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救出 日本・トルコ友情のドラマ みんなのレビュー
- 木暮 正夫 (文), 相沢 るつ子 (絵)
- 税込価格:1,320円(12pt)
- 出版社:アリス館
- 発行年月:2003.10
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紙の本
トルコが親日国となったわけ
2007/03/27 10:25
10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
今を去ること117年前の1890年、和歌山県串本市の沖合いで一隻のトルコ軍艦が台風の影響で遭難した。軍艦の名は「エルトゥールル号」。暴風雨の中、乗員は次々と海に投げ出され、やがて近海の浜辺に流されたどり着く。暴風吹きすさぶ中、遭難した異様な風体の異様な言語を話す兵士たちを前に、当時の大島の村民はひるまなかった。「こりゃ、一大事だ」とばかり全村を挙げて遭難者の救助にあたり懸命に介護にあたり、実に69名ものトルコ海軍兵士が一命を取り留めたのである。この事件は、日本ではやがて忘れ去られたが、トルコではそうはならなかった。極東の島国でトルコの軍人が受けた恩をトルコ人は忘れようとはせず、トルコの教科書に「美談」として載せられ、100年以上に渡り連綿と語り次がれ、教えられ続けたのである。「トルコ人は日本人に恩がある。この恩は何時しか返さねば成らない」。エルトゥールル号遭難救助の美談を学校の教科書で叩き込まれたトルコ人たちは何時しかそう思うようになっていった。やがてそのときは訪れる。イラン・イラク戦争が勃発し、激化して、イラク軍がイランの首都テヘランをミサイルで無差別攻撃を開始したことでテヘランに居住する日本人駐在員約500人が孤立したのである。当時、日本には政府専用機は無く、日本の航空会社は「身の安全」を理由に救出に向かうことを拒否。欧米諸国も自国民救出で手一杯で、大量の日本人救出まで手が回らない。そうこうするうちにもテヘラン市内にはフセインが放ったミサイルが次々と着弾する。この時、立ち上がったのがトルコだった。「日本のみなさまのためにお役に立てるなら手を貸しましょう」。この様子はNHKのプロジェクトXでも取り上げられた。なんとトルコはテヘラン在住のトルコ人よりも日本人の救出を優先させたのであった。私はトルコにいったことがある。イスタンブールにいったらボスポラス海峡を臨むスルタンの離宮ドルマバフチェ宮殿を是非訪れて欲しい。そこで私は近代化に取組み失敗したオスマントルコ帝国の悲しみを見た。ドルマバフチェ宮殿は東京の赤坂離宮にそっくりの「近代的」な建物である。シャンデリアや階段の手すりを支える支柱はすべてフランスのバカラ製。規模は日本のそれよりも壮大であり、当時のオスマントルコの財力をうかがわせる大そうな代物だ。バカラのシャンデリアを大量発注するトルコ人。バカラを発注することで「私たちも文明人の一員ですよ」と人種差別の塊のような傲慢な欧州人たちに必死になってアピールしたトルコ人。大量受注に成功したフランスのバカラ本社ではシャンパンを空け祝杯があげられたことであろう。馬鹿でおろかなトルコ人たちを酒の肴にしながらフランス人たちは大はしゃぎしたことであろう。いくらバカラのシャンデリアを買い揃えようと、いくら洋服をきた軍隊をそろえようと、いくらベルサイユ宮殿並みの西洋建築を建てようと、ヨーロッパ人は決してトルコ人を同じ人間とは認めようとしなかった。その強烈な差別意識・侮蔑意識は今日になっても変わらない。トルコは平身低頭してEUに加盟させてくれと懇願しているが傲慢な欧州人たちは難癖を見つけてきては陰湿な妨害を継続している。こうした模様を見て、なぜトルコ人が日本人に異様に感謝し続けるのか分かった気がする。そう、トルコ人にとって日本人とは、自分たちをはじめて同じ人間として遇した同じ東洋の文明国だったのである。和歌山県串本にはトルコの費用で建立された壮大な慰霊碑が建っており、毎年記念行事がここで催されているという。こうした「友情」は大事にしたいものである。
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