紙の本
ラブ&ピースだけじゃだめなんだ
2005/02/19 20:48
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:稲葉芳明 - この投稿者のレビュー一覧を見る
北朝鮮による拉致被害事件がその典型的な例だと思うが、何故そのような事件が起きたのか、その直接的要因(北朝鮮側の理不尽極まりない動機)と間接的要因(北朝鮮にそこまでの無茶に走らせた背景)をきちんと分析・解明することが、いやしくもジャーナリズムの本来の責務だと思う。ところが実際は——とりわけTVがひどいが——<家族愛>のお題目の元、芸能界報道のノリで枝葉末節のみが誇張される報道にはつくづくうんざりする。
こういう時こそ、「学者」「知識人」は自らの長年の研究と卓見を、我々に届く言葉で語りかけ、指針を示すべきなのに、そういう真っ当な知識人は皆無に近い。その数少ない例外の一人が、藤原帰一氏である。氏の『デモクラシーの帝国』も啓蒙的な書であったが、本書には、一層深い感銘を受けた。
二人のインタビューアに答えるという形をとっているので、まずとっつき易いのが何より。しかし、中身は深く、濃い。『「正しい」戦争は本当にあるのか』という極めて重いテーゼを考えながら、平和、現在の国際関係、アジアにおける日本の位置づけを論考していく。東大卒で現在は東大の教授を勤めているなんて、もう絵に描いたような<学者><知識人>だけど、時代の推移と空間の広がり(アジア〜ヨーロッパ〜アメリカ等々)を踏まえた上で、事象を整理し、読者(=一般人)が考察・判断出来得るだけの素材を提供しようとするその姿勢に真摯で清々しいものを感じる。
平易な言葉で語られているからこそ、国際政治に門外漢のぼくでも胸に染み入るものがあるのだが、中でも最も感銘を受けた箇所の一つを以下にご紹介する:
「平和って、理想とかなんとかじゃないんです。平和は青年の若々しい理想だとぼくは思わない。暴力でガツンとやればなんとかなるっていうのが若者の理想なんですよ。そして、そんな思い上がった過信じゃなく、汚い取引や談合を繰り返すことで保たれるのが平和。この方がみんなにとって結局いい結論になるんだよ、年若い君にとっては納得できないだろうけれどもっていう、打算に満ちた老人の知恵みたいなもんです。」
紙の本
まっとうな大人の理屈による戦争批判
2004/01/20 11:45
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投稿者:梶谷懐 - この投稿者のレビュー一覧を見る
9.11のテロからイラク戦争に至るまでの国際政治情勢について、どうもヤバイ方向に向かいつつあるんじゃないかと心配している日本人は多いだろう。だけど、本屋の店頭に積まれている本を手にとってみても、確かに細かい事実関係は追いかけてあるんだけど、社会主義陣営と自由主義陣営という対立軸が通用しなくなった現在の国際政治についてどのような見取り図を描けばいいのか、という、たぶん普通の人たちが一番求めていることにはほとんど答えてくれない。中西寛さんの「国際政治とは何か」のような良質の啓蒙書もあるにはあるけど、読むのに一定の教養が必要とされるし、決してわかりやすいようには書かれていない。
そんなときにとても頼りになる本が出た。気鋭の政治学者藤原帰一さんに『ロッキング・オン』のカリスマ社長渋谷陽一さんが鋭くつっこむ。「今世界で起こっていることの本質を理解したい」という聞き手と、それにあたうる限り答えようとする専門家との二つの情熱によって、ホットな時論集でありながら一本芯の通った国際政治学の入門書でもあるという、希有な仕上がりの本となっている。
本書の特徴の一つは、国際政治の本質を、難解なタームや業界内での流行の理論に頼ることなく極めて簡潔に説明してくれることだ。例えば藤原さんは、戦争観を「正戦論」「リアリズム」「絶対平和論」の三つに分け、宗教的対立に根ざした中世の「正戦」は歯止めがきかず悲惨なものになりがちだった反省から、近代に入りリアリズムに基づいた戦争観が主流になってきた、と説明する。しかし、20世紀になって戦争を制限する国際法規などが生まれ、次第に戦争が「違法化」されるようになると、戦争を理念としては否定するが、そのためにむしろ「平和を乱した敵」への「制裁」としての戦争を徹底してして行うという、アメリカのような国が生まれてくる。これは一種の中世的な「正戦論」への回帰で、最近のアメリカの軍事行動が「何でもあり」で歯止めの効かないものになりがちなのはそのためだ、というわけだ。教科書的な説明によって、現在の国際情勢を歴史的な流れの中にきちんと位置づけてしまう手さばきは見事だ。
第二の特徴は、「ラブ&ピースだけじゃだめなんだ」というコピーでも分かるとおり、決して理想論的な平和主義ではなく、あくまでも現実主義な立場から平和の可能性を追求しよう、という立場に貫かれている点だ。藤原さんは戦争と平和について非常にリアルな、時にはシニカルといっていい見方をしており、平和を維持するために最小限の武力は必要だという立場から自衛隊のPKO参加を支持してもいる。しかし彼はそれと同時に、どう考えても現実的ではない、不合理としか言いようのない政治決定によって、アフガンやイラクで多くの血が流されたことについて強い憤りを示してもいる。そういう「冷めた頭と暖かいハート」によって、一見「現実的な」立場からアメリカの対イラク戦争を支持したり、核さえ持てば日本は安全になると思い込んだりしている人々の議論の「非現実性」が一つずつ暴かれており、読んでいて非常に痛快だ。
だから本書は、あくまでも常識ある大人の理屈によって書かれた戦争批判本なのだ。『世界』などによく書いているからか、最近は「進歩的知識人」とのレッテルを貼られることの多い藤原さんだが、そのバランス感覚はむしろかつての高坂正尭さんなんかに近いものがあるんじゃないだろうか。「大人」というには程遠い人たちが日米の首脳をやっている現実を見ると、ちょっと絶望的なような気もするけど、最終的にはこういったまっとうな大人の理屈が通るような世の中が来ることを信じたい。
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国際政治学者である著者へのインタビューをまとめた本なのですが
これが非常に分かりやすくて素晴らしい本でした。
この本はロッキンオンから出てて
インタビュアーは渋谷陽一と鈴木あかねとなってるんだけど
どっちがどっちか分からないようになってるんだけど
ラジカルだラジカルだって言うてんのは
間違いなく渋谷陽一だな(笑)。
まぁそんな渋谷陽一を横目に
著者は可能な限り平易な言葉遣いで話を進めている。
人物や事件に関しては同じページの上の方に注記があるので
わざわざ巻末を探したりしなくていいのもよい。
内容は大きく分けると
「正しい戦争」は本当にあるのか
日本は核をもてば本当に安全になるのか
デモクラシーは押しつけができるのか
冷戦はどうやって終わったのか
日本の平和主義は時代遅れなのか
アジア冷戦を終わらせるには
の6項目から話をしているのですが
どれもこれも納得させられる話です。
例えば最初の、「正しい戦争」は本当にあるのか、の部分では
戦争の考え方は歴史的に
1.悪い奴が戦争を起こす
2.戦争は政策の一つであり、善悪はない。
そして力の均衡が続く状態が平和である。
3.武器・兵器が悪いのであって
それらがなければ戦争は起こらない。
の3つに分類できる。
特に2はリアリズム、3は絶対反戦の立場と呼べる。
1は十字軍など近代以前の戦争に当てはまる。
2は近代の戦争。
3は実現されたことのない状態。ある種の理想。
今のアメリカは2から1に逆戻りしようとしている。
それは冷戦の崩壊により
アメリカに対抗できる軍事力がなくなったから。
戦争の否定に2つ。
1.政策としての戦争に反対。
経済の自由化を促し、各国間で貿易を増進させ
国家間での貿易への依存が高まれば
戦争は経済に損だからやらなくなる。
2.戦争そのものに対する反対。
デモクラシーに繋がる話で、
為政者は自らが戦場に行かないから戦争できるのであり
戦争に生死をかけ、また戦費を税金から出す市民自らが
政権を作れば戦争はしない。
戦争の否定に関して気をつけなければいけないことは
戦争をしないという条例を作ったとして
それを守らないものが出てきたときに
その国を罰しなくてはいけないということで
結局、戦争を起こしてしまう可能性があるということ。
歴史的に見ればアメリカはこの道を辿ってしまっていること。
などが書かれています。
現代アメリカに絞ってみると
もし正戦というものが存在するとすれば
それは「すべて」の侵略・不当な力を倒さなければならないのに
実際は見えない振りをしている紛争が世界中に無数あるが
アメリカは「正義」の名のもとに
戦争をしたいときに戦争をしたい相手の「悪」をあげつらって
戦争をしかけるのであり、偽善的である。
そこにあるのは「倒す独裁者」と「倒される独裁者」であり
「本当に正しい戦争��も「本当の平和」もない。
ということらしい。
民主化を外から押し付けるとどうなるかは
イラクを見れば明らかで
最初はフセイン政権が倒れて喜んだが
すぐにその声は消えていき
混沌とした状態が続くばかりである。
それは内部に民主化を求める声が定着していなかったからであり
それが内部にない限りは民主化はできない。
平和な世界を実現するためにはどうすればいいか
という部分で言及されているのは
「軍事力で解決!」
「ロックだ!ラブ&ピースだ!イェー!!」
のどちらも性急すぎるということ。
前者は言うまでもないでしょうけど
後者はどういうことか?
それはインドとパキスタンが例に取られてるですけど
お互いにいつ攻撃されるか分からない状況の人たちに
武器を捨てて平和になろうよ、と呼びかけたとして
先に捨てたら攻められるかもと思ってるうちは
お互いに武器は捨てられないということ。
なので、まずは誰かが間に入って
お互いの緊張を解きほぐし
少しずつ武器を解除させて
いかに具体的な危機のない状態を生み出すかが大切だと。
もし日本が核を持ったら
アジア各国から警戒されて各国は軍備を拡張するだろうし
そうなれば日本は防衛という名目でさらに軍備を拡張し・・・
という連鎖を繰り返す、ということですね。
冷戦はそうだったわけで。
たまたま米ソの力が均衡したからよかったものの
それは偶然でしかない。
大切なのは各国がアメリカとカナダのように
お互いに攻められると思っていない状態を作り出すことだ、と。
最終的に武器がなくなればそれでいいけども
まずはお互いに向け合っている銃口を減らすことから考えるべきだ、と。
それは非常に建設的で現実的な意見で
一晩寝て起きたら平和になってたなんて
そんなバカなことはないんだから
地道に積み重ねるしかないんだよなーと思った。
東アジアの和平に関しては
この辺は民主主義じゃない国がたくさん残っているので
EUのように共通した理念を共有することは難しいから
お互いに認め合ってバランスを取ることがまず先決で
東ドイツが人口流出を押さえられなくて国家崩壊したように
北朝鮮のいまの人口流出が続けば国家は存続できなくなるだろうから
それを戦争を回避しながら見届けるのがよい、と。
国家は外から壊すのではなく、内部から壊さないと変わらないから。
中国のチベット問題とかありますけど
「やめなさい」って言って、「はい、やめます」とはならないわけで
外堀からどんどん埋めていく
例えば経済の自由化を足がかりに
国全体の体質を少しずつ変換させていく
なんてことが必要なんだろうなぁと思います。
グローバリズムについての考察は
僕は藤原さんとは違って
やはりアメリカが押し付けているという一面を
否定できないと思っています。
本の内容から少しそれますが
それに関連してフェアトレードについてなど
少し調べてみたいなと個人的に思っています。
ホントにとても分かりやすい本���ので
戦争やそれに関わる国際情勢が気になるけど
ニュースを見ててもよく分からない
という人などにはオススメの本です。
もちろん、そうじゃない人にも。
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イラクに向けて陸上自衛隊の第1陣が出発したのが04年の2月。その自衛隊派遣をめぐってもイラク戦争の「大義」が問題になった。人類の歴史そのものともいえる「戦争」について、この本は現在の国際状況も踏まえて考察している。
『「正しい戦争」と「正しい平和」の追求は、どこかの国が倒すことに決めた敵は倒されるという恣意的な判断に傾きかねない』。アメリカと旧フセイン政権時代のイラクや、アメリカと北朝鮮との関係を思い起こす。
『戦争を避けることができるという可能性が示され、戦争はモラルに反するという考えが共有されるときに、初めて安定した平和が実現する』。理論的には確かにそうだろう。だからこそ、『軍隊に頼らなくても安全だと思われるような状態をどうすれば作ることができるのか』。という当然の課題に向き合う必要はあるだろう。
そのために『目の前の現象を丁寧に見て、どんな手が打てるのかを考える』という『現実の分析』も求められるだろう。
しかし、『いま必要なのは、現在の紛争や将来の紛争を招きかねない緊張のひとつひとつについて、できる限り犠牲の少ない対策を練り、その実現のために努力すること』となると、平和のための原則論の域にとどまってしまう感が否めない。
ましてや『問題のなのは憲法を守ることじゃなくて、日本の置かれた地域から軍事紛争の芽をどれだけ摘み取ることができるか、必要なのは祈る平和ではなくて作る平和』というのは、言われるまでもなく多くの国民が考えているのではないだろうか。
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「おおまかに分けると、戦争を否定するロジックにはふたつあります。ああ、戦争がない世界に向かっていくロジックと言った方がいいかな。
ひとつは経済統合が戦争を防ぐ妙薬っていう考え方です。経済的な取り引きが広がって市場が広がっていきますよね。戦争っていうのはその取り引きを遮断するわけですから、経済的には損なんです。だから経済の相互依存が広がると、戦争は割に合わないっていう考え方が出てきます。アダム・スミスがその典型で、そのあとの十九世紀初めのイギリスの経済自由主義、マンチェスター学派とか言われますけど、この人たちもやっぱり取り引き第一という考え方ですよね。だんだん経済の取り引きが広がっていったら、戦争なんて損なことはしない世界になっていくだろうっていう、これがひとつ。
もうひとつが広い意味でのデモクラシーにつながる詣です。王様ってのは自分が死なないから戦争するんだ、と。自分が死ぬ立場に置かれた人間は戦争なんか選ばない。そこから、市民が市民に責任を負う政府ができたら戦争にはならないはずだ、という自由主義の議論になっていくんです。一番有名なのはカントの『永遠平和のために』。いかにも岩波文庫で出てそうな本で、実際に岩波文庫から出てますが(笑)。これは市民っていう、自分が死ぬ立場にあり、戦争の費用を税金って形で取られちゃう側が政権を作ったら、戦争を抑制できるだろうという考えです。こうして、戦争は政策の道具だよという考えに対抗するものとして、経済の拡大による戦争の陳腐化と、市民の政府による戦争の制限っていう、ふたつの非戦の論理が生まれることになります」
(正義の戦争)は美辞麗句にすぎない
「で、出口のことからいうと、戦争が政府の自明な手段だっていう時代はだんだん過去のものになる。大国の間の戦争は経済的に引き合わないものになっていくし、デモクラシーが広まることで市民が賛成しない戦争はできなくなっていく。ヨーロッパを中心として、ジユネーヴ条約から国連憲章にいたるまで、戦争を違法化する法律や制度がだんだんできていきます」
戦争を法で規制するようになっていった。
「そう、これはこれでいいでしょう。ただ、ここで別の問題が生まれてくる。もし戦争が政府の権利じゃなくなると、その違法な戦争を行うものに対して、われわれはどう取り組むのかっていう問題が出てきます。世界平和を脅かす、そんな存在は認められない。制裁を加え、排除すべきだってことになるでしょう。まさに戦争を否定することで、その否定すべき戦争を起こした側に対する制裁が正義になるわけです。変な話ですけど、戦争の違法化、戦争の制限は、実は正戦論と裏表の関係に立ってるんです。
それがアメリカの問題になります。そしてアメリカにしぼって言いますとね、アメリカはもともと戦争についてヨーロッパのような観念から出発してない国なんです。もと溝と王様の窓意的な支配から逃れた人たちが集まって作った国ですから、王様の特権とされてきた軍隊とか戦争とかいったものには否定的なんです。戦争についても、これは王様が自分の利益のために人の − そこで藤原先生が登場して、いやいやみなさん待って待って���その議論はやめましょうよ、と。私は平和主義者です、平和いいと思います、ただ旗
を振るだけじゃないんですよ。なんでいま北朝鮮がああなってるのかちょっと考えませんか、なんであの人たちが核、核って言ってるのか考えませんか、一個一個分析していきましょうよ、と。で、分析をして、むずかしい因数分解も解いていけば、最低の軍事力でこの紛争を解決できるんだ、そういう絵が描けるんですよ、と。ちょっと頭よくなりません、みんな? 感情論はやめましょうよ、ある意味ですごく全体主義的なラヴ&ピースもやめましょうよという(笑)。
「そうです、ええ、ええ」
− かたや別の理屈がありますよね。俺たちはどこまでもシビアに現実を見
て、どこまでも分析をして、だから戦争なんだよって言う人たちもいる。
「そうですね。でもね、リアルなつもりで現実を見てないかもしれませんよ。平和を唱えるのが理想主義で、戦争が現実なんだっていう二分法は必ずしも正確じゃないんですよ。現実に向かうと戦争を肯定する、現実から離れるとハト派になるって、そんなバカなことじゃない。現実の分析っていうのは、目の前の現象をていねいに見て、どんな手が打てるのかを考えることです。
カの論理だけが冷戦が終わったあとも残ってしまった、という。哲学的にいぅと、ああ人間ってもうどうしようもないものなんだなぁっていう。結局は戦争やっちまうんだなぁっていう、そういうニヒルな世界観につながりかねないんですけれども(笑)。資本主義と民主主義っていう、世界で一番速くて、誰もがうまく使えるOSになったわけじゃなくて、なんか違うまた別のパワー.ロジックというのが生まれちゃっただけなんだなぁっていう。すごく暗澹たる気持ちになりました。
「大戦争のあとはふつう、戦争を律するようなもの、言い換えれば、国際関係を法や制度において律するような構想ができあがるんですね。十七世紀の三十年戦争、この戦争は人口比でヨーロッパの人が一番死んだひどい戦争ですけど、このあとにウエストフアリア条約ができました。ヨーロッパの国際関係を大きく変える初めての条約ですね。それからこれも悲惨な、十八世紀のナポレオン戦争、そのあとにウィーン議定書ができます。第一次世界大戦のあと、第二次世界大戦のあと、大戦争のあとはすべて、国際政治の改変期になるわけです。
なんでそうなるかって言うと、痛い目にあったからですよ。こんな戦争繰り返したら共倒れだからなんとかしなくちゃいかん、と。こうやって戦争の合理性は否定されるわけですね。日本にとっては第二次世界大戦が決定的だと思います。ひどい話ですが、日本は第一次大戦では得をしたから反省しなかった。でも、第二次大戦では痛い目にあったから反省するわけでしょ。
ところが冷戦って戦争なしに終わったんですよ。冷戦はもちろん核戦争の可能性を抱えた体制だったんですけど、結局は核戦争にならずに終わった。
このとき起こった戦争は湾岸戦争なんです。短期で終わり、少なくとも多国籍軍側の犠牲者は多くありませんでしたから、戦争が失敗した、戦争って悲惨、って言われるような戦争にはなりません。だから戦争の合理性を否定しないまま、冷戦後っていう時代が始まっちゃったんです。
これは本当に変な話なんです。冷戦が終わるっていうのはソ連圏っていう巨大な権力グループが変わるわけですから、力関係の変化としちゃすごく大きい。
ぼくは学生運動の世代よりあとに生まれたので、学生時代には反戦平和って言ってた人が平和主義の虚妄なんて言い始めるのをイヤというほど見せつけられました。随分簡単に考えを変えるんだなとむかしは思いましたが、考えてみればこの人たちは前もいまも戦争そのものは見てないんですよ。あるのは観念だけで、それがひっくり返ったわけ。
何度も言いますけど、平和っていうのはそんな観念よりも具体的な、目の前の戦争をどうするか、戦争になりそうな状況をどうするかって問題なんです。平和主義を守るか守らないかってことよりも、具体的な状況のなかで平和を作る模索が大事だって思ってます」
正しい戦争ってあるんだろうか。戦争をなくすなんて、無理なことだろうか。いまの世
界で戦争と平和の意味を考えることが、この本の目的だ。
そんなことはわかりきってる、戦争は悪いに決まってるじゃないか。そういう人がいるだろう。平和な暮らしをおくる人々にとって、戦争は過去の不幸なできごとであり、不幸な地域を襲う運命にすぎない。平和も戦争も、遠い世界のことのように思えるだろう。
だが、戦争は決して遠い世界のできごとではない。九・一一事件のような悲惨な暴力を前にすると、敵を倒さなければ平和な暮らしを守ることもできない、なんて議論も生まれてくる。平和が正しいと漠然と思っていた人も、侵略者を退治しなければ平和は取り戻せないではないかと言われれば、正しい平和を実現するためには正しい戦争も必要ではないか、そんな気にもなるだろう。こうして、陳腐なほど当たり前に見えた「平和」という言葉の意味が、ごく簡単に、正反対のものに変わってしまう。
およそ十年ほど前、戦争は終わったと思われた時代があった。イラクがクウェートに攻め込んだ一九九〇年の直前の一年は、米ソの核軍縮が急速に展開し、東欧諸国では民主化革命が起こり、ヨーロッパでは九三年EU統合が予定されるという時代だった。愚かな軍拡競争の時代は終わった、戦争は終わった、軍人とスパイは失業だ、というのが束の間の「常識」だった。湾岸戦争のあとの二年間で、この「常識」は逆転する。アメリカは冷戦に勝った、封じ込め政策は正しかった、というのがあらたな「常識」となり、世界各地の紛争を放置できるのか、軍事介入が正しい選択ではないかという議論が、あらゆる人によって、しかも世界各地のあらゆる戦争について行われるようになった。日本の平和論についていえば、冷戦当時よりも冷戦終結後の方が、もっと元気がなくなった。
冷戦が終わって、核戦争で世界が壊滅する危険は遠のいたはずだ。ところが、まさに世界戦争の心配が薄れた時代を迎えてから、正義の戦争とか、民主主義の拡大とか、それまでになく強気の議論が出現したのである。日本でも、海外派兵こそが国際協力であり、国際平和への貢献だ、という主張が広がってきた。こうなると、何が正しいのか、まるでわからなくなってしまう。
なぜこのような混乱が起こるのだろうか。それは、平和を作る手段が戦争を作る手段ほとんど同じであ��、平和を保つのも軍隊なら戦争を作るのも軍隊だ、という、国際政治の最も基本的な逆説から生まれている。冷戦時代は、この間題はようするに核戦略の「合理性」の問題だった。核軍拡を続けながら軍縮交渉を続けるという、右手でウイスキーを勧めながら左手で胃薬を売りつけるような倒錯が続いたのは、権力政治の論理からみても核兵器が本当に戦争の役に立つのか、曖昧で、不合理な性格を持っていたからだ。
それでは、冷戦が終わったあとの現在の国際関係において、戦争にはどんな意味があるのだろうか。もっと踏み込んで、正しい戦争はあるのか(第一章)、核兵器が平和を支えているのか(第二章)、独裁政権を倒さなければ平和はやってこないのか(第三章)、そんなふうにイヤな質問を考えるのが、この本の目的だった。
正しい戦争も、核兵器の支える平和も、独裁者を追い出さなければ得られない平和も、随分どぎつい表現だ。でも、正直に胸に手を当てると、ホントはそうかもしれないというおびえは感じないだろうか。本書の前半は、そんなきわどい問題、目を背けたいのにトゲのように刺さってくる問題の議論にあてられている。
きつい問題をあつかった三つの章のあとで、少し歴史を遡りながら、現在の国際関係を考えてみた。第四章と第六章では冷戦の終わり方を、第五章では日本の平和論の過去と現在を議論している。最後に日本ではなくアジアの冷戦を持ってきたのには、理由がある。それは、中途半端に終わってしまったアジアの冷戦にきちんとした解決を与えない限り、アジアの平和を考えることができないと思うからだ。
適宜の引用。
「平和って、理想とかなんとかじゃないんです。…暴力でガツンとやればなんとかなるっていうのが若者の理想なんですよ。そして、そんな思い上がった過信じゃなく、汚い取引や談合を繰り返すことで保たれるのが平和。この方がみんなにとって結局いい結論になるんだよ、年若い君にとっては納得できないだろうけどもっていう、打算に満ちた老人の知恵みたいなもんです。そういうことをね、伝えていきたいんです」
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・平和は地味な活動だ。嘆くだけはただのハト派、現在の右傾化はそれを反転させただけ、同レベル。
・9条はただの武力解除装置。世界遺産に残すなんてバカの妄想。ヒロシマのほうがよっぽど認知されてる
・戦争禁止が自衛戦争を肯定するというパラドクス
・ロシアは国力低い(オランダ程度)
世界の紛争地ごとに、平和の精神を根付かせていくという地道な作業でしか「平和」は訪れないんですね。
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会話調なので読みやすい。でも冷戦や憲法、民主化など内容は濃い。国際政治って実はおもしろいかもと思わされた本。
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「正しい戦争」という概念以前に、「平和」って何だろう?ということを見つめなおしている点の方が大事だと思った。「平和は祈るものではなく作るもの」、「国際政治の選択というと軍隊派遣か、平和祈念かという両極に行きがちだが、本当に大事なのは一つ一つの紛争を招きかねない火種、緊張について出来る限り犠牲の少ない対策を練り、努力すること」という極めてリアリスティックな主張はよくよく考えれば当然のことである。「戦争」はいけないことだけどなくならない、結局二者択一で議論しようとすることが間違っているということを教えてくれる。理想だけ、抽象論だけの平和主義は一歩間違えば軍事万能へと転換しうるという主張には納得させられるものがあった。
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この本を読んで、アメリカが「正義の戦争」と呼んだイラク戦争について、本当に「正義」であったのか、また、戦争に取って代わる手段はなかったのかということについて私なりに考えてみたいと思う。
まず、周知のとおり、アメリカはイラク戦争を悪の枢軸を倒す「正義の戦争」と呼び、遂行したのであった。しかしながら、世界のほとんどの国にとってこれほど「不正義」の戦争もなかったのである。それでは、アメリカの掲げる「正義」とはいったい何であったのだろうか。今回の課題図書はこの問題について大きなヒントと衝撃を与えてくれたような気がする。つまり、藤原さんのいう絶対不戦の平和主義による戦争というパラドックスであった。アメリカは平和を壊すものとしてイラク・イラン・北朝鮮の三国を「悪の枢軸」という表現を用いて挙げた。なかでもイラクの旧フセイン政権を、事実としてあったかどうかはともかく、テロリストを援助したことで平和を壊す悪玉として攻撃したのであった(注1)。なるほど、世界の平和のためには、それを妨げるものを除去する必要があるような感じがする。
それでは、このアメリカの考えに従って、旧フセイン政権は外部の攻撃によって倒されなければならなかったのであろうか。換言すれば、悪い相手がいれば武力を用いてでもそれを取り除くことは許されるのであろうか。この点について、私は藤原さんのいう「国際政治の世界では、独裁政権と共存するのがむしろ現実」という言葉に共感した。第一、「悪」と「善」という概念は反対のように見えるが、実際は表裏一体のものであって、「善」が存在すれば自発的に「悪」も存在する。また、両者の判断が主観的なものであるので、一概に「善」「悪」を判断することはできない。したがって、「悪」を抹消するということは論理的には不可能である(注2)。この考えから、「正しい戦争」はあり得ないという結論に至るが、同時にもし「正しい戦争」が行われたのであれば、それは「悪」である可能性もはらんでおり、よって「正しい戦争」を抹消することもできないと言えるだろう(注3)。
以上のことから、独裁政権との共存が現実であることが確認される。だが、共存することはイラクで起こっていた現実を見過ごすことではなく、政権を宥和することでもない。そうではなく、独裁政権をも混ぜた多国間グループでの交渉が必要であって、北朝鮮のケースで言う六者協議のようなものがイラクにも必要であったと思う。また、独裁政権がたとえ民主化されなくとも、その国の人々が納得できる政権であれば尊重する必要もある。それをもっとも表わしたのがブルネイの政治(注4)ではないかと考える。本当に悪い政権であれば、内部から反発され、崩壊するはずだからである。
***************
(注1) もっとも、アメリカこそ世界の不安定要因のひとつであると私は考える。
(注2) このことは「テロリズム根絶論」にも通ずることである。
(注3) だからと言って私は「正しい戦争」を肯定するわけでもない。
(注4) ブルネイは事実上独裁政権であるが、社会水準を上げたことで市民から反発されることはない。
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正しい戦争とは何なのか?そのようなものが存在するのか。
そもそも『正しい』ということが主観である以上、誰もが正しいと思って行う戦争はこの世にはあり得ない。
戦争だけにとどまらず『正しい』ということの価値判断は難しい。だからこそ様々な経験をし世界を広げ、自分が正しいと思うことでも様々な立場から慎重に考えなくてはならないと思った。
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内容は言わずもがなだけど、この人生でみるとメチャクチャ格好いいよ。
講義が終わった後、一号館の裏でいつもタバコを吸っていたのを思い出す。
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(「BOOK」データベースより)
戦争は正義か、それとも必要悪か。フセインを倒すために戦争は必要だったのか。平和のために戦争は必要なのか。根源的な問いに気鋭の国際政治学者、藤原帰一がすべて答える。
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2011.2.19
http://plaza.rakuten.co.jp/ibarakikeiko/diary/201102190000/
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ゼミ資料。
リベラリズム: 倫理、国際法、国際機構を重視する。
【戦争の捉え方】
1. ミュンヘンの教訓→悪いやつを取り除かねばならない
2. リアリズム→国家理性・勢力均衡
3. 広島の教訓→武器よさらば
【戦争がない世界に向かっていく2つのロジック】
1. 経済統合が戦争を防ぐ妙薬。経済の拡大による戦争の陳腐化。
2.市民の政府による戦争の制限。広い意味でデモクラシーにつながる話。
戦争の違法化=ジュネーブ条約1925
〈正義の戦争〉は美辞麗句にすぎない
「私は最も正しい戦争よりも、最も不公平な平和を選ぶ」(キケロ)
アメリカが世界の警察官なんて言うけど、ひとつの国家が恣意的に兵隊を使うのではそれはヤクザであって警察ではない。p34
相互確証破壊(MAD): 核保有国がお互いを牽制し合う状態。
ロシアは2002年のモスクワ条約でアメリカと張り合うのを断念しました。p74
平和が理想主義で戦争がリアルという二分法から脱却する必然がある。ひとつひとつの事案を検討・分析して対応していく。その積み重ねが平和構築に繋がっていく。
ミニ・ニューク(小型核爆弾): 現実に使われる可能性?p79
→核は冷戦期の最終兵器的な役割から、現実味を帯びてきた。
軍縮っていうのは、実際に何発核弾頭が減ったか、ていうよりも戦争の蓋然性を下げることが大事なんですね。p98
ルワンダ、ウガンダ、コンゴ: 中部アフリカで国境を隣接したこの三国は
1. 複雑に絡み合った民族間の軋轢
2. 豊富な好物資源の利権争い
3. 旧植民地列強の無節操な支援
も加わって、戦争・内戦ともに激化するばかり。p115
新自由主義: 国家による経済への過度な介入を避け、個人の自由と責任に基づく競争と市場原理を重視する考え方。政策としては、規制緩和、国営企業の民営化、補助金削減などが典型的。80年代は新保守主義と呼ばれていた。p134
「政治でも経済でも、お金持ちのグローバリズム、貧乏人のナショナリズム(笑)」p135
従属理論:先進工業国に圧倒的に有利な国際貿易の仕組みができあがっていて、当時の言葉でいう〈第三世界〉から利潤が流れでていくようになっているという主張。いわば国際的な階級闘争。
「欧州共通の家」構想:89年7月欧州議会総会での演説でゴルバチョフが提唱した。東西ヨーロッパの分断を解消し、ソ連を含めた「大西洋からウラル山脈まで」の大欧州連合を作ろうという考え。当然だが、アメリカは入っていない。p177
戦争と平和主義は表裏一体→戦争が違法だから、その違法な戦争を起こす奴は武力で退治するべきだという論理。p213
内外における憲法9条への認識
日本→安保条約と対立する、戦争を促進してしまい、憲法を反故にしてしまうきらい
海外→憲法よりも安保が日本の軍国主義をふせぐ。(いわゆる「ビンのフタ議論」)p221
結果的に平和運動は経済成長優先路線を支えた。p244
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▼戦争を否定すると、その否定された戦争を行う違反者に制裁を加えることは「正義」となる。つまり、戦争を違法化することは、「正しい戦争」と表裏一体の関係にあるのである。
▼だがそうすると、恣意的な平和のための「正しい戦争」が行われる事態も想定される。そして「私たち」を絶対化してしまえば、否定される「彼ら」が生まれてしまうだろう。そうしないためには私たち一人一人が規律や倫理観(モラル)を内面化していくしかない。
▼国際関係においては軍事力が不要であるとは言えないだろう。だが、軍事力の行使に頼らない状況の打開策を模索する――著者の藤原氏が述べるように、大切なのは戦争の「正しさ」どうこうではなく、平和に対するアプローチの仕方なのではないか。
▼勢力均衡を是認するだけの現実主義でもなく、また理想に耽る平和主義でもなく。「現実の分析というのは、目の前の現象を丁寧に見て、どんな手が打てるのか考えること。」ぜひ、この考えを実践していきたいものである。