紙の本
太平洋横断
2016/01/10 15:26
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投稿者:どや - この投稿者のレビュー一覧を見る
1962年、一人の日本人が全長5.8メートルのヨットで
大阪の西宮からアメリカのサンフランシスコ横断を成し遂げた
本書は偉大なセーラー、堀江謙一氏による手記である
偉業を成し遂げるための実行過程中の心の持ち方は勉強になる
・現在地確認の手段を多く持ち、状況を把握する
・目的とする航路から度々逸れても、くさらずに目的地へ進路を取り直す
・一つの道具を複数の目的で活用する
・進捗状況を過大ではなく内輪に見積もって慢心を避ける
・どんなにまずいものでも「うまいうまい」と言って食べることで我慢できる
・動力源の風が吹かなくて1週間前進せずとも、ただ風を待つ
・最後の詰めを軽んじない
一点気になったのが食糧の空の缶詰やビンやビニールなどを海にポイ捨てする点だ
海の人口ゴミの被害を沖縄のちゅら海水族館出口付近の出展品から気づかされたからである
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読み終えた瞬間は、あまりにもあっけなく、そっけなく、最初「あれ?」これが締めの文章?と思ったが、その直後、「あ、これは物語じゃないんだ」と腑に落ちた。
克明な記録でもないし、ただの日記である。だから、内容に正確さとか矛盾とかを求めていない。
今から約50年前、一人の日本人が、小さなヨットで、太平洋を横断し、シスコへ渡航した。
94日間。
「陸の人間にとっては、海は陸を隔てる。ヨットマンにとっては、海は陸をつなぐものである」
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現在もヨットでの航海を続けている堀江謙一という人がいます。この人の初の単独太平洋横断行の記録。
海の美しさと、広さ、そしてその中にいる人間の孤独と小ささ。
たった一人の世界で生きるということは何か、堀江さんは見つめます。
人はここまでできる。
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ヨット乗りとしてなかなか興味深いお話でした。
父の本棚から出てきた一昔前の作品でしたが、わかりやすく面白かったです。
ノンフィクションはあんまり読みませんが、これはこれで面白いなぁと思いました。
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地元のヒーロ吉田松陰。小学校のころにはさっぱり意味がわからなかったがようやくわかるようになってきた。やっぱり第八章のここがハイライト。
一、今日、私が死を目前にして、平穏な心境でいるのは、春夏秋冬の四季の循環という事を考えたからである。
つまり、農事で言うと、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬にそれを貯蔵する。秋、冬になると農民たちはその年の労働による収穫を喜び、酒をつくり、甘酒をつくって、村々に歓声が満ち溢れるのだ。この収穫期を迎えて、その年の労働が終わったのを悲しむ者がいるというのを聞いた事がない。
私は三十歳で生を終わろうとしている。
未だ一つも事を成し遂げることなく、このままで死ぬというのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実をつけなかったことに似ているから、惜しむべきことなのかもしれない。
だが、私自身について考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのであろう。なぜなら、人の寿命には定まりがない。農事が四季を巡って営まれるようなものではないのだ。
人間にもそれに相応しい春夏秋冬があると言えるだろう。十歳にして死ぬものには、その十歳の中に自ずから四季がある。二十歳には自ずから二十歳の四季が、三十歳には自ずから三十歳の四季が、五十、百歳にも自ずから四季がある。
十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。百歳をもって長いというのは、霊椿を蝉にしようとするような事で、いずれも天寿に達することにはならない。
私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。それが単なる籾殻なのか、成熟した栗の実なのかは私の知るところではない。
もし同志の諸君の中に、私のささやかな真心を憐れみ、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになるであろう。
同志諸君よ、このことをよく考えて欲しい。
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1962年、日本人初、西宮からサンフランシスコへ、単独で太平洋を渡った堀江謙一氏の手記。2004年の新装版。関大一高でなんとなく入ったヨット部時代から、大学には行かずに働きながらお金をため、周りの理解を得られないままについにこっそり太平洋へ飛び出し、嵐や凪に遭遇しながらも3か月間航海して、ついにゴールデンブリッジをくぐってサンフランシスコに到達するまで。
1963年には映画化もされて大ブームが起きたらしいが、そんなことは全く知らず、ただたまたまNHKのドキュメンタリーで知り、こんな有名な本があるということで読んでみた。
何と言ってもコテコテ関西弁。おれも関西人だけど、なんか昔おじいちゃんから聞いたことがあるようなフレーズがちらほら、というかそれ以上の、今時誰も言わないくらいの関西弁がすごくて、それだけで時代(世代?)を感じる。大きいことを成し遂げた著者のメンタルについて語られることが興味深い。ひそかに太平洋横断を計画しながら、具体的な話は誰にもせず、そんな時「夢はカッカと燃える。黙っているから、なお熱してくる。だれかに言いたくて、ムズムズしていた。」(p.39)っていうのは本当によく分かった。おれももう2回転職したけど、人に言っていないでナイショで転職計画を立てている時が、まさに次の目標に向けて突き進んでいっている時だった(良い例なのかどうかは分からんけど)。太平洋に出る前までの話もいいけど、やっぱり航海が始まってからが面白かった。出航からまったく進まない船。だからたまに進んでいる時も「だまされねえぞそういう気持だ。期待は失望のもとになる。あとでガックリするくらいなら、はじめから楽観しないほうがいい。」(p.157)という、太平洋を渡ろうという計画の大胆さとは裏腹に、航海全体を通して、安全第一、慎重さというのが全面に出ていた気がする。42日経って日付変更線を超えたところで「これでどうやらスタート・ラインだ。太平洋横断は、これからはじまる。気をひきしめて、あたらしくファイトを注入する。つねにひかえめに、いつも内輪に見つもって…。(略)気分のうえでも、いい調子になるのを押さえる。ヘコタレないための安全装置である。」(pp.179-80)という気の持ちようも、大きいことを成し遂げるためには必要な心の持ちようなのかもしれない。航海始めは焦りや、どうしようもない悲しさで泣きに泣いたりした場面もあったが、その著者の心境が変わっていくのが見て取れるのも、こういうエッセイを読む楽しさの1つだった。48日目、「ああ、太平洋のひとり旅は気楽だ。だれに気がねも遠慮もない。自分のぺースで生きていかれる。」(p.190)という心境、ここまで思えれば本物なのではないだろうか。そして、「わたるということは、とにかく海との戦いである。」(p.190)と思える強さをついに得た、という物語的な著者の成長、みたいなものが、一読者としてはとても偉そうだけれど、それを見るのが楽しかった。72日目、「出発当時をおもいだすと、ウソみたいだ。あのころは、すごくさびしかった。いろんな意味で四面楚歌だった。(略)つらくて、よく泣いた。もう大丈夫だ。日本幾をメソメソふりかえることは、まるでない。慣れというものは不思議だ。生まれた瞬間から、ひとりきりで��らしたことのないぼくなのに…。(略)さびしくないわけではない。とてもさびしい。しかし、そのさびしさには、慣れることができる。矢もタテもたまらない気持は、だんだん薄れていく。ぼくはちかごろ考える。孤独と孤立はちがうんじゃあるまいか。(略)まわりに人がいというだけの孤独なら、いつかは我慢できるようになる。出てくる前のほうが、よっぽど、ぼくは孤立していた。が、いまは孤立していない。心はかよっている。孤独なだけだ。」(pp.216-7)、という大海の中で一人ぽつんとこんなことを考える、なんてドラマチックなんだろうと思う。同じように、著者の変化、という点では87日目「ぼく、変わった。はじめのころは、仕事がイヤでイヤで、しょうがなかった。しなくてはならないことがあっても、サボリがちだった。このごろでは、やたらと、することをさがしまわっている。」(p.240)という部分なんかは、おれがこの先この仕事を続けていくとして、いつかはこんな心境になることができれば幸せだなあと思った部分だった。
これだけヨットに乗る人でも船酔いに悩まされるのは普通のことなんだ、とか、59日目、「ラジオを聞いていた時、なにか、チカッとした。(略)あれなんだろう?錯覚だったんだな、それですましてしまった。が、あとから西の空ににじんだ赤は、とても不吉な色だった」(p.202)という、ジョンストン島の超高空核実験に遭遇した様子、などおれの全く知らない海の男の世界、一面海原に繰り広げられる世界、というのがたまらなく興味深いと思った。
変な自己啓発本とかを読むならこういう本だな、と思う。(19/04/24)
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短文の連続で、歯切れよく爽快にして痛快。反面、この上ない恐怖と不気味さに心が震える。コンプライアンスには反している。しかし、意地でもやり遂げようとする姿に興奮と感銘が止まらない。
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新たに太平洋を横断されることを新聞で知り、その原点の航海を読んでみた。時代の差もあるのだろうが、なんとも独特な文章。まぁでもそれも人柄の一端として味わえました。
海好きなもので、「誰もいない中、見渡す限りの海の中で、星空の下、ヨットに揺られてアメリカを目指す、なんてすてきだなぁ」、と思ったりしましたが、現実はそんな生易しいものではないのをあらためて感じました。これだけタフな人でも、途中でさみしくてつらいのね・・