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引き続きコータンで修行。
今月はここにとどまって華厳を研究する予定。
○無明ってなんだ?
十二支縁起
無明(わからない)→行動→(認知+思考+感情) →執着→迷い・苦しみ→繰り返し
ならば、無明でない状態でスタートするとどうなる。
(認知+思考+感情)のメカニズムは変わらないとすると・・・、
無明でない(わかる)→行動→(認知+思考+感情) →執着なし→迷い・苦しみなし→繰り返し
華厳の場合、無明でないとは?
無明でない=空+重々無尽+仏の智慧(もろもろな智慧)=真如?
「わかる」は、やはり大切なのか?。
○無明ってアプリオリに存在するものなの?
十地品を読むと、最後の最後まで煩悩のコントロールの話が出てくる。仏になる一歩手前の菩薩の最高位でも無明はなくならない。すべてに真如があると華厳は考えるが、同時に無明もある。無碍を考えると真如と無明は互いは独立かつ一体化しているのか。
○真如と無明の関係?
真如のメカニズムは以下。
もともとすべての中に存在する(でも体は空?)。
随縁して用を発生する=力を発揮。
無になる。
無明のメカニズムは?
もともとすべての中に始めからある(でも体は空?)
行動を起こすと用を発生。? (行動を起こす前に用を発生?)
真如が発生すると同時に無になる?
いや、
真如が発生した時点では共存。
自ら真如を選べば真如といっしょに無になって事にとける。
真如を選ばなければ無明のままで十二支縁起の繰り返しになる?
さすれば、
なんらかの行動を起こす。(無明は行動の前から?)
無明と真如が働きだす。
真如が強ければ、真如と無明は無になり、事にとける。
無明が強ければ、真如と無明は無になり、迷う。
ということ?
でも、
2つは無碍だから、左右の足のような関係?
仲良くすれば、転ばないで、歩くことができる。飛んだり、はねたりできる?
わからないから試してみるとか、
好奇心からチャレンジしてみるとか、
無明は必ずしも悪者ではない。
無明があるからこそ、真如もある。
真如があるからこそ、無明がある。
真如と無明をうまく調和させればよいということなのか?
これって、神学者パウル・ティリッヒとカヘンの言ってたこと?
力と愛?
力は無明から生じ、愛は真如から生じる?
2つの関係は倶存無礙?
○迷い・苦しみの犯人は、執着なのか?
無明が悪者でないとすると、犯人は執着? でも、発心して菩薩道を志し、いろいろ苦労を重ねるのはいい意味での執着ではないの?
執着を作るのは記憶?
反対に記憶がない人、周梨槃特(すりはんどく)?
○(認知+思考+感情) のメカニズムが犯人?
識(しき、vijJaana) - 識別作用
名色(みょうしき、nama-ruupa) - 物質現象(肉体)と精神現象(心)。
六処(ろくしょ、SaD-aayatana) - 六つの感覚器官。
触(そく、sparSa) - 六つの感覚器官に、それぞれの感���対象が触れること。
受(じゅ、vedanaa) - 感受。
ここに違いが、あるのかな?
○行動ってなに? 内面的な行動も含むの?
十二支縁起では以下。
行(ぎょう、saMskaara) - 志向作用。
○華厳の智慧とは?
智を第十度、慧を第六度にあてて、この中の「智」は因果、順逆、染浄などの差別を決断する作用であるといって「智」を決断作用とし、「慧」は諸法の仮実、体性の有無などを照達することであるとして、それを疑心を断じ、しかも事物そのものを体験的に知ることである。 (Wikipedia 般若)