというニーチェの洞察を地でいくような、合わせ鏡の地獄絵さながらの壮絶なドラマである。

 じっさい私は本書を読み終えて、ニーチェが狂気の淵に臨んで構想していた哲学的主著とはもしかするとこのような書物のことだったのかもしれないと思った。たとえば最終章でも特に異端的趣の濃い「補食の思想と宇宙回帰の知」とそれに先立つ「開花の学」の節で著者が展開している議論は、まぎれもなく力への意志と永劫回帰の二つの概念によって書き上げられた「私の哲学(マイネ・フィロゾフィ)」の一つの可能態なのではないか。

《私がこの世でどのような生を生きたにせよ、私の生のプロセスはすでに宇宙全体に不可逆的に働きかけ、宇宙全体を不可逆的に変容させ、宇宙全体に何かを与えたはずである。私が宇宙から産み落とされて、この宇宙に存在して、生きて、死んでゆくとは、そのようなやりとりを宇宙と行うことである。宇宙から生まれた私が、自分自身の生を送ることによって、宇宙に不可逆な刻印を残してしまうという構造が、そこにはある。たとえ私がどんな人生を送ったとしても、そのすべてのプロセスは吸い取り紙に落ちたインクのように、そのまま宇宙へと染みわたっていく。それは時の経過とともに、宇宙の星くずの彼方にまでゆっくりと浸透することだろう。地球がなくなり、太陽系がなくなったそのあとですら、浸透は続くことだろう。私が死んだあと、もはや私の一部ではなくなった何ものかが、それでもなお私の人生を通り抜けた何ものかとして、宇宙の果てまでみずからを貫き通していくだろう。その何ものかは変容し、かつてのそれ自身ではないような姿に形を変え、その中に刻印されていた私の痕跡も徐々に薄らいで蒸発してしまうだろう。その痕跡が消滅したとき、私は、私固有の痕跡をどこにも残していないという形で、宇宙へと記憶される。》

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紙の本

あえて批判する

2003/10/23 10:33

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:野崎泰伸 - この投稿者のレビュー一覧を見る

著者の関心ははっきりしており、よくわかるし、説得力に富む叙述である。また、確かに「無痛文明」なるものは存在し、私達が知らず知らずのうちに近づいては、「近づいていること」そのものすら自覚し得ないような「症候」に陥っているといえる。その意味において、私達一人一人の生き方が問われているのである。

ただ、著者は「集中治療室で看護をする看護婦(看護士)の話からヒントを得た」と書いているが、そもそも、「病気を治すということ」そのものがすべて「無痛文明」であると批判されねばならないのだろうか?

確かに、著者の言う通り、私達は必要以上に快楽を求めすぎ、苦痛を和らげる文明へと走っている。しかし、痛みを取り除くことすべてが「快楽を求めること」になり得るのだろうか?

私達は、何も食べなければ、空腹になる。そして、ずっと何も食べなければ、死んでしまうだろう。その時、「空腹を満たすべく何かを食べること」は、確かに「空腹という痛みを取り除くこと」である。しかし、これを「無痛装置」の中に入れることができるのだろうか?

私は、「無痛化」には2種類あると思う。そのうち1つが、著者の批判するような「無痛化」、すなわち、「快楽をむさぼり尽くす装置」としての無痛化装置である。もう1つは、「批判してはいけない」「無痛化」、すなわち、「必要を満たすこと」としての無痛化装置である。快楽と必要とは、少なくともいったん切り離して考えることができるのではないだろうか。

著者が現代社会に見る「無痛化」は、「快楽をむさぼり尽くす装置」としてである。しかし、そうしたところから論を進めるということじたい、著者は「生きるために満たすべき必要」は満たす可能性がある位置にいるということではないのだろうか。必要が満たせない人が必要を満たそうとするとき、それを「無痛文明」として批判することはできないのではないだろうか。

要するに、この社会には「政治」がある、ということである。生きるためのポリティックス、である。そこに行きつく人と、必要すら満たせない人がこの社会には存在する。それは例えば、アメリカがイラクを攻撃して行う「人殺し」と、パレスチナの少年がイスラエル兵に向かって「自爆テロ」と私達が称する「人殺し」を「同じ位置」では批判できないということを意味する。

生きるための最低限とは何か、という議論はあるだろう。だが、こうした政治の中を私たちが生きなければならないのなら、同じ問題をもっと詳細に検討することが必要であろう。「満たすべき必要という観点は無痛文明か」という主題である。そして、どちらかといえば私自身は、こうした「ポリティックス」を巡って議論するスタンスを取る。

だが、だとしても著者の論は否定はされる必要はない。重要な問題提起をはらんだ著作であるということには変わりがないし、これは私達一人一人がどう生きるかということを世に問うた著作であるからである。

(個人的には、『生命学に何ができるか』のほうが好きです)

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紙の本

無痛をしかける文明とともに生きることを論ずる一冊

2003/10/15 00:03

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ちゅう子 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 あなたがこの本のタイトルを目にして立ち止まったのは、おそらく痛みのある世界を思い描いたからではないでしょうか。なぜ痛いというイメージがあなたの中にあるのでしょう。なのに、この本は痛みが無いといっている。どうしてなの?

 この無痛文明のページでは、あなたの社会で今を生きている、あるひとりの人物が登場します。まぎれもなく著者自身です。彼はタイムマシンがお好きなようで、自分の生き様を自分の生きてきた時間として正直すぎるほど振り返りながら、あなた自身に語りかけてきます。
 語りが聞こえてきたら、必ず思い出して欲しいことがあります。あなたは、なぜこの本を手にしたのだろう。なぜ読もうとしたのだろうか。

 あなたが若者なら、とても幸せに思います。それは、あなたの生きる道をあなた自身がその若さの中で意識しているからです。あなたの生きている世界は、ひょっとしたら何かが違ってるんじゃないか、とか、わけのわからない苦しみがあるんだよな、という漠然とした痛みの不思議を秘めていて、だからこの本の無痛に目を留めてしまった…あるいは、日常には不満は無いわ、両親には感謝しているし、という、そんなあなたの瞳の奥にも、この無痛の二文字からは自分のことばの微妙さに気づいたりして…。そんなとき、無痛の意味することが見えてくるかもしれないのです。

 もう若くはないと思っているあなたなら、同じですね、わたしと(笑)。もう、十分に自分を楽にさせる生き方を知っているときに、ふっと、若者の純な魂にふれてしまい、自分もあの若者のころに戻れるならやれるさ、と思うことありますよね。純な魂には、実は痛みが必要だと知っているのもあなただから、もうこのまま流されてみますか? その答えはあなたのものだから、だれも邪魔はしないけれど。でも、もう一度思い出して欲しいのです。

 さて、たくさんの無痛を唱えながら、いつのまにか文明のことばとなった著者自身を、私は見つけてしまいました。傍観しているようで実は文明としての彼なのです。文明は、自分を解体する人間(もしかしたらあなた)のことを語り始めました。語り続ける文明自身も実は不安なのです、その上、後戻りができないことも知っているのです。だから、あなた自身が考えて欲しいと言っています。何とかして欲しいから、文明は自分で案を出してしまいました。その案はあなたに確かめてもらいたい。そして、そのどれも、きちんと考え、具体的に生きていける形を現せるのはあなた自身だよって、文明自身が論じ語り続けている…。

 さあ、まずは、はじめに、の文章をこころとめて欲しい。その後は気に入った目次項目から読みすすめてもいい。その時にめくったページだけでもいい。なぜなら、そこにはいつも日常の中から語ろうとする著者の心が見えてくるのです。リラックスした、自由な読み方をおすすめします。  
 
 最後に個人的ではありますが、読後、たぶん私はこのままゆっくりと、しかし自分に与えられた時間の自分の速さを見失わないように歩めばいいのかもしれない。今の生活の残りを自分の設定した時間に遅れることのないように気をつけながら…という、とても贅沢な(ある意味、軽い痛みでしかないから)元気(生きる)をいただきました。
 そして次は、この本を手にしたあなたの魂へと続きますように。

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