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残虐記 みんなのレビュー

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みんなのレビュー95件

みんなの評価3.3

評価内訳

5 件中 1 件~ 5 件を表示

紙の本

人間の想像力のすごさ・・

2005/12/15 16:57

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ひさ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 想像にはじまり、想像で〆るこの物語。何が真実なのかわからない事件や人物。この物語の真実とは何なのか。
 そして、読み終えてから今度は読者がこの物語の真実に迫ろうと新たな想像をはじめる。

 うーん、またしても桐野夏生の術中にはまってしまった感である。想像の連鎖・・・
 ということで、読後の私の想像。

 「グロテスク」に続くこの作品は、この世のすべてを人間は想像によって創りだしているのだ!!と叫んでいるようだ。
 この物語の真実を追っても真実は出てこない。主人公が存在しているのか、事件の当事者なのか、残された小説は事実なのか、わかりはしない。真実とは「想像」と「思考」につきるのではないか。
 この世の中に唯一の真実なんてありえない。
 人間は想像することで、この世の事象を感じ、認識するのだ。
 つまり「想像すること」そのものが真実であり、この世の実体なのだ、と。

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紙の本

救いを見出せないのは残虐である

2004/08/04 18:31

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:luke - この投稿者のレビュー一覧を見る

出版社から転送されてきた手紙を見た直後に、少女時代に誘拐され1年間監禁されていた過去を持つ女流作家が失踪した。手紙は誘拐監禁した犯人が出所して出してきたものだった。ひらがなだらけの手紙は「…私のことはゆるしてくれなくていいです。私も先生をゆるさないと思います」と締めくくられていた。

 小学校4年生、10歳、バレエ教室の帰りに少女は誘拐され鉄工所の2階に監禁された。容赦ない暴力から逃れるため監禁を受け入れた。性的暴行は受けていないのだが、救出後の事情聴取でも専門医の診察でも監禁生活を語ることはなかった。それは、廻りの人間の哀れみ、好奇心、想像の対象とされている事を感知し嫌悪したからだ。そして、「犯人との交歓を一切漏らさないことが私の復讐」と言わしめているように、復讐もあるが監禁生活中に暴力による強制ではあったが、それから逃れるために「仲良し」になっていた事を知られた場合の反応が恐かったから他ならない。

 「残虐」とストレートに表記された言葉には実に多くの意味を持たせている。誘拐監禁生活そのものを筆頭に犯人の過去も残虐に満ちあふれているし、救出後の警察を始め病院関係者、そして世間の好奇な視線とそれに伴って想像される世界の残虐さもある。殺害されたフィリッピン女性の劣悪な立場と生活環境、犯人の周囲にいた人達さえにも有った事を示唆している。しかし、少女の住んでいる地域の状況はどうだったのか、家庭環境や学校生活はどうだったか、通っていたバレエ教室では…。暴力、虐待、性、差別、嘲笑、欲望、命令に背けない状況は誘拐された部屋にだけ存在していたのではなく、日常少女が置かれていた環境にも溢れていて、まさに監禁されていたのではないのか。そして、いつも傍観者は好奇と嘲笑、想像の視線を送っていたではないのか。

 監禁場所での犯人との交換日記。「ウソは書いては駄目」と少女は言う。当初は逃走手段と置かれている状況を見出す手段としていたのだが、逃れられないのなら監禁生活に馴染もう、少しでも楽しめるようにと思った時から犯人との関係も変化していく。後に作家になった少女は恋人関係だったと供述するが真実だろうか。無意識な防御手段の1つとして思い込んでいるだけではないのだろうか。一人では生きて行けない、大人の保護が必要な子供達はいつも「命令に背けない」状況の中に居る。「家族団らん」、「友情」、「恋愛」は真実なのか。そこに救いを見出すことが出来ないのは残虐である。少女は本当に解放されたのだろうか

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紙の本

桐野さんの作品って“いくら深読みしたって深読みしすぎることがない!”ような気がする。

2004/03/29 00:56

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:トラキチ - この投稿者のレビュー一覧を見る

凄く“レベルの高い”作品である。

よって本作を征服するにはまさに桐野さんの“圧倒的な想像力の豊かさ”と“読者の想像力”との勝負が必要である。

本作は新潟の少女監禁事件をモチーフとして書かれている。
著者のもっとも得意とする社会派系作品であるが、内容的には約一年間若い男に小学生の頃誘拐・監禁された少女の監禁後の人生にスポットが当てられている。
わずか220ページにいろんなものが詰まってるので一行も目を離せずに読まなくてはいけない。

正直、「残虐記」というインパクトの強いタイトルほど内容は重苦しくない。
ただ、女性や感情移入が激しい方が読まれたら少し辛い描写もあるかなあとは思ったりする。

どちらかと言えば、景子の監禁後の生活の方が“残虐”かもしれない。
彼女はずっと事件の事を隠して生きていかねばならない生活を余儀なくされるのである。
たとえば、景子と彼女の両親との関係や谷田部を追っていく姿などを考えても興味深い限りである。
あと、フィクションだから許せることかもしれない(ここを強調したい)が、健治の過去を読んでやはり多少なりとも同情された方も多いんじゃないかなあと思う。
少し複雑な気分であるが…

大きな目で見たら、本作ってあらゆる点において読者に“人生における戒め”を提起しているのかもしれませんね。

作品の手法的には“入れ子方式”で語られてる為に謎が謎を読んで奥深いことは間違いないところであろう。

個人的にもっとも印象的なのは最後の夫(元検事)の編集者への手紙である。
やはり健治に対してかなり嫉妬していたのであろうか?
そういう読み方をされた方は失踪先を特定出来たんじゃないかな(笑)

少なくとも限りない妻への愛情を強く感じ取れた点がやけに印象に残った。

トラキチのブックレビュー

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紙の本

今後は桐野夏生自身の「妄想」に期待する

2004/03/24 15:08

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:katu - この投稿者のレビュー一覧を見る

高村薫は、物語性のない事件が多く、またあまりにも残酷な事件が多いために犯罪小説から距離を置いてしまった。一方で、実在の残酷な事件に材を採って次々に作品を発表する桐野夏生がいる。

文字量は『グロテスク』に比べればかなり少ない。ゆえに、少女の監禁生活がどうだったのかということをねちねち書いているわけではない。むしろ救出された後の話のほうが本題である。そこには「残虐なのは一体誰なのか」という捻ったロジックがあって、なかなか考えさせられる。

『グロテスク』でもそうであったが、本作でも「妄想」という言葉がキーワードになっている。監禁された少女は救出された後に、今回の監禁事件がなぜ起きたのかということを妄想する。警察や検察から得られる情報を肥やしにして、どんどん妄想を膨らませてゆく。そして妄想はやがて妄想のレベルを超えて、真実に近づいてゆくのだ。この妄想の中身がなかなか凄い。本書が、というよりも桐野夏生のことが怖ろしくなってくる。

ただ、『グロテスク』を読んだときにも感じたが、これら実在の事件を題材にした小説のことを関係者はどう思っているだろうか。あまり愉快には感じていないだろう。実在の事件を元にして、それを膨らませ、別の次元にまで引き上げる桐野夏生の膂力には恐れ入るしかないが、それもそろそろお終いにしたほうがいいのではないだろうか(余計なお世話かもしれないが)。

『グロテスク』はまごうかたなき傑作であるし、本作のレベルもかなり高い。しかし、桐野夏生には、実在の事件を題材にするわけではない、桐野夏生自身の「妄想」をフルに発揮した作品を期待したい。

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紙の本

「残虐」であることの本質とは何か?

2004/03/09 00:05

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ヒロクマ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 2000年1月に発覚した新潟県で起きた9年間の長期にわたる女性監禁事件をモデルにしたと思われるこの物語は、昨年の「グロテスク」に続き物議をかもすだろう。
 突然疾走した女性作家の手記の形を取るこの物語は、自分が25年前の小学生時代に体験した、約1年間の監禁事件の被害者であると告白することから始まる。
 ここで読者の多くは、凄惨な監禁生活が延々と綴られることを、半ば恐いもの見たさで期待するのではないかと思う。
 ところが監禁生活についての描写は、全体の半分に満たないところで終わり、ある意味肩すかしを食らってしまう。
 しかし本当に残酷なのは、監禁生活から救出されてからの生活だった。彼女は、警察の取り調べや家族の質問に対して、監禁中のことをすべて話そうとしない。そんな彼女の態度を周囲の人々は、あまりの恐怖体験のためと思い、それぞれが勝手な憶測をし、やがてそれが噂となり、事実として伝わっていく。
 彼女が監禁生活のすべてを話さなかったのにはわけがあった。それをここで書くわけにはいかないが、虐待や監禁事件、特に子供に対しての事件についての核心をつくもののように感じた。
 こうしたデリケートな事件に対しては、マスコミも周囲の人々も一見配慮をするようにしながらも、実は何が本当に起きたのか知りたくてしようがないのである。そしてそれが飛躍した事実の想像へとつながり、結果的に被害者を特別視するようになる。
 最初に「肩すかしを食らう」と書いたのも、おそらくこの本を手にとった人の多くが、少女の監禁生活を覗き見する疑似体験をしたいと思ったからなのではないか、と考えたからだ。正直自分にもそういう気持ちはあった。
 「残虐記」という煽情的なタイトルで引き付けておきながら、残虐であることの本質が何なのかを、読者に突きつける桐野氏の手腕には頭を下げるしかない。

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