紙の本
ヒトラーの秘書であった女性が綴る貴重な時代の証言
2005/12/19 23:36
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ブルース - この投稿者のレビュー一覧を見る
いささか旧聞に属するが、この8月(2005年)に、ドイツ映画『ヒトラー』が公開された。ベルリン陥落間際のヒトラーの行状と地下要塞の鬼気迫る有様を克明に描いた映画であったが、鋭い人間描写で深く印象に残る映画であった。本書はその映画の原作である。
著者のトラウデル・ユンゲは、1943年初頭から1945年ベルリン陥落までヒトラーの側で秘書を務めていて、間近で見聞きした体験を戦後間もない頃に纏めたという。当時はヒトラーの記録など出版できる状況ではなく、状況が整った2002年にようやく出版に踏み切ったという。出版に際しては加筆・修正などは行っておらず、それだけに、記述には生々しさがあり貴重な時代の証言となっている。
本書を読んでまず思うことは、ヒトラーの意外とも思える人間像である。
著者はヒトラーの日常生活の一こまを多く描いているが、ヒトラーはプライベートな時間は政治や戦争の話はほとんど持ち出すこともなく、紳士的で礼節を弁えた人物であり、側近たちや秘書の女性たちと和やかに食事を共にすることも多かったという。作戦会議などが終わった後には、ヒトラーの発案でティータイムが設けられることもあり、そこではジョークやアネクロードが飛び交ったとしている。ヒトラーといえば、孤独な独裁者というイメージがあり、公的な席以外では常に一人でいることを好んでいたとばかり思っていたが、これはなかなか意外な一面である。
著者は、ヒトラーの秘書であっただけに、ナチスの幹部たちとも顔を合わせることも多く、本書の中で彼らの印象を率直に綴っている。例えば、親衛隊を率いたハインリッヒ・ヒムラーについては「外見は感じが悪い。ところが、もの静かな話し声、目と口には絶え間の無い微笑、丁寧で心のこもったとさえ言える礼儀正しさ、その人となりには仰天してしまった」。外務大臣のリッペントロップについては、「かなり変わった男だった。彼が外務大臣ということを知らなかったら、全くアウトサイダー的に生きる、偏屈な変わり者とでも思ったに違いない」。
この他にもゲッペルス、ボルマンをはじめ多くのナチス要人たちの印象が綴られているが、いずれも鋭い人間観察で唸らされる。
終章では、ベルリン地下要塞の絶望的な日々やナチスドイツ崩壊が綴られている。この章は、本書のクライマックスをなしており、緊迫感に溢れている。ヒトラー個人にも筆は充分及んでおり、戦局の悪化に伴いめっきり老け込んで生気が乏しくなり、以前あれほど人を惹きつけてきたカリスマ性を失っていく様子が克明に描かれている。また、これまで必ずしも明らかにされていなかったヒトラーの最期についても、詳細な記述があるのも注目される。
それにつけも、本書や冒頭に紹介した映画『ヒトラー』、つい先頃刊行された『ヒトラー最期の12日間』(岩波書店刊)などを見るにつけ、ヒトラーを巡る視点にある種の変化が起こっていることを感じさせる。少し前までは、この独裁者の人間性を描くことなど考えられなかったが、最近の動きを見ると、罪は罪として認めて、その人間性にも目を向ける視点が出始めているように思われる。本書もそのような流れのあるのだが、戦後60年も経てば様々な見方が出てくると言うことなのであろうか。
しかし、あれだけの惨禍を20世紀に齎した人物に、著者は「男も女もその威力からは逃れることができない、ある種のカリスマ性を発していた。人間としては控えめで愛嬌もあった・・・」と述べている。冷酷な独裁者としての顔と日常の人間としての顔の落差があまりにも激しく、率直に言って戸惑いを覚えるのも事実である。大いなる人間性の謎と言うべきなのであろうか。
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映画で見た後に読んだ。
ほんの一部の素顔のヒトラーを垣間みた。意外と戦時中もひとは恐怖を忘れようとするのか、のほほんとしている部分があるのか。
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こんなに近くにいる人も、ヒトラーのほんの一面しか見ていないんだなぁ。ますますわからなくなってしまう。
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1942-45年、ヒトラーのお気に入りの秘書だった女性の回顧録。
ハンナ・アレントのいう「悪の凡庸さ」そのもの。あまりにも身近なところから見るとヒトラーもただの人以外の何者でもないという恐ろしさ。
ヒトラーとその側近の非人道的な犯罪の認識も非難も改悛も、一切一言も言及されないというのもちょっとおぞましいが、歴史的文書であることは確か。
ヒトラー最後の数時間の描写はなるほどという迫真のものがある。
ちなみにこの女性、戦後もなんら裁判にかけられたり、罪を問われたりすることもなく生き延びて、今も自ら罪の意識はないとか。それでいいのかって気がするけど。
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「第三帝国史の最終ページを清書した」女性の回顧録。
彼女の生い立ちからどうしてヒトラーの秘書になったのか、その経緯とエーファ・ブラウン、シェパードのブロンディ、将校たち、ヒトラーとの職務や交流が描かれる。戦争末期と思えない社交界っぷりに驚かされます。ヒトラーの細やかな気遣いや父性、紳士ぶりたるや。私には彼女の行動に疑問を持ったりましてや批判なんて出来そうもありません。
前半では著者の生き生きとした描写、若さが文体から感じられますが、一転後半では自殺用のカプセルにすがる心細さ、ベルリン脱出、息詰まる展開に絶句。これがこの女性におきた本当の体験だとは。
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お気に入りの秘書から見たヒトラーの最期までの日常。ここに描かれてるのは私が学んだ悪の権化ではなく、悩める人間ヒトラーの一面と彼を煽る取り巻きの面々。ヒトラーが自分の周りにお気に入りしか置かなかった所が某国のトップとかぶって仕方なかった。秘書いわく、自分は裏方の一員でしかなく舞台上で何が行われてるかはわからない。この一節は普遍的で心に響いた。
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映画「ヒトラー最後の12日間」を見ていたので、映画をなぞる感じで読み進んだ。最初の森を歩く場面とか、最後の地下壕の中とか、映画そのままの記述、いや映画が参考にしているんだからあたりまえなのだが、映画はこの手記の空気が現われていたんだとわかった。本だと地名も書いてあるので、地図で確かめながら読んだ。
解説では、1947年から48年にかけて、トラウデン・ユンゲが手記を書いたものがほとんど修正のないまま載せてあるといい、最初と最後に「アンネの伝記」の作者メリッサ・ミュラーがトラウデル・ユンゲの履歴を補足した文を加えて出版されたとあった。
実際、このミュラーの解説文でこの秘書官が秘書になるまでの家族の状況とか、そしてヒトラーが自殺してから出身地であるミュンヘンにたどり着くまで、そしてその後の人生などが分かった。
それによると、ミュンヘンに住んでいたがとにかくベルリンに行きたくて「総統官邸の秘書」として採用されて、総統のところへ”派遣された”のだが、やはりこのヒトラーの秘書で終戦を迎えた、ということがトラウデル・ユンゲさんのその後の人生を大きく左右しているのがわかった。
また映画でゲッペルズ婦人が「ナチスの無い世界で生きるなんて考えられない」と言って子供を殺したのだが、映画だとナチス社会に心酔しているように見えた。だがこの本では、「うちの子たちは、恥と嘲笑の中で生きていくよりも死んだ方がましなのよ。戦後がどうなろうとも、ドイツという国にうちの子供たちの生きる場所はないわ」という記述があった。
1942年に秘書となったあと、1943年6月19日に、職場結婚ともいえる、ヒトラーの世話係・従卒をしているハンス・ユンゲと結婚している。始終顔を見ていた同僚、という感じだが狭い空間で親しくなったのを秘密に出来ず、それなら結婚してはとヒトラーから進められて結婚に至ったとある。結婚の幸せはボーデン湖畔での休暇の4週間しか続かず、その後ハンスは入隊し44年に戦死した。
ハンスはヒトラーのお気に入りだったがハンス自身はヒトラーの身辺から離れたいと強く思っていて、それはあまりにヒトラーの思考の世界に影響を受けてしまい、何が自分の本質で何が他人からの精神的感化だったのか、わからなくなってしまうのではないか、というのに気づいた、数少ない1人だったとある。
解説では、終戦後20年くらいは、ドイツでは戦争に触れないという空気があり、心の落ち着きがあったが、60年代も末になると戦争の検証がされるようになり、またヒトラーの秘書としてその遺書もタイプしたことからインタビューの依頼がかなりあり、恋人の死などもあり、抑鬱状態が続いていたとあった。
インタビューによる映画からの引用だと思うが、解説の最後では、
「私は世間から身を引き、罪悪感、哀しみ、悩みを内にぐっと秘めていました。ところが突然私は時代の証言者として関心を引くようになったのです。そのことが私の罪悪コンプレックスを混ざって、ひどい葛藤に陥りました。というのは、そのような会話では罪の問題などまったくどうでもよく、ただ歴史上の事実だけが重要です。ですから、弁解の必要もなしに報告できたのです。こんな事情がもっと私を苦しめました。そして考えることももっと多くなりました。」
2002 ミュンヘンで発行
2004.1.18第1刷 2004.3.10第2刷 図書館