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本文は、モーツァルト・美を求める心と題して、noteで投稿したものです。
水曜日の朝、ぼくはモーツァルトのシンフォニー第40番第1楽章を聴いて、泣きそうになったのを思いだす。その日は、いつもより早く起きていたから丁度良いと思い、かけていた。
しかし、何故モーツァルトは、シンフォニーで何役にも転じたのか、語り部であり、聴者であり、忘れ河である。
彼は、自らの楽曲の中で自問自答を繰り返していたのか。
ふとそんなことを思い、狂った感覚が襲った。
しかし、ぼくは音楽に詳しい訳では無い。空き時間に未開の地に足を踏み入れんとする者である。
しかし、不思議だ。あの時に感じたものはいまでは、やはり偽りの鮮明の中に埋もれてしまっている。
何故か小林さんのモオツァルトは読んでいなかった。それ熟読することは、高校生のぼくにはまだ早いのかと思っていたが、モーツァルトのあの躍動を凝縮したシンフォニーを聴いて心奪われた以上読んでみたくなった。
Ⅰ モーツァルト
水曜日に聴いたシンフォニーは、無名のピアニストによる演奏だった。しかし、その後もモーツァルトのシンフォニーのことで頭は一杯で、頭の中で何度も繰り返し響いていた。
しかし、もう一度聴きたい。メニューインの演奏があったのでそれを聴いた。なるほどこうなるのか。ぼくは彼の演奏に惹かれてしまった。メニューインは小林さんのお気に入りのヴァイオリニストとのことで、彼の来日時に、愛情を持ってこう書いている。
「第一日目の演奏を聴いて、何か感想を書くことを約したが、きつと感動してしまつて何も言ふ事がなくなるだらうと考へてゐた。その通りになつた。タルティニのトリルが鳴り出すと、私はもうすべての言葉を忘れて了つた。バッハだらうが、フランクだらうが、それはもうどうでもよい事であつた。魂を悪魔に渡してから音楽を聞くといふこともある。タルティニは嘘をついたのぢやあるまい。たゞ、私は夢の中で、はつきり覚めてゐた。そして名人の鳴らすストラディヴァリウスの共鳴盤を、ひたすら追つてゐた。あゝ、何んといふ音だ。私は、どんなに渇ゑてゐたかをはつきり知つた。
メニューヒン氏は、こんな子供らしい感想が新聞紙上に現れるのを見て、さぞ驚くであらう。しかし、私は、あなたの様な天才ではないが、子供ではないのだ。現代の狂気と不幸とをよく理解してゐる大人である。私はあなたに感謝する。」
『メニューヒンを聴いて』(1951年)
しかし、クラシックは、元気が無いと聴く気が起きないという時期がぼくにもあった。長明の言うところの朝顔と露か。oasis、レディオヘッドあたりが、丁度良いという時期が。しかし、歩いているとメヌエットのG.minorが、ぼくを急がせ次第に足取りは速くなる。
小林秀雄が、モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけないと言った楽曲は、弦楽五重奏曲第4番 ト短調 K.516である。
ぼくのアレグロに対する印象は、まるで、そっほを向いているように感じた。小林さんは、正確な足取りであるとおっしゃっていたが、ぼくが思うにそれは、ジャック・スパローのあの歩き方である。音がほんの少���響く地面をあの様に独りで歩いている。そして時折振り返る。多分何も見るものは無いし、見てもいない。衝動的に、そうしたに過ぎまい。 それ故、涙はついてこれない、涙ですら見えぬのだから。涙は彼の曲となる。彼の涙は、モオツァルトという忘れ河を経て、あのような明るい曲となる。涙はもはや、追いつけぬばかりではなく、何も覚えてなどいないのではあるまいか。その数滴の涙めいめいが人をヴァイオリンとを表す。モーツァルトの曲はいつも新鮮だとあるが、モーツァルトを思いだし耳を傾けると、何もかもを忘れた涙が、曲として生まれてくるからではあるまいか。しかし、これはモーツァルトに限ったことでは無く、全ての人もそうである。それが、孤独という人間存在の本質と小林さんは、書かれている。そうなると彼の楽曲はいよいよ深い。モオツァルトという人は、決して急いでいる訳では無い、ドン・ジョバンニを見ているとそんな気がしてくる。サリエリはドン・ジョバンニの上演を僅か6日で打ち切らせた。騎士長が、父レオポルトに見えたのだ。彼は父親の呪いがモーツァルトにかかっていると直感したのだ。しかし、モーツァルトにとっては果たして、レオポルトの呪いであったのか。呪いであり祝福であるかのようだどうやらサリエリは、次なる祝福を我が物にしたかったのだろう。
小林さんが交響曲第39番 変ホ長調 K. 543第4楽章は、まるで明け方の雲のようだとおっしゃっていたが、捕らえた小鳥をかごの中で、野生のままにしておくが如く、この表現には感動した。余すことのない自然と生み出されたそれが、この第4楽章から伝わってくる。ハイドンのシンフォニーの繊細さとは違う、カーテンの匂いのするようなものでなく、冷たい川の水のようなものをモーツァルトからは感じる。ブルーノ・ワルターの指揮は、本当に素晴らしい。
Ⅱ 小林秀雄の音楽会
小林秀雄は、文学青年でもあり音楽青年でもあった。彼の父親の職業柄また、父親の短命ともあり、しかし、海外製の蓄音機が小林秀雄の音楽への造詣を深めるに至るきっかけとなった。
こうして思えば、無常という事は、小林秀雄の傍に、いつも音楽があったという事の象徴だとも言える。彼も宣長は、ブラームスで書いてます。といっていた。
第一部までモーツァルトについて触れてきた、この第二部では、美を求める心を小林さんの音楽との関係について触れながら進めていく。
私は、美の問題は、美とは何かという様な面倒な議論の問題ではなく、私たちめいめいの、小さな、はっきりとした美しさの経験が根本だ、と考えている…。美しいと思うことは、物の美しい姿を感じる事です。美を求める心とは、物の美しい姿を求める心です。 美を求める心より
美しいものは、既にそこにある。我々は、めいめいの目で耳でそれを見出さなくてはならない。勿論、人それぞれである。無常という事は、多分、モーツァルトに最も影響されていると思う。これも、ぼくの考えであり、そうでなくても構わない。これは、こう言う歴史でこう言う価値があり云々とは、それほど重要ではない。その先が重要なのである。現代に於いては、これが欠落しているとしか思えぬ。
音楽や芸術それだけではなく、自然それが、人間の創造性の���イナミクスの源であるという事は、多分、何となく分かる人も多いだろう。 梅の花だって、木に咲いているものだけが美しいのではない、散ってもなお美しい、勿論、そのようなクオリアは、人によって明らかに違ってくるもの。かつての王侯貴族達が、アートを欲していたのは、まさに一種形式的なものから自らを解毒しようとしていたのではあるまいか。
1982年12月28日小林さんは、病床についていた。同年春から音楽を聴くことは無くなった。聴く気力も体力も無いのである。しかしその日、1階のテレビから、あのメニューインの演奏が放映されている。小林さんは、夫人と共に最後まで聴いていたという。宮沢賢治に、眼にて云ふという詩がある。
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。
苦しいさはあったはずである。しかし、多分、彼の人生で最も何とも言えないものに包まれた一時であったことだろう。その約2ヶ月後、小林さんは、息を引き取った。
美を求める心とは、即ち、人の心也。
人間が生きる原動力となる。茂木健一郎さんが小林さんは、エピファニーの人だとおっしゃっていたが、このエピファニーというものを我々は、大切にしなくてはならない。本質は必ずしも美しいとは、限らない。美は思うほど美しいものではない。だからといって美しくないわけではない。一枚の木葉も地面におちていれば、隠すものは、そうあるまい。しかし、一と度手に取り、月にかぶせてみよ。
我々は、創造の萌芽の芽吹く世界に怠惰しているに過ぎない。そんなものは、場違いではあるまいか。現代人が最も癪に障る。それは必ずしも考え抜いた畢竟としてのものでは無いにしろ、そうではないかと思う。
モーツァルト、これで良かったのか?
答えてくれても良いじゃないか。
答えてくれそうにないな。
ぼくはまた、忘れ河の水を飲むのか。
しかし、君は人間だな。ぼくは完全に忘れることは出来ない。思い出せもしない。
悲しさは疾走する。涙は追いつけない。
然れど涙は忘れ河を通り、永遠に回帰する。