紙の本
生きがいは気持ちの持ちようで
2003/12/10 12:46
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちぐさ - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本に「死の準備教育」を普及させた筆者の、2003年3月の上智大での最終講義をもとに、筆者の「死生学」研究のエッセンスを一般向けに易しくまとめたもの。筆者の温かい、明るい人柄がにじみ出ており、親しく講義を聞いているよう気持ちになりながら、読み物風に通読することができる。
日本人は死を語ることをタブー視しがちであるけれど、死は人にとって重大なことであるし、死への準備をすることはすなわち毎日を大切に生きることである、というごく当たり前の、ところが日ごろは見過ごしがちなことが、当たり前の口調で語られている。
筆者はカトリックの神父だけれども、宗教アレルギーの私にも全く違和感なく、自然に受け取ることが出来る内容だった。戦時下のドイツでの子供時代の体験などは、涙を誘う。
特に印象的だったのは、中世ヨーロッパでノートルダム寺院を建設していた頃のエピソード。そこで働いている3人の労働者に「あなたは何をしているのですか?」と質問した。その答えは三者三様。Aは、「重い石を運んでいます。大変な仕事です」とぼやく。Bは、「私は一生懸命働いています。家族のためです」と答える。Cは、「私はノートルダム大聖堂を建てているのです」と胸を張る。3人とも自分の存命中に大聖堂は完成しないと知っているのだが、その人生の色彩は随分と違ったものだったろう。これは私たちが生きていく上での気持ちの持ちよう、生きがいというものの正体について、とても明快な示唆を与えてくれるように思う。日ごろの自分の発想がAさんと同じものになりがちなのでは?と、はっとさせられた。また、Bさんのせりふは多くの夫がよく口にするものだ。人間に生きがいをもたらすのはCさんの発想だろう。
また、自分にとって大事だと思われることを10項目列挙してみて、この1週間の間にそれぞれの項目にどのくらいの時間を割いたかを数えてみなさい、という指摘は、とても具体的な示唆に富んでいると思う。たとえば多くの人は自分にとっての大事なものとして「家族との団欒」を挙げるだろうが、果たして実際にそれに使った時間は何時間だろう? 自分の時間の何パーセントだろう? 自分が頭で思っている「大事なもの」と、実際に生活の中で比重がかかってるものの乖離、これが案外現代人の抱えている倦怠、憂鬱の正体なのかも知れない。そのことに気づくだけでも、自分の生活を見直す一歩になるだろうと思う。
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デーケン先生の父親は反ナチ活動とのバランスをとるため、家庭ではいつも笑い話をしていたそうです。
デーケン先生の「にもかかわらす、笑う」の精神は、生死の繰り返される強烈な状況を、ユーモアで乗り切った体験が
元になっているのですね。
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100227by朝日 場所でなく心の中の宝物 追憶の風景
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身近で大切な人を亡くした時、自らの死に直面した時、どうすればいい?「死生学」を教えて40年のデーケン先生が、自らの体験も交えやさしく話す、「死」を乗り越えるための大切なヒント。
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第1章 私の「生と死」の原点―戦時下での子供時代(家族から学んだこと
第二次世界大戦のさなかで)
第2章 「生と死」をめぐる様々な出会い―「書物」から「先達」から(書物との馥郁たる出会い、人間とのすばらしき出会い ほか)
第3章 より良く「死」と向き合うために―「死生学」とは?(その人らしく老いるために、「死」とは、いったいなんでしょう? ほか)
第4章 ユーモア感覚のすすめ―「死への恐れ」を乗り越えるヒント(ユーモアは生と死の妙薬、幸せのカギは、身近なところに)
終章 新たな門出に向かって(「死への準備教育」の普及を目指して三十年、「東京・生と死を考える会」の活動 ほか)
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手元にある、デーケン教授の最後の本。 サインなし
死というものを、死生学としてみてきたある意味で集大成的な本!
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著者の講演を聴きにいくので、
その予習のつもりで買いました。
いや、これは、読むべき本、です。
読み始めて、ちょっとして
第一コーナー回ったあたりで、すでに「審議」の
青ランプがともる、の逆で、
「感嘆」の七色ランプがともる、という感じ。
【読み終えました】
来世の存在の“証明”のあたりの論理の
ずさんさは、まあ、ご愛敬ということで。
一読の価値がある本です。
ぜひ、どうぞ。
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作家になった小学校の友達Aからの推薦。
アルフォンス・デーケンは元上智大学教授。死生学の第一人者。ドイツ人神父。
彼の子供の頃の経験は壮絶だ。反ナチ運動を命がけでやって来たのに、平和になって助けに来てくれたはずの連合軍におじいさんが目の前で撃ち殺されるというもの。でも彼は長崎の殉教者の伝記を読んで感銘を受け、神父になって来日するきっかけとなった。
このあたりを読むと涙が出る。
また彼は死に直面したとき、身近な人が亡くなったときどうすればよいか、を語っている。この話題をタブー視する日本人だが、これこそ勉強すべき学問である。
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お借りした本だけど、自分のために購入したい本!
生きる事と死ぬ事は表裏一体の関係なのに、死はタブーとされ、死についての教育はなかなかなされていない中、著者のデーケン神父様が、”死への準備教育”を日本へ普及。
身近な人との死別。私達にもいつか必ず訪れる死ぬ事、その事を無視して生きる事はできない。自分らしく生きる事とは。
生きることの意味。今までの価値観を覆すような、新たな価値観が生まれました。
プラス人間にしかもっていない能力”笑う事”の素晴らしさ。
今生きている事に感謝する事を改めて思い起こさせてくれました。
ぜひまた読みたい本です。
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著者本人が、自分の載った新聞のコピーを配りまくっておられました(笑)
「私の授業は『なんにもデーケン』で始まるんですよ(笑)」とかおっしゃりながら。
上智大学名誉教授であり「死生学」という分野を確立されたアルフォンス・デーケン先生の最終講義をもとに書かれた本です。
デーケン先生の生い立ちから、戦争体験や学問を通じて学んだこと、そして「生命」に関する考察を分かりやすく話して下さっています。
中には
私たちの人生にとって大切なヒントを与えてくれる言葉も多く示唆されているのではないでしょうか。
本書のテーマは主に「死」でありますが
私たちが真面目に暗い気持ちで向き合う「死」というものに対して
「ユーモア」の大切さを訴えていることは大きいことなのではないでしょうか。
読みながら、はっと立ち止まり目からウロコの多い本でもあります。
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http://catalog.lib.kagoshima-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BA63690111?caller=xc-search
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ご自身の半生と共に、「死」を語ることがタブーだった日本の文化に正面から向き合う事に尽力されてきた様子がよくわかります。「死」を考えることは結局「どう生きるか」につながる。アルフォンス・デーケン 先生はより良く生きるためのコツとして、誰もが陥りやすい中年の危機の乗り越え方や、ユーモアがいかに大切かなどわかり易く説いてあり、とても共感しながら読むことが出来ました。
ドイツ人でありカトリックの神父でもあると言う、異文化から見つめられた言葉も興味深く、より深く考えさせられます。
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死への準備教育について。
NHK人間大学 93年死とどう向き合うか
生と死を考える会 東京99年~
上智大学後悔学習センター ホスピスボランティア
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知事の判断待ち運動は、あくまでも信仰に基づく行為でした。同じ人間同士が人種差別するのは愚かなことだ 人間の尊厳、特に弱い立場にある人をこそ、守らなければならないと言うことを、私は父の態度から学んだのです 孤独の深淵に沈む時、人は自分の本当の顔を見つめざるをえなくなります 皆が元気で健康であること、今日も1日無事に過ごせたこと、三度の食事ができること。そういうことに感謝して祈るのです 神よ、私に変えられない事は、そのまま受け入れる 平静さと、変えられる事は、すぐそれを行う勇気と、そして、それらを見分けるための知恵を、どうぞ、おあたえください
20201017の感想
かつて読んだことがあるとは、思わなかった
前回より付箋の数は多い。少し減らしてみたい
しに行く患者から何を学ぶことができるか
8つの危機①時間意識の危機②自分の役割意識の危機③対人関係における危機④価値観の危機⑤思い煩う危機⑥平凡な人生の危機⑦死に直面する危機⑧真面目になりすぎる危機
人間には3つの年齢があると私は考えます。生活年齢、生理年齢、そして心理年齢です
死へのプロセスの6段階①否認②怒り③取引④抑うつ⑤受容⑥期待と希望
人間は誰かのために何かを残したいと言う希望を持っています
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17.9.27
NHK 藤沢一行
【芸能】小山明子 「“手放す心”を持つ」ことの大切さに感銘を受ける/アルフォンス・デーケン著『よく生き よく笑い よき死と出会う』
女優・小山明子(77才)の夫で映画監督の大島渚(79才)は1996年2月、
滞在中のロンドンで脳卒中になった。幸い意識は取り戻したが、右半身と言葉が不自由になった。
世界的な映画監督の妻として、何不自由なく暮らしてきた小山の生活は一変した。
すべての仕事を断り、介護に専念した。夫が映画を撮れなくなるという不安や
初体験の介護生活に追いつめられ、いつしか死を考えるようになった。
うつ病と診断され、4年間入退院を繰り返した。
それでも踏み止まって献身的な介護を続けた甲斐があり、夫は監督業に復帰。
1999年には10年ぶりの映画『御法度』を完成させ、2000年には夫婦でカンヌ国際映画祭に招待された。
光明が見えた矢先の2001年6月、大島監督が肺炎で入院する。
さらに十二指腸潰瘍を患い、生死の境をさ迷った。再びどん底を味わう日々のなかで
出合ったのが、デーケンさんの著書『よく生き よく笑い よき死と出会う』(新潮社)だった。
デーケンさんとは上智大学名誉教授のアルフォンス・デーケン神父(79才)のこと。
1959年にドイツから来日し、長く上智大学で教鞭を取った。デーケン神父の講義では、
上智大学の800人収容の講堂がいつも満席になるという。
「この本は私のバイブル。デーケンさんの言葉に励まされ、私は生き方を変えました」(小山)
最も感銘を受けたのは、 「“手放す心”を持つ」ことの大切さだった。同書にこうある。
<過去の業績や肩書きに対する執着を手放し、新たなスタートラインに立ったつもりで、
前向きに生きていくことを心がけましょう>これが、簡単そうで難しい。(>>2以降に続きま
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ユーモアとジョークは違う。ジョークは技術。ユーモアは心と心のふれあいから生じる。
笑いと怒りは両立しない。
「にもかかわらず」笑うこと=ドイツのユーモアの定義。自分が苦しくても、相手への思いやりとして笑顔になる。
落語を聞きながら、隣の人と一緒に笑う。
自分の失敗はユーモアの種にする。
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デーケン先生は2020年にお亡くなりなっているんですね。
先生のお話を直接聞いてみたかったです。
この本の中で、以下の言葉が印象に残りました。
人生の各段階で人間関係に問題が起こったとき、その事実を変えることはできないものの、許しを得たり、許しを与えたりして、和解することによって、新しい意味を見出すことができる。
子供に対する親の愛は、本来無条件であるべきでしょう。しかし、頭では分かっていても、いざ親となると、どうしても子供のすることにあれこれ口出ししたくなるもの。
「ありがとう」のほんの一言で、相手の心がどんなに慰められ、
生きる気分に満たせれるか、計り知れないものがあります。
時々、読み返して、自分の心を整えたい本です。